おじいちゃんはサンタクロース

2005-12-25 13:10:36 | Weblog
      サンタのおじいちゃん

 お久しぶりです。皆さんはどんなクリスマス・イブをすごされたでしょうか?

 私の家では、22日の夕方、理髪店にでかけたまま戻らない義父のことで大騒ぎ
 になりました。
 義父は2年前からアルツハイマーと診断され今年になって4度目の徘徊となり
 23日に警察に捜索願を出し、一方では家族それぞれが思い当たるところを
 探したり、電話をかけたりしていました。
 昨年結婚した私の息子も仕事を早めに切り上げ、自転車で探し回りました。
 私も、してはいけない片目運転で前回の発見場所など回りましたが、見当たりません
 昨日はイブ、新婚の息子、デートのあるはずの娘、まだ小さな子供のいる二人の
 義弟、そして妻と私、それぞれがそれぞれの思いを胸に探し回りました。
 22日から寒波の影響で東京でも寒い夜となり、昨日は皆、心の中にいささかの
 諦めがあったように見えたのです。
 年末のしたくもままならず、年賀状をも出すべきか迷う長い時間です。
 それぞれが、帰宅し遅い夕飯を食べていた時に、志村警察署から確保の知らせが
 ありました。足に少し怪我をしているけど無事とのこと、妻、娘と3人で
 抱き合って泣きました。
 皆それぞれが父の病気のことは知っていても、それぞれが油断していたことを
 深く反省するきっかけになったはずです。
 何より、神様から最高のプレゼントを頂きました。
 つらくて、長くて、そして思い出に残るイブとなりました。
 
おじいちゃんはサンタクロース手の温し

 
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少しの間・・・

2005-12-18 12:05:12 | Weblog
      よめな

 先日の金曜日、仕事関係の忘年会の最中、乾杯も終わり一杯目の水割りを
 テーブルに置いて目先を上にあげた瞬間、左右の画像がダブってみえる。
 上下に画像がダブって遠近感がない。煙草を吸っても灰皿の中心に灰を落す
 ことが出来ない。
 いろいろ目を酷使したせいか?・・・
 昨日眼科へ、詳しい検査は出来なかったが飲み薬と点眼薬を試すがいまだ改善されず
 にいる。左右の視力はもと通りあるので片目に眼帯をかけPCに向かっています。
 そんな理由で少しの間ブログをお休みさせていただきます。
 いろいろ書き込みを頂き有難うございました。
 一日も早く治してまた大好きな俳句のお話を続けて行きますので、お許しを・・

   ころころ
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303年前の今日

2005-12-14 23:14:30 | Weblog
      干し柿

 少しだけ俳句に関係ない話を・・・
 303年前(1702年12月14日)の今日、あの赤穂浪士が吉良邸に討ち入りを
 した日です。その吉良邸は本所(今の両国、国技館から徒歩5分ていど)に在り
 そこから徒歩10分程度のところに、ころころは生まれました。余談です。(笑)

 それでは今日のお話・・・
 「匂う」について
 
 幸田文さんの随想の中に「匂い」について書かれていたものを見ました。
 「おばさんから香水をいただいて、それがなんとかの五番かなんかずい分高級な
 もので、みにつけるのが大変楽しかった。ところが年老いてみるとそうして
 楽しいんだ香水だけれども何やら疎ましい。むしろ野の花の、かすかに漂う匂いの
 ほうがぴったりする。なぜだろうと考えてみると、香水というものはどこか人に
 押し付けがましいところがあるではないか。いわば香水は5分でも10分でも
 できるだけ長く匂わせるために用いるものだが、花の匂いにはそれがない。むしろ
 消える為にある匂いだと・・残る匂いと消える匂い、その微妙な差が、年老いてみると
 だんだん分かってきたような気がする。」

 俳句の場合でも押し付けがましい感覚とおのずから消えていくなかにも、何かを捉え
 て離さない感覚と両方の感覚が俳人には必要だと思います。


         ころころの今日の俳句

 
           蝋梅の夕日隠れに匂ひけり


         ころころの独り言


  今週も忘年会・・・寒い、眠い、煙い、お仕事の忘年会。
  作り笑いもせねばならない。


         ころころのお気に入り

     
          夏草をちぎれば匂う生きに生きん 細見綾子
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龍太さんの話(目と耳)

2005-12-13 21:35:16 | Weblog
         何で風呂吹き大根て言うのかなぁ?

 ころころは登四郎先生なのになんで龍太さんのことばかり書くのでしょうか?
 それはおそれおおくて語れないかでありますが・・・おいおい書くことにします。

 そこで少々知ったかぶりを・・
 龍太さんが披講を聞いている時ギョッとした句があったそうです。
 その句会では龍太さんはお採りにならなくて、多くの選に入っていた句

  梅雨深し羽音梢を離れずに

  つゆふかし はおとこずえを はなれずに

  龍太さんの耳には 
  梅雨深し葉音梢をはなれずに
 
  と聞いて、採りそこなってギョと思われたとか。
  その「羽」と「葉」では巻頭とそうでない句との違いがあると書かれていました。
  可笑しいですね。でも未熟な私にはきっと選にいれてもそれほどの違いを
  発見できていなかったでしょう。

  
           ころころの今日の俳句


          ちんどんの来てやひろごる歳の市


           ころころの独り言

   多くの人に見てもらいたいとブログを頑張るものの、かなりの緊張感。
   いいかげんな自分が懐かしく思うこの頃です。


           ころころのお気に入り


           毛糸玉幸さながらに巻きふとり  能村登四郎  
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目と耳

2005-12-12 23:10:51 | Weblog
         岩牡蠣

 最近特に気になっていることが有ります。
 IT句会については昨日も少し触れたのですが、弊害とまでは言いませんが・・
 
 なぜ座の句会が大切なのか?私なりに考え(大いに龍太の書物に影響されているが)
 が有ります。それは披講というものがIT句会に無いからです。
 日本語の美しさは、文字そのもの(目から入るもの)と音(耳から入るもの)との
 両方があると思います。

 梅林の誰にともなき薄暮なり   篠原美津子
 
 誰もいぬ土間に葱おく雪解光   誠子

 「誰」という文字は一緒でもこの「誰」は竹林と竹薮ほどの相違があると龍太は
 言っています。竹林は青い幹の鮮やかさを思わせ、竹薮は繁った全体の姿であり、
 ほのかなそよぎを感じる。同じように「だれ」は硬い感じの限定の強い響きがあり
 「たれ」はふわっとした柔らかさがある。
 前句は「たれ」後句は「だれ」と読んだ方がその句は生かされると思う。
 それは披講というもので一層その力を発揮します。

 また逆に文字になっていかされるものも有ります。

 頬白が鳴いてはげます善き方へ  榎本虎山

 この「善き方」は耳では「良き方」と同じ「よきかた」です。
 しかし意味においては歴然です。「善き方」には作者の意図する心象が広がって
 います。本当の心象はこのように隠れているものです。

 折角美しい日本の言葉を使って十七音の詩世界を楽しむのなら、そこまで自分を
 高める努力をしていきたいと思っています。


        ころころの今日の俳句


       野仏のこうべ撫でいるすすきかな


        ころころの独り言

 句会において私だけの特選を見つけることを楽しんでいます。
 その一つの目安として韻も大切に考えている。


        ころころのお気に入り


        冬ぐさの露が連れ去るみどりかな  大沼行々子
 
 
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選は創作

2005-12-11 21:58:38 | Weblog
とらふぐ

 高浜虚子の言葉に「選は創作である」というのがあります。
 選句は作句と同じような精神の統一がなければならないと思う。
 最近、IT句会の隆盛で心象句が多くなったような気がしています。
 けして心象がいけないわけではなく、写生句を詠むよりは賛同を得やすい
 とは思います。ただ心象は真実の写生眼が本当は必要なのです。

 選句は句作のとき、心にひびいたひらめきを最も大切にするように
 その作品がが自分に伝えるひらめきを大切にするべきだと思います。
 句会など、時間的制約での選句はあくまでも直感的になされるべきでしょう。

 選句の上達こそ句作の上達であると私は確信しています。
 ある程度の経験をつめば句会などの講評でだいたいの俳句の力は想像できます。
 その選句力をつけるには、やはり句集を多く読んで、できれば自解句集や
 鑑賞文などのついた句集であれば、自分の鑑賞力を養えると考えます。
 そして句会などでは、素直な感受から選句をし、あとは謙虚に自分の選句に
 反省してゆく事も大切で、自分の選句に固執したり、へ理屈をつけて強弁する
 ようでは進歩はないと思っています。

 
        ころころの今日の俳句


        白鳥の一尋に抱く夕陽かな


        ころころの独り言 

 ある句会で感じたこと、やはり俳人は自己主張が強い。それは自分を含めてだが、
 作品こそが主張であるべきで、もし句会で選句に載らなかったらそれは自己の
 主張(作句力)が足らないと素直に反省すべきなのだろう。


        ころころのお気に入り


       冬菊のまとふはおのがひかりのみ  水原秋桜子

 
 
 
 
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12月8日

2005-12-08 21:14:36 | Weblog
       寒蜆

 今日は一日ラジオからジョン・レノンの曲が溢れていた。
 戦後生まれの私には太平洋開戦記念日とはピンとこなかった。
 こころのどこかで戦争の記念日を認めていないのかもしれないが・・

 初めてビートルズの曲を聴いたのは、確か高校受験のときだったと思う。
 深夜のラジオから流れてきた彼らの曲はお洒落で、流行歌で育った当時の
 中学生にはカルチャーショックだった。
 25年前の今日、彼のファンの銃弾に倒れた。
 そんな昔のことを考えていたらふっとレノンの忌日は歳時記にあるのか?と
 疑問が浮び、早速調べてみたがやっぱりまだ載ってはいない。
 もしか?と検索・・・・・有った!

 冬の薔薇深紅なるジヨン・レノンの忌 坂口緑志

 レノン忌や葉の散る音も楽なりと 橋本榮治
 
 レノンの忌冬ぞらわれて陽がさして 田村敬子

 老ボーイのレノン語れば虫しぐれ 橋本榮治


 この辺は多少、季語をつけて作者の配慮が見えるようです。
 やはりまだレノンの忌の季感への認知はまだ先ですね。


      ころころの今日の俳句

      
       コカコーラ一気飲みしてレノンの忌


      ころころの独り言

 昔の句友の句、熱帯夜けふも叩いて聴くラヂオ なんて句を思い出す。
 少年期、何かの懸賞で貰ったゲルマニウムラジオ。中学生のときに
 お年玉をためて買った、マイラジオ。ラジオには皆それぞれに多くの
 思い出が有る年代。それが団塊の世代かもしれない。


      ころころのお気に入り


       ふぐ鍋や壁に大きなジヨン・レノン 黒田杏子

 


       

 


 

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共通語?

2005-12-06 23:16:43 | Weblog
        ひらめ

 共通語
国のどこででも、互いの思想や感情を伝え合うことのできる言語。わが国では東京語(特にその山の手言葉)がこれにあたる。全国共通語。〔共通語は標準語という用語を避けて用いるようになった語。標準語は全国に共通して用いられるとともに人為的に整備された規範性の強いものであり、共通語は自然に存在して全国に用いられるものとして区別する考え方による
 
 先の句会の忘年会、上野鈴本演芸場で久しぶりに落語を堪能しました。
何故か、不思議な懐かしさでいっぱいになる。噺家の話は共通語ではなく下町訛りばかり
それでそんな風に思えたのかもしれない。
 そこで、私が今思えだせる下町訛りを少々紹介したい。

 あーちゃん→母さん。 おいら、あたい→私。 おぶ→お湯、水、お風呂。
 かくねんぼ→かくれんぼ。 かんまーす→かき回す。 
等など、いっぱい有ります。よく「ひ」と「し」が言えないとかいいますが
「朝日新聞」が「あさししんぶん」で「あさしひんぶん」とは言いません。
また「ゆ」が「い」や「う」に転換してしている言葉が沢山あります。

 歪む→いがむ。 濯ぐ→いすぐ。 指輪→いびわ。 結う、縛る→いわく。
 ゆで卵→うでたまご。 茹る→うでる。

 一人旅をしていて各地のコンビニの若い店員は皆共通語を話すことに驚いた。
 訛りは国(郷里)の宝、今の時代だからこそ敢えて産土の言葉を大切に・・

 
        ころころの今日の俳句

      
         浅草に一月の声聞きにゆく


        ころころの独り言

 本の読みすぎ、PCに向かう時間が増えている為か目が疲れるなぁ~
 今日は俳句の時間が無い。


        ころころのお気に入り


         おばんです おばんでしたと里まつり 

 

 
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飯田龍太語録その1

2005-12-05 22:37:31 | Weblog
      凍み豆腐

 私の尊敬する俳人の一人飯田龍太の言葉を少しづつご紹介したい。
 (ブログの更新に行き詰まった時のため?ではなく・・)

 *写生について
 私(龍太)にとって写生とは、見つめて目を離さない事じゃないかと最近強く
 感じている。見つめて、心の中に実物では感じない別途の実感が湧くまで目を
 離さない。これが写生の手法のように思えてきた。例えば虚子の「遠山に日の
 当たりたる枯野かな」この句は、季語から云うと冬だけれど、実景はどうも早春の
 風景じゃないかと思う.冬の終わりの鮮やかな情景。目を細めて眺めてはいる
 けれど対象から目をそらしてはいない。情感を湛えて至り得た境地を示している。
 これに比べると「白牡丹といふといへども紅のほか」は、主観が強く、技術、
 技巧が表に出てはいないか。

 どうでしょうか?「実物では感じない別途の実感」


         ころころの今日の俳句

         大川の風知り尽くし都鳥


         ころころの独り言

 来る11月9日は漱石の忌日、いままで一度も詠んだ事の無い季語を詠んでみようと
 参考句を検索したが、どことなく漱石の文学からの類想が多い、とは言えそうしなけ
 れば、離れすぎてしまう。忌日俳句の難しいところかもしれない。


         ころころのお気に入り


         ふるさとは風の中なる寒椿 入船亭扇橋
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愛すべき我句会

2005-12-04 14:04:07 | Weblog
       鰤大根

 昨日はわが八雲句会の忘年句会、いい笑い納めとなりました。
 今まで色々な句会に参加してきて、これほど楽しい句会はない。
 互選で多くの支持を得て浮かれていると、その後に控える「逆選」で
 打ちのめされる。「この句のここがいけない」「却下」なんて四方八方から
 お声がかかる。俳句はもちろん俳句心の鍛錬場・・・かもしれない。
 でも、この逆選こそが大切な時間だと思う 
 
 吟行をし、投句、互選、披講。とそして主宰がいれば主宰の選評
 これが一般的な句会の流れ。まあ結社の句会ならばそれでいいでしょう。
 私達の句会は全員主宰だから、俳句、俳句の話、旅の話、人生観、ひとつ
 ひとつが、頷ける。ふつう吟行句会となると類句、類想の投句になるのは
 当たり前になる、私達の句会との大きな違いは同じ吟行をしていても着眼が
 違う。そこが分かれば吟行の楽しさが殖える。
 吟行写生は写真撮影会とは違う。自分の全身の感覚をレンズにして見る。
 なんでレンズ?ここが客観になる大切なところ。あまりの感動にのめり込むと
 主観ばかりで、独り善がりになりやすい。いったん間をとるほうがいいと思う。

 昨日は上野駅集合、上野の森、不忍池を散策、上野鈴本で演芸鑑賞、忘年句会
 ざっとこんな流れで、講評も全員の笑顔の中にお開きとなりました。


      ころころの今日の俳句


        ほろ酔ひて鰤と大根で悦に入る


      ころころの独り言

  連衆全員で来年も健康で、俳句と俳句のまわりを楽しみたい。


     ころころのお気に入り

      鰐口のどよんと鳴りぬ冬日和  
      姫宮はひとづまとなり敷松葉
      冬ざれの根笹にからむ鳥の羽

  12月句会ころころの特選3句  

 
 

 
 
 
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