八月尽

2006-08-31 07:17:46 | Weblog

      
   大葉擬宝珠ー白(赤塚植物園)

    旅ゆけば我招くかに擬宝珠咲く  角川源義

東京は朝から晴天。暑い。
でも昨日と風が違うような気がする、爽やかだ・・新涼
午前中は講習、午後は時間が出来たので、深川へ
富ヶ岡八幡の駐車場にとめて、深川不動へ・・
丁度護摩焚きの最中、大太鼓、小太鼓、鉦、法螺、釈
護摩壇の周りに信徒。僧侶の読経は野太い。
臍(丹田)あたりに響いてくる。心地よい響きだ。
大太鼓をたたく若い僧の腕の太さが印象的だった。

富ヶ岡八幡にもどり遅めの昼食をとる。
深川へきた目的は「深川めし」を食べる事。

境内の御輿倉には日本一大きな御輿がある。
数年前までは担がれていたそうだが、余りにも大きすぎて
鳥居をくぐることができない。縦の棒だけならくぐれるが、
縦の棒だけでは重過ぎて人手では宮出しができない。
重さ4.5トン。だいたい町内大人御輿が大きくて
1トンだから想像を絶する。今は二の宮御輿として少し
小さめな御輿が担がれているがそれでも2トン。
6本の担ぎ棒で150人が担ぎ出す。
今年は8月13日に例祭は済んだが、ここの御輿の掛け声は
「ワッショイ」のみで「セイヤ」「セヤ」などはご法度。
実際本当に思い御輿を担いだら「ワッショイ」など最初だけで
いつしか「ウッ、ウッ」と担ぎ手の腹の底から唸りしか
聞こえてこない。福岡の山笠や岸和田のだんじりには
申し訳ないが、御輿の下には車や支えなど無いので、バランス
が崩れたら潰される。御輿で死んだなんて話は過去には
多かった。・・・あらら・御輿の話になると夢中になってしまう。
明日のつづきは「深川めし」のおはなしを・・・


 

 

コメント

8月30日

2006-08-30 06:18:16 | Weblog

       一家に遊女もねたり萩と月    松尾芭蕉
コメント

8月29日

2006-08-29 06:14:28 | Weblog

   呪ふ人は好きな人なり紅芙蓉   長谷川かな女
コメント

8月28日  助詞ひとつ・・・

2006-08-28 06:16:16 | Weblog


    蕪村忌に呉春の画きし蕪かな   正岡子規

たまには知ったかぶって講釈をのたまいます。
まずは下の2句を観賞。

  強東風に八百屋玻璃戸を閉(さ)ししまま

  東風強し八百屋玻璃戸を閉ししまま

この句の出来栄えはともかく
俳句を何年やっても師匠から「説明くさい」と言われる事は
多いと思います。でも実際あきらかな区切りとは分かりずらく
上の句の 強東風にの「に」が噂の説明の種で、我々もよく
上五の五音節目に使うことが多いと思います。何でもかんでも
「に」が説明になるというわけでないので例句と添削句を見比べ
てみます。「東風」と言う季語は春季に東または北東から吹く風
で、比較的強い場合に「強東風」といい、春風の麗らかさに
(欄春)にたいして早春の強い感じがある。
この季語に対して「に」を付けると、解釈は・・・
早春の北東からの強い風に(のために)八百屋は玻璃戸を
閉ざしたままである。になり閉ざした理由を説明をしている
わけで、では「東風強し」ではどうだろう?
解釈は、八百屋が玻璃戸を閉ざしたままだ、この東風のせい
だろうか?それとも何かあったのだろうか?  のように
八百屋が玻璃戸を閉ざしている因果がうすれ、眼目の物語の
解釈が膨らんでくる。  俳句ばかりでなく「文法」となると
なかなか勉強をすることに億劫になります。でもこのように
推敲して投句するまえに自解をすると分かりやすいのです。
それを体感することが説明からの抜け道です。

掲句の子規の句は逆に五音節めの「に」で眼目へ因果を
もたせています。


コメント

8月27日

2006-08-27 07:50:52 | Weblog

       
     実石榴の割るるやことば吐きさうな  塚原いま乃

コメント

8月26日

2006-08-26 07:29:11 | Weblog


     木の実降る民話の山に子を放つ  ころころ

  (昭和57年 11月28日 東京新聞俳壇 飯田龍太選)

御蔭様で昨日でころころのブログ毎日が俳句・ハイクが一年を
迎えられました。今日から2年目に入ります。
多くのコメントに支えられ、励まされ、皆さんに感謝しています。
時には見当外れの書き込みをしたり、独り善がりな認識だったり
自分でも読み返すのが恥ずかしくなりますが、ころころの独り言で
すのでお許しください。

まだまだ書き足りないと思う時も有りますが、眼の障害のため
書けないこともしばしばです。
ころころが唯一自慢できるのは30年間俳句を忘れる日が無かった
ということです。これからもこのブログをどうぞ応援してください。

 俳句の仲間、連衆、師匠に ありがとう。ころころ


 

コメント (2)

8月25日

2006-08-25 06:10:07 | Weblog


      夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり   三橋鷹女


     木の実拾ふその手で廻す車椅子   ころころ

 (昭和56年11月3日松戸市文化祭  吉田鴻司選)

コメント (2)

8月24日

2006-08-24 05:32:57 | Weblog


      秋風や甲羅をあます膳の蟹  芥川龍之介  

銀行への用で久しぶりに電車で出かける。いつもなら
当然車を利用するが、筆と顔彩を買う目的もあり・・・
と、まあ仕事中にもこんな事考えて行動出きるのも自営業の
おかげである。池袋のロフトへ行く

私の俳句はご覧のように絵と墨と俳句で一人前でこれは
将来、連衆との合同句集へのステップ。
絵本のような句集を作りたいと念願している。いつになるか
はまだ未定だが、一人25句ぐらい自選と自解。
すべてに絵を入れる。半分は師匠にお願いするとしても
(と言っても了解を得たわけではないのです・・お願いします)
100枚の絵は描かなければならない。考えるだけでワクワク
してくる。それが半期分で一、二巻で完成!!
絵も書も俳句とおなじほど楽しく(しかも仕事中に)やっています

姉の店(千葉県某市)でも10枚ほど私の絵が掛かっています。
店のお客さんには書道家や絵描きもいるそうで・・・
恥ずかしいからやめてくれと申しますと。
「みんな酔っぱらっているし、店は薄暗いから大丈夫」って
そりゃあ どう言う意味?

コメント (4)

8月23日  処暑

2006-08-23 05:57:39 | Weblog


     火遊びの我れ一人ゐしは枯野かな  大須賀乙字

ある本の中に興味深い一文がありました。
「水明」の長谷川秋子さんが過去に読売新聞に書かれた
短歌の女性と俳句の女性という一文です。

俳壇の女性も歌壇の女性も一同するという会合に行って
みると、短歌をやられている女性はいつまでも若々しく、
そしてやや妖気が漂っているほどあでやかであり(笑)
そこへいくと俳句の女流は大変質素で、ふだん着のような
お姿で、とくにその違いを垣間見る思いがしました。

なるほど俳句は「ふだん着」の姿勢が基本にあり、
ふだん着をどう着こなすかが肝心で、その辺で
無意識の正直さがでるのだと思う。


 

コメント (4)

8月22日

2006-08-22 05:49:10 | Weblog


       亡き父の秋夜濡れたる机拭く  飯田龍太

  憧れの俳人、飯田龍太の言葉
 「いい俳句というものは、読者に多くの思いを与え
  さまざまな感慨をいだかせながらも、結局は無言を
  しいるもの」

  秀句とはやはり覚えやすくて、忘れがたいものだと
  つくづく思う。
 
      

コメント