(かんぼく 肝木 赤塚植物園)
雷が去ってやっとPCを開く事が出来ました。
春の雷でPC,プリンターとも故障の打撃をうけ
とうとうプリンターは新しいものを買う羽目になった
わけですから・・・・
もう今日は5月31日。とうとう五月雨も詠まなかった。
そうそう現俳の選句締め切り、明日には結果が出る。
今回は自信がないなぁ。
(かんぼく 肝木 赤塚植物園)
雷が去ってやっとPCを開く事が出来ました。
春の雷でPC,プリンターとも故障の打撃をうけ
とうとうプリンターは新しいものを買う羽目になった
わけですから・・・・
もう今日は5月31日。とうとう五月雨も詠まなかった。
そうそう現俳の選句締め切り、明日には結果が出る。
今回は自信がないなぁ。
(昼顔)
昼顔の明るさにあり流人墓 ころころ
昼顔に玉石据えし流人墓 那須乙郎
昼顔やふるさとを向く流人墓 藤原たかを
今日の拙句、は32~3歳ころ詠んだものですが、
さっと検索しても、類句がでてきます。
あえて掲載しましたが、当時はパソコンの普及も無く
検索の術もありませんでした。
今となっては20年遡って訂正するわけにいきません。
同じく昼顔と海、昼顔と雨、昼顔と墓などとの風景の
組み合わせは高名な俳人をもっても多くあります。
類想、類句については色々な考え方が有りますが
これを否とばかり教える人の下では俳句の上達は
望めません。俳句の勉強は何でも詠む。そして切り
捨てる。それでいいと思います。
私自身の俳句の裏話をすれば・・・
当初は師匠のまねばかりでした。
ある時は私の句が絞り込まれて師匠の句になる時も
ありました。でもそれでいいのです。
意識的な盗用でなければいいのです。
おおいに俳句を楽しみましょう。
昼顔の砂を鳴かせて旅の靴
連衆のは様から頂きました佳句です。
(ブラックベリー 赤塚植物園)
果樹の香の低きにありて梅雨間近
ブラックベリー疑心暗鬼の花の色
*今日も添削の例を見て推敲の参考になればと思います。
△新樹光石仏の足に苔の靴
○石仏は苔を履きまし新樹光
新樹の光が降りそそぐ石仏、よほど古いものらしくその足元
には苔に覆われていた。「苔の靴」という発想は悪くは無いが
足といって靴とういのはくどい。なお上五が名詞で下五も
名詞というのはよくない。「まし」というのは仏にたいする
敬語として用いた。
△堂に錠ことりとかけて蝶まぶし
○堂に錠かけ夏蝶をまぶしめり
「ことりと」が聴覚で「まぶし」が視覚になる。
視覚で統一すると、暗い堂に向けて錠をかけ、ふりむくと
眩しいほどの明るい庭、ひらひらと舞ってゆく蝶が
ことさら眩しい。といった構成になる。
眩しさを強調する為に蝶(春)から夏蝶とした。
如何でしょう?私たちが添削指導を受ける時
どういうところがいけなかったか、どう言うふうに考えたら
良いのか、またその添削の過程が知りたいものですよね。
そこが判かれば同じ間違いは、しなくなります。
只々、添削を受け入れるだけではいけません。
また指導者はそこを教え解いて欲しいとは思いませんか。
(カルミア 赤塚公園 )
麦秋や瓶を一気のコカコーラ
カルミアというのはアメリカシャクナゲと言うらしい。
カルミアや・・・・なんて詠めるわけがないでしょ。
たとえ詠んでもカルミアから説明しなければならないし。
という訳でアメリカ繋がりで今日の拙句となりました。
* 林翔先生の添削指導の一文を紹介します。
(掲句はころころのものではありませんが)
△ 若竹の反り身え土蔵風返す
○ 若竹の反り身へ風の吹き返す
「若竹の反り身」というのは大変いい。情景を目に浮ばせる
効果がある。土蔵に当たった薫風が跳ね返るように若竹を
吹き撓ませるのだろう。着眼も良い、しかし芭蕉は「いい課せ
て何かある」と教えている。土蔵まで言わなくてもいいのだ。
言うから却ってごたごたして情景再現を妨げる。
言わなければ読者は築地とか色々なものを連想するだろうが
それでいいのだ。なお「反り身え」と言うのは新かなにも
旧かなにもない。何事にも無頓着な人は大成しないと肝に
命じてて欲しい。
あえてこの一文を載せました。俳句はただ佳句を目指す
だけではいけないのです。心使いは、言葉選びから
はじまって、鑑賞者、読者をも意識の中に置いて、また
句会にあっては連衆、幹事、主宰などにも進行を助ける
ような行動をとる事が俳句をするものの心得とすべしと
教えられました。
(カクテル 赤塚植物園)
ほの風に紅の遊べる一重薔薇
羅や葉書の重さふところに
朝から体が痛い・・・
スポーツの翌日に筋肉痛が出るのは若い証拠と
よく聞くが、これが二、三日残るはず。
日頃の運動不足はまちがいない
一昨日のブログに対して友人からメールが届いた
「多作に得られるもの」を教えて欲しいとあったので
今日は少し書き加えてみます。
多くを詠めば多くを捨てられるということでしょうか?
例えば私の経験した1題50句吟となると、頭や心にある
ものすべてを駆使してもそうは詠めるものでは有りません。
つまり1題に想をすべて吐き出させて、自分の視野の狭さを
自覚することで、足りないものが分かってきます。
2~3句詠むだけなら、その詠んだ景色に固執して、たとえば
月並みな発想から抜け出る事は難しく、それらを幾らひっくり
返しても、佳句には程遠いものとなります。
人の感覚、視覚はそれほど違いは有りません。
類想、類句は当たり前と思うべきです。
そういうものを捨て去って、補ってゆくうちに自然と
自分なりの視野、視角ができてくると思っています。
よく「詠めない」と聞きますが「詠まない」のほうが当たって
いるのではないでしょうか?
どうぞ、多くを詠んで多くを捨てて下さい。
何より多作の効果と見られるのは、吟行に強くなりますよ。
(ブラシュの木 赤塚植物園)
ブラッシュの花や口紅引き直す 竹子さん
只今。戻りました。今日は久しぶりにゴルフに行って
参りました。4年ぶりで51,52ならまあまあでしょう。
可笑しなもので、以前だったらゴルフに集中していたのに
左から鳥の声がすればしたで、右から虫の声がすれば
したで、俳句を考えている自分がいるのです、
今日の掲句は勝手に掲載してしまいました。
ごめんなさい。
(大山蓮華 赤塚植物園)
大山蓮華覗かれて蕊赤し
覗かねば大山蓮華貌見せず
花片を目深に大山蓮華かな
今日の拙句、同じような内容で季語の大山蓮華を、
上、中、下に入れて遊んでみましたが、いかがでしょう
たまに句会に参加すると、まあ吟行の即吟だから
でしょうが、もったいない佳句に出会います。
推敲不足で何かギクシャクしたり、リズムが悪かったり
、推敲の初歩は倒置からで、分かりやすく言うと
上、下を入れ替えてみるのです。
対象(季語)のものを強く詠いたいときは下にあるほうが
どちらかと言えば効果的で、二物衝突、二句一章の
ような場合は上にあって中、下で突き放したほうが良いと
思われます。
その二句一章で対象が下にくると、観念づけの
種明かし俳句というような形に注意すべきで、
でも一番陥りやすいのが、「山本山」「観音開き」という
中を中心に上、下そのまま入れ替えても俳句になって
いまう形です。
絶対に駄目というわけではないので、参考に・・・・
ころころは毎日、毎日、よく詠めるなぁ・・
なんて思われたかたへ
初学の20代のころ、所属の結社の青年部勉強会は
教室に10時集合で一日3回句会が有りました。
題詠ですが、例えば「金魚」で50句提出といったような
形式で当時、青年部は6~7名でしたが、それでも「金魚」
だけで300~350句です。金魚鉢いっぱいですよ・・・
内容はともかく多作が苦でなくなるほど鍛えられました。
一番苦だったのが、鑑賞文500字詰原稿用紙一枚以上
当時は秋桜子の句の鑑賞が多かったと記憶しています。
だからか?・・今は秋桜子の句集は読みません。
(秋桜子ファンの方、すみません)
多作をして得られることも多いのでこれも参考に・・・
(きょうがのこ 赤塚植物園)
京鹿子に雨来るまでのしずごころ
京鹿の子をんな庭師のやすみ処
「京鹿子」は初めて詠んだが、まだ観察にも至らず
なんとも付け焼刃の拙句となりました。でもでも
植物園の庭師に一人女性が居るのですが・・
紅見せてをんな庭師の更衣
なんて、ころころらしい句が詠めてました。無理矢理
「京鹿子」につけて失敗でした。
さて「京鹿子」という結社があるのをご存知でしょうか
大正九年に京都、鈴鹿野風呂(すずかのぶろ)が
創刊したもので、亡兄のお気に入りの俳人でした。
手元には現代俳句大系の三巻に収蔵された「浜木綿」
という句集のみ野風呂の句を知ることができますが
句集のどの頁を開いても旅吟であり、写生が中心と
なっています。旅吟といっても多くは伊勢志摩あたりの
景色が数年にわたり詠みこまれています。
図書館などで是非、見てください。
そして我庵?ころころ庵にこの野風呂の書があります。
友人であり。書の先生でもある人から頂いたものですが
恥ずかしながら・・読めません。
玉笹を櫛に(?)七月の鮎匂ふ だろうか?
(みやこわすれ 赤塚公園)
灯に淋し都忘れの色失せて 稲畑汀子
どう詠もうとしても、発想が付きすぎになってしまう
とうとう削除してしまい、汀子先生の登場となりました。
都忘れ この花の名前の持つイメージは強烈だ。
検索にかけても「秀句」もなく、先人においても類想に
近いものを感じます。
処方箋としては二物衝突、二句一章にすれば、
ころころでも詠めそうな気がする。
どなたか、自信作を投稿お願いします。
21日送られてきた現代俳句IT句会の選句作業は
今月も1100句ほどの中から5句の選。
かなり目が疲れる、ようやく今日選句を終えて送信した。
1100句を詠むだけでも2日がかりで、、予選で18句
に絞ってやっと5句になった。
私の選句スタイルはルビ俳句、書き分け俳句は飛ばし
難しい漢字のものは、それを調べている間も無いので
これも飛ばしながら1100句頭から2度読み返す。
投句数の多いネット句会のために秀句も見逃している
可能性もあるがしかたがない。
選句するかどうかは自由、でも自分なりの責任でしな
ければ、ころころの句を採って頂いた方に申し訳ない。
仕事をリタイアしていずれ俳句三昧となる身なのに
いまからこうでは、自分の事ながら思いやられる・・
あ~っ 疲れた。