書について

2005-09-29 22:42:24 | Weblog
     秋の風が気持ちのいい日

 「書」というと何となく堅苦しい。
 要は筆と墨を自在に使って思いのままの文字で紙を汚すイメージでいい。
 (書家に怒られそう・・・)
 汚すといっても,そこに感情を注入する。
 ここで私が心がけているのは、筆に感情が勝つということ。
 なまじ,書道何段という人のほうが「書」は難しいらしい。
 
 そこいくと,私は何の恐れも無く、むろん知識も恥じらいもない。
 有るのは、いたずら心のみ。

 漢字を書くから,難しいのだ、手始めにカタカナを書いてみると
 思いのほか良い作品???が完成する。お試しあれ。

 あくまでもこれは私の「書」ですから・・・・

 
     ころころ今日の俳句


        菊の荷の解かれて匂ふ市の雨


    ころころの独り言

  少し、俳句の気が落ちかけているのがわかる。こんな時は
  美味い物を探し歩くと回復するはずなのだが。


    ころころのお気に入り


       塩秋刀魚おのが油の火に焼かる  きくちつねこ
  

  
コメント

連衆は異父母兄妹

2005-09-27 23:40:17 | Weblog
     だけど秋の風が吹いてます

 わが句会の黒二点(一人は私)日下さんのこと。
 初めて会ったときの印象は「国語の先生」のような人
 連句の達人である。
 
 インターネット句会の中にあった「連句」のコーナーでは
 軽妙かつ機知にとんだ付けで、拙い私の句が何度と喜んだことか。
 前句,後句を喜ばすなんて、連句というのは相当読心術が
 闌けていなければできないし、知識も必要だし、なにより俳句を
 知らなければ出来ないと思う。

 俳句はそもそも連句の発句が独立したものだという。
 必ず切れ字が入るという約束を除けば現代俳句へとめんめんと
 続いている短詩なのだ。

 日下さんはレベルヒッターではない、しかしツボに入った俳句は
 人の心を揺さぶるような俳句を詠む。
 句会の中で日下さんの句は一目で分かる、分かるというのは決して
 選に有利ではないはずだが、その句は微動だにしない。
 強い俳句と言うのか?容姿からは覗き知れない強さを感じる。
 話し方も,話の音量も,早さも、朴訥として、人の良さを感じている。

 いつも仕事が忙しい方である、それでも奥様やお嬢さんの事を
 しっかりヘルプなさっていて、その上句会に駆けつけてくれる。
 
 連句においては蕉風の何代目かの免状を持され、尊敬できる先輩でもあり
 大切な俳句の仲間である。


     ころころの今日の俳句

    
       ぼた山の夕暮れ早し曼珠沙華


     ころころの独り言

  
      これから句会の仲間を書いていこうと思う。
    あくまでも,知ってる範囲で感じるままに書いていこう


     ころころのお気に入り


      いびつでも露の白玉白玉ぞ     小林一茶

 

 
コメント

一茶を身近に感じる時

2005-09-26 21:54:41 | Weblog
      秋を感じる朝でした。

   芭蕉になりえなければ、一茶になれるか?
   という書き出しで始まる今日のブログ・・哲学的かも?
   
   金子兜太曰く、求道者であるか存在者であるか?
   求道者には人の生き方,存在者には人の生き様があると・・・
   (ますます難しくなる

   これは例えとしての話、一茶の事を知ったかぶって書いてみたかったのである。
   
   一茶は業俳(専業の誹諧師)であり、それほど大きな範囲ではない
   一定の地域を回っていた巡回誹諧師である。
   もともと北信濃の農家の出で、町にあってもただの庶民でしかない。
  
   旅といえば、芭蕉のような求道のこころざしを含む精神の旅などとは
   程遠く、漂白の心が辛くなり故里への旅となったわけである。

   決して一茶を芭蕉と比べて非難しているわけでもなく,生き様と言う点では
   我々が仕事をリタイヤした時、故郷を含めどこか静かなところで
   小さな畑でも作って老後を過ごそうと言う話に似てくる。

   一茶の生き様,考え方こそ都会の現代人の理想となっているのだろう.
   俳句を除けば大して変わりなく思え、とても身近に感じている。


        ころころの今日の俳句

    
         火の番も霧の中なる登り窯


        ころころの独り言

       
      とは言っても・・老後に理想を遂げる人も少ない。
      お米の国の人間が畑仕事が理想だなんて、おかしなものだ。

   
        ころころのお気に入り


        脱藩の心地で越ゆる春峠   日下縄文


      いい句だなぁ・・・  
   
    
コメント (2)

終わってみれば・・・

2005-09-25 18:31:56 | Weblog
        終わってみれば・・朝青龍 

 両国生まれにとってお相撲さんを見るなんていうことは,普通のこと。
 高校2年にその地を離れるまで、景色の中に相撲部屋があり、小学校、  
 中学校を通じて級友には力士の子供や力士になるために、故郷を離れ義務教育が
 おわるまで,部屋住みでいる子供がいる。
 
 我々の年代は団塊の末期、中学校は1学年11クラスもあり、各クラス50人
 ほどもいたと思う。そのクラスの中に5人くらいの力士の卵がいた。
 1学年50人以上のそんな子供がいたわけになる。

 その頃は外人の力士など考えられなかった時代で、子供の遊びの中に相撲は
 野球の次くらいによくした遊びであり、東京の子供でも力士になりたいと
 思う子は沢山いた。

 日本人の横綱がいないことは寂しいことだが、ふるさとを離れて力士になって
 横綱をめざして頑張っている力士に国籍などなく応援したい。
 
 中学3年の時同級生だった薮内君は二所の関部屋で三段目まで出世したが、
 大きな怪我をした時にその時まで頑張ってきた糸がプツリと切れて、
 ふるさとの静岡に帰った。彼は毎日のように実家に電話をかけても
 「かあちゃんは電話に出てくれないんだ」と言ってた。
 同じく佐藤君は朝日山部屋で3年間頑張ったが出世できず。北海道に
 帰った。

 普段の生活の中に普通に相撲取りがいた両国駅は、地方から東京へ集団就職に
 来た人たちの上野駅のような所なんだと思う。出発点であり終着点でもある。
 
 琴欧州次はがんばれ!!

      ころころの今日の俳句

       
       昼寝して食べて昼寝や相撲の子


      ころころの独り言

    台風のことも有って一日絵描き三昧。俳句は全く浮んでない
    これから少し句集を読んで、作句意欲に火を付けねば・・
    今日は「細見綾子の句集」にお願いしよう。

       
     ころころのお気に入り

   
      花薄帰参かなはぬ相撲かな    河東碧梧桐



      今日の絵は桔梗。見えるかなぁ
   
コメント (2)

自句自解

2005-09-24 22:50:58 | Weblog
      台風がまた近づいてきている。

 私の参加している句会のよろしさは選評に有ることは,前にも書いた。
 今回の私の句の選評に付いて,考えてみることにする。

 「どの部屋をあけても独り障子更ふ」
Aさんの評
障子更ふ、、とはもうすでに更えてしまった意味もあるかもしれませんがはっきりと白い障子を出したほうがよいのではないか。
どの部屋をあけても独り白障子、、とすると季節が変わるが、「障子更ふ」という動きのあるものではなく、部屋に入ったときに白い障子がやわらかな壁をなしているほうが孤独感がしみじみと伝わってくる気がする。

Bさんの評
どの部屋をあけても独り」が、とても気に入りました。季語をベツのものにすると、良いのではないかと思います。
部屋→開ける→障子、と付きすぎのように思いました。

Cさんの評
どなたかのご意見の様に白障子の方が「独り」の思いを深くさせるかもしれません。

Dさんの評
ちょっとミステリーゾーン。山中のお屋敷で、どの部屋を開けて中を見てもよいが、この箪笥だけは決して覗いてはなりませぬという昔話のようだ。それでも人は禁をおかしてしまう。

まず自解  どの部屋をあけても独り/障子更ふ
自分のことでは無く、叔母の姿を詠んでみた。
叔父が無くなってからもその淑とした姿勢はみごとに変わらずにいる。
子供等も独立し,たった一人で住んでいる家は叔母一人では大きすぎる。
それでも,自分の行動半径だけを身綺麗するわけでなく。例年のように
いつ行っても、掃除が行き届き。季節ごとの絵や花々も換えている。
障子貼りは自分で行ったのか,業者に頼んだのかは分からないのだが、
作者としては前半の叔母の姿を詠みたかった。後半はBさんの評に
うなずける。

句会の連衆の評は本当にありがたい。
遠い結社の主宰を師と仰ぐより、連衆の評を信じる。


      ころころの今日の俳句

       覚へきて鏡に手話す夜長かな


      ころころの独り言

         明日は絵をかくぞぉ~


      ころころのお気に入り


         縄文の湧水に触れ夏終わる   あいさ


     今日の写真も烏瓜・・
 


 
コメント

俳句と書と絵

2005-09-23 20:21:32 | Weblog
   何となく蒸し暑かった。

 義父が帰ってきたのは,今朝6時過ぎ・・怪我も無くなにより。
 本人の記憶の曖昧のまま,一日眠りこけている。
        
 仕事場なり,友人からリタイヤ後の過ごし方など羨まれる事があるが、
 まだ俳句というものに少し煙ったさがあるようだ。
 「私にはそう言う才能も無いし・・定年したら田舎で野菜作り
 でもして・・」そう言う答えが多い、何でもそうだが野菜作りが
 それほど甘いものだと思わない。都会の区民農園みたいなものとは
 違うはず。

 姉に出した絵手紙を店に飾っているらし・・何とも恥ずかしい
 姉からもっと絵を描いて欲しいと言われた。
 そして,絵に文字も書いて欲しいと・・
 
 俳句と書と絵  それが1枚の葉書に揃うことなど100枚描いても1枚
 有るか無か、なのに。
 いい絵が描けた日に書を乗せないと,なんとも落ち着きの無いものになる
 俳句は自然と詠むことが出来るが、絵と書の関係はそうはいかない。
 例えば純白の絹地の上に墨で書くような,失敗は許されない緊張がある。
 同じ滲み,彩の絵は二度と描けないし、同じ書は二度と書けない。
 
 また、絵も書も揃ったところで今度は真剣に考えると俳句が無い。
 絵も書も揃っているから、尚更拙句ばかりで気に掛かる。
 まあ、それほど大したことないのだが・・・
 小心者がやることだから。とりあえず姉には断ることとなる。


        ころころ今日の俳句


         桃井かおりは斜めのをんな烏瓜


        ころころの独り言


      俳句も絵も書も一生懸命。そのエネルギーを
      仕事に生かせないのが最大の欠点かも・・・

        日雇いの列の最後の懐手  なんてことも

    
      ころころのお気に入り


        往診の大き鞄や夏終わる    みつこ

 

 
 
 
 
コメント (2)

老いと向き合う

2005-09-23 00:23:02 | Weblog
    涼しい一日
  
  「ご両親健在でなによりですね」「御蔭様で」
  この会話で今まで過ごしてきた。
  しかし、何時までも元気でとは行かないもの・・
  私の両親はすでに介護認定、要介護5を受け在宅で診療、
  看護を受けている。
  先日、いよいよ妻の実家の認定申し込みをして来た。
  義父はまだらの認知症(アルツハイマー)義母は鬱で
  外見からは見分けにくく,従って認定も中々思い通りに
  進んではくれない。
  まだらと言うのは普段は何でもなく,突如としてでるから
  手のつけようもなく、その都度の解決となる。

  今夜も今年4回目の捜索願を出した。
  夕方5時に薬局を出てから今だ戻っていない。
  私も夕飯のあと2時間ほど駅周辺を歩いて探してみたものの
  目的が分からないので手がかりもなく,妻の兄弟も同じ結果で  
  、警察にお願いしたが・・今だ連絡も無く時間の過ぎるばかり

  4人の親の愛情を一杯に受けてきた。恩返しでもなく,使命でもなく
  今度は私たちが愛情いっぱいに親の老いを看取ることを
  したいと考えている。親子だから・・・

   
        ころころ今日の俳句

     
         リハビリの胡桃に母の温みかな


        ころころの独り言

     
        事故も怪我も無く早く戻ってくることを祈って・・


         ころころのお気に入り


      親と子の宿世かなしき蚊やりかな   久保田万太郎


 
  
コメント

誇れる句会

2005-09-20 23:21:39 | Weblog
     

  やっと今月のボード句会の選が終わった。
  毎回佳句に出会う。
  これほど力の拮抗している仲間との句会は無いだろうなぁ。
  真打の大喜利みたいな句会。
  結社やカルチャースクールのような一方向を向いた
  句会ではない。何処から矢が飛んでくるのやら・・・
  選評を見るとき興奮は,一番の楽しみとなる。

  私たちの句会は仲間の人格は勿論、何より俳句がいい。
  また,選評によって没句寸前の我拙句がそれなりに見える
  から不思議なものだ。
  各人の抽斗の深さに毎回驚かされる選句力。
   
  大喜利のような・・といって私は木久蔵かい!切腹!


    ころころの今日の俳句

        木道を渡る口笛鰯雲

    ころころの独り言

     
     いつかこの仲間の句集を出したい。思いっきり
      手作りの匂いのするものがいい。


     ころころの今月出会った佳句

      虫の音に老後の備へ問はれけり

      小烏の揺する葡萄のアラベスク

      初栗の添え状にある湿りかな

     眺めがいいなぁ

 

  
コメント

久しぶりに植物園

2005-09-19 23:03:57 | Weblog
      まだまだ暑い一日

   連休二日目,久しぶりに近所の赤塚植物園へ
   今年は毎月来ているが9月は特別期待するものがあった。
   「白彼岸花」去年見ている、その美しさは赤い「彼岸花」
   とは趣が違う。
   
   入場門近くの花壇には鶏頭,葉鶏頭,秋桜
   目的の「白彼岸花」は一番奥の薬草園に咲くはず・・

   順路の中ほどにはそろそろ萩が咲きはじめている
   このころは大型の蝶や黄蝶が多い、蝉ももう
   ほとんどが法師蝉,最後の力を振り絞って鳴いているよう
   に、聞こえる。

   意外と花が少ない,秋の花は晩秋に集まっているのだろうか?
   なんとも心もとない俳人だ。

   やはり,咲いていた!二株ほど、まだ咲き始めなのだろう。
   赤い彼岸花にはその毒々しい色から様々な名を付けられて
   いるが、白い彼岸花は全く裏腹な印象を覚える。
   10月の句会まで咲いていてくれるだろうか?
   仲間にも是非みてもらいたい。

   我々の句会で1年間の定点観測の地として赤塚植物園を
   選んだ、今では何時、何処にどんな花や実を付けるか、
   判るほどに歩いた。俳句のおかげと言うべきや

     ころころ今日の俳句

       曼珠沙華炎といふ字咲にけり

     ころころの独り言

    夏の疲れが少しでているようだ。気力が落ちている。
    もう体力だけに頼る齢ではないことは承知をしている。
    
      ころころのお気に入り

      
      バトミントンして凶作の村役場  小沢昭一
 


     
   
コメント (4)

良いお月見となりました。

2005-09-19 00:42:16 | Weblog
    

  今日は何回東の空を見上げたろうか?
  句を詠むというより,人の句を鑑賞するには
  もってこいの満月が上がった。
  何か心昂ぶるものを感じつつ・・
  
  人の生き死に・・
  作物の出来,不出来に・・
  汐の干満に・・
  何か紙一重の不思議な力をずっと感じている。
  
  デジカメを向けると月の回りに光りながら跳ぶものが見えた
  撮影を止めて肉眼で見ても何も見えない。
  もう一度覗くとやはり見えている。動いている。
  不思議と思いつつも満月にあって、それを自然と受け止めて
  いる自分がいる。

  月は昂ぶる心も冷静な心も私に与えた。
  
        ころころの今日の俳句


        恋人の言葉は魔法星月夜 

     
        ころころの独り言

    
    今日の俳句は29歳の時のもの,今読むと恥ずかしい
    手紙ならとっくに破り捨てているのに・・・

       ころころのお気に入り

    
      陋屋や満月捕らふヘリの影    古賀一弘


    

    
  
  
  
  
 
コメント