瞽女(ごぜ)さん

2005-11-30 05:58:43 | Weblog
       磯菊

瞽女とは、三味線を携え農村・山村を巡る盲目の女性遊行芸人である。ゴゼサン・ゴゼサなどと呼ばれた。「一年のほとんどが旅で明け暮れ、目的の村に着くと<瞽女宿>という泊まりつけの家に荷をおろしては、家々を門付けし、夜になれば、村人が集まり瞽女の本領である段物や口説、民謡などをきかせ、喜捨の米や祝儀が収入となった。」(「新潟県県民百科事典」)新潟県内では、高田瞽女・長岡瞽女が2大組織だが、柏崎近辺では刈羽瞽女とよばれる集団が存在した。

水上勉原作の「はなれ瞽女おりん」の映画を観たのはかれこれ20年もの前の事だった
主演は岩下志摩、原田芳雄だったと思う。

俳句を始めて知った瞽女という存在だが、それに関する書物を読めば読むほど心うつ
ものが有った。当時の「雲母」のなかに西本一都という俳人の句を目にして俳句が
短詩ゆえに伝わるものの大きさを感じた。

     子別れの瞽女唄なれば息白し
     瞽女のやど雁木づたひの小暗がり
     着ぶくれていやしからざるおとな瞽女

 これは西村一都の「瞽女無明」24作の中の3句。
 瞽女と生活をともにして得た連作だと聞く。

日本海側の風土はそこで生活をしてみなければ到底詩にできない、私は書物や映画等
での感動を詩に詠うしかないのだが・・・


     ころころの今日の俳句


       瞽女唄に時折はげし冬の雷


    ころころの独り言

  現俳の選句締切り日、やっと選句をすませたが・・結果はいかに・・



      ころころのお気に入り


       源流をくしけづりゐる芒かな   細見綾子
 
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私の吟行は右脳から

2005-11-27 23:01:23 | Weblog
      さねかずら

 日本人に洋楽と邦楽を聴かせ、左右のどちらで聴くかを調べた面白い研究があります
 その結果、ヴァイオリン、ピアノなどの西洋楽器の音は右脳、尺八、琴などの
 和楽器の音は左脳と聴き分けていたのです。また虫の音も、欧米人が単なる音として
 右脳で捉えるのに対し、日本人は“風情”として左脳で感じるとか。
 「わび・さび」という言葉がこの国に生まれたのも、納得できます。

 こんな記述を読みました。右脳は音楽感覚、空間構成、左脳は計算処理、
 時間連鎖的思考の働きに関係すると言われ、また男性は女性に比べ右脳が
 発達していると言われ、例えば景色を人に伝えるとすれば、男性はスケッチで
 女性は言語でしたほうが効率が良い事になります。
 
 私の吟行はメモを取らないでいます。取るとすれば呼称、名称、などだけで
 目がカメラのように大景のみを強く心に焼き付けて来ます。
 その時間は長いほど焼きつきが強くなり、いざ句作を始める時、牛のように
 画像を反芻して言葉となります。いくら美しいからと言って花鳥を凝視して
 いたのでは、どこの花鳥を詠んでも同じになってしまうからです。
 写生においても、図形と色で記憶しているようにも思います。

 右脳で捉え左脳で表現できれば良いのですが、そうもいかないようです。


            ころころの今日の俳句


           庭師また絵師の如くに松手入れ


            ころころの独り言

 実家に行って実家の冬用意をしてくる。灯油などの入っている倉庫の
 蝶番の交換をして、父の冬物の入れ替え、逆縁だった兄の仕事は私がする
 また、父が小さくなったような気がする。


          ころころのお気に入り


           今思へば皆遠火事のごとくなり  能村登四郎
 
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誰の心にも・・・

2005-11-25 23:31:20 | Weblog
     野地菊

 今から22~23年前、仕事でJR南千住の駅近くに三ヶ月ほど通った
 ことがある。国鉄常磐線で上野から三つ目の駅、駅のホームに立つと北には
 工場の煙突と東京球場が見える。南を見ると浅草の花やしきの五重の塔がかすかに
 見えるほど高い建物はなかった。
 
 俳句を始めて間もない私には、作句意欲も旺盛で通勤も吟行のようなもの、
 目に映るもの何でも句種にしていた。一ヶ月に一冊大学ノートの作句帖が
 埋まる。推敲から、メモから、なんでも書くから一冊など分けなく埋まった。

 ある日、南千住の改札の脇の掲示板に下がるガリ版刷りの「俳句」と言う文字を
 見つけた。わら半紙で2~3ページのもの、手にとると手書きだが、山谷俳句と
 あったと記憶している。山谷・・・日雇い労務者のどや街である。どや街とは
 木賃宿のやどを逆さに読んでどやであり。けして環境の良いところではなかった。
 朝、その日の職にあぶれた人たちが車座に酒を飲んでいる風景は毎日のようにある。

 そのどやに住む人たちが作った俳句集だった。
 さまざまな理由でここに生活しなければならない人達が、郷愁、母恋、仕事など
 思うに任せ詠んでいた。

 「一人来て群衆となる土手花火」
 「土工より知らぬ世渡りおでん吹く」
 「銭なくて櫻の故郷は遠くって」

 今は山谷俳句会として地区行政下にあり、20年を迎えるという。
 10年目には「車座」という記念句集を出したそうな.
 
 カルチャースクールや結社で俳句を習うほど豊かな暮らしは今でもないし、
 先生がいるわけでもなかった当時、ここにも心を揺さぶる人間のうたが有った。
 昨今一部では、結社の同人になるにも、同人誌の巻頭句にもお金が動くらしい。
 テレビに出ている俳句の先生は豊かに見えるのは私だけだろうか?


       ころころの今日の俳句


         雇用票手に車座の焚火かな


       ころころの独り言

   写生は俳句の大切な基本、しかし物語(詩情)のない俳句にひとの
   心を動かす力が有るのだろうか?


       ころころのお気に入り


       玉子酒つくる老い母だけの智慧 滝 春一


 
         

 
 
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句会について

2005-11-23 17:56:07 | Weblog
      万両

 現代俳句協会のIT句会が選句モードに入った。
 今月の投句も952句、いざ選句となると予選だけでも3日がかりになる。
 その句会の掲示板にこんな投稿がありがっかりしました。

 「選句も1000句となると限界ではないでしょうか。
当句会は初心者・熟練者が混在して参加しているため、時には鑑賞に堪えない駄句も
見かけます。そこで提案させて頂きたいのですが、「5句投句・5句選句」から
「3句投句・5句選句」へ変えてはいかがでしょうか。選句者の負担も軽減され、
投句内容の質も向上するでしょうから、一挙両得と思いますが・・・。」

 投稿者には初学の時代は無かったのでしょうか?
 私は鑑賞に堪えない駄句など今まで出会ったことが有りません。
 句会は当然、色々な方が参加しています。正解という答えもなく
 ただ参加者に自分の句(詩情)を鑑賞してもらい、支持を得たいと
 思うだけです。指導者の参加しない句会は互選が一応の目安ですが、
 それが佳句であるとは言えません。支持を得たに過ぎないのです。
 また、指導者が参加していても、その指導に対して適切に答えた句が
 佳句であるという判断が有るだけです。

 この投句者は連座の中ではこの発言は出来ないでしょうね。
 IT句会は連座の句会の延長線上にあるものだと思います。
 ある意味、人間賛歌でもある俳句。
 どのような句であろうと、選句の姿勢が俳句の力でもあると思っています。

 最近参加した句会で気がついたこと。投句の一句に読み仮名の()書きがありました
 これは、連衆に失礼なことになります。読みづらい漢字はひらがなで投句する。
 そのことはその句会で教えて差し上げればよかったと反省しています。
 

         ころころの今日の俳句


          藍甕の機嫌ほどよし星月夜


        ころころの独り言

 横井也有の「鶉衣」に“俳席の掟として飯は芭蕉の奈良茶飯を専らとし一汁一菜、
 魚鳥は有るに任せ夏は茄子、常に豆腐を用ふ” こんな記述を読んだ。
 豆腐嫌いなころころは掟破りなのだ。


         ころころのお気に入り

     
          ゆらゆらと母の齢や新豆腐 古賀まり子

 

 
 
 
 

 
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色を詠む

2005-11-22 19:47:55 | Weblog
        今日の絵は実むらさき(紫式部)

  A)  白梅のあと紅梅の深空あり 飯田龍太
      青すだれ透す一塊の白き石 青邨
      赤と青闘つてゐる夕焼かな 波多野爽波
    
  B)  れもん一つ緑の風の香に立てり 多田裕計
      柴漬のま青の笹を上げにけり 三上房江
      白絹を縫ふ縁先の青木の実 鳥井信行

  C)  白といふしづかな色の紙を漉く 大崎ナツミ
      青といふ色の靭さの冬の草 後藤比奈夫
      赤多き加賀友禅にしぐれ来る 細見綾子

 
 A.B.C群それぞれに色を織り込んだ句があります。
 A群は二色をそれぞれに、B群は色に隠れた色がC群は単色そのものを詠んでいます
 私は勉強不足であり、A群を詠むと片方の色が負けてしまいます。負けるという事は
 二色の対比ではなく、片方の修飾にしかならず、かなり意図が見えていいるという事に
 なるわけで、一般的に多い失敗はこれに当たると思います。
 ではC群はと言うとかなりの写生眼か色に対する感性が必要になり、感性においては
 独り善がりになりかねません。ただ、決まれば鮮やかな一句に仕立てられます。
 そこでB群ですが、この取り合せは、意図が無くても自然に詠みこまれる事があり、
 私の句もこのような句が多いようです。この組み合わせは隠された色とのバランスが
 大切なような気がします。

 私の大好きな俳人 飯田龍太の
 白梅のあと紅梅の深空あり(しらむめのあとこうばいのみそらあり)
 美しい韻ですね。
 ここにはもう一つの色が隠れています。その色は鑑賞者の思いの色です。
 


      ころころの今日の俳句


        白鳥の一尋に抱く夕日かな


      ころころの独り言


  色を詠むのも難しいけど、色香を詠んでみたいなぁ。俳句と食には欲が
  有るのに、他の欲が余り無いのはある意味電車男かもしれない。


      ころころのお気に入り


        ことのほか赤を好めり晩年は  明子
 
 

    



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歳時記に載ろう!

2005-11-21 23:10:23 | Weblog
      今日も落葉です。

 タイトルは少し大げさでした。私の持っている最も古い歳時記(季寄せ)は
 昭和32年改訂版、説明も旧かなのままで、読み疲れてしまいます。
 2~3日前から「ボジョレ・ヌーボー」を一度詠み込もうと考えていましたが、
 それが季語の斡旋に困ります。もう何処かの結社の歳時記には季語となって
 いるかもしれませんけれど。

  葡萄酒のねむれる蔵に残る虫   石原八束
  古葡萄酒聖夜をすごし又古ぶ   能村登四郎
  鳥巣立つ葡萄酒の透く日の中へ  福田甲子雄
  葡萄酒の瓶にさしけり赤き菊   寺田寅彦

 葡萄酒ならこのように季語をつけて詠まれていますが、「ヌーボー」は「新」と
 訳すと「新走り」?と、言うわけで散々検索を重ねましたが、「ボジョレ・ヌーボー」 の例句さえも有りません。この際、佳句を先んじて詠むことが出来れば歳時記どころか
 どこぞのワインメーカーから、キャッチコピーの依頼なんかもきたりして・・・・
 冗談は兎も角。密かに挑戦中で有ります。
 近い将来必ず「ボジョレ・ヌーボー」は季語になるはずです。
 私の昔の句会の仲間であり、このブログでも句を何度か紹介した湯浅辰巳さんの
 喜雨の音次第にはげし目と目会ふ  はある歳時記に例句として載っています。
 どうぞ、先んじて詠んでください。

     ころころの今日の俳句

     鏡中に酔へる吾ありボジョレ・ヌーボー

   
     ころころの独り言

      いやはや、やっぱり難しい・・・


     ころころのお気に入り


      ぐいのみといふ言葉好き新走り   中田品女

      

     



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酉の市の句の研究

2005-11-20 20:37:31 | Weblog
       今夜12時過ぎれば二の酉

 酉の市には三の酉まである年がありますが、いざ句に仕立てようとすると
 一の酉、二の酉、三の酉の違いを詠む事が出来ない。
 こういうときは大雑把に酉の市と詠めば,支持をえられもの。なまじ
 違いを詠いたいと思うからいけないのかなぁ・・・

 1)辻に来て夜空が広し一の酉   渡辺千枝子
 2)八つ頭刺す篠青し一の酉    小野宏文
 3)駆引きのさてはかどらず一の酉 佐藤瑠璃
 4)刈り立ての髪の吹かるる一の酉 佐藤輝城
 
 5)二の酉へくらがりいそぐ小百姓 杉山岳陽
 6)二の酉の果しままなる雨夜かな 新井声風
 
 7)たかだかとあはれ三の酉の月  久保田万太郎
 8)いただきし火伏の護摩や三の酉 内山阿川

 確かに微細な違いを言い当てている。
 私の中の微細な違いは参詣する人の顔かもしれない。
 1)~4)の一の酉、やはり商人や板前の顔が浮ぶ。
 今年一年商いが上手くいった者は感謝と来年もという気概が見える。
 12時の一番太鼓が鳴る頃には,暖簾を仕舞って飛んできた人の顔がある。
 やはりピンと張り詰めた空気を感じる。

 5)~6)二の酉 中だるみなものを感じる。気ぜわしさを感じないのも
 年末とはいかない為だろう。物見高さで参詣する酔客も目立つ。
 昼間は主婦、サラリーマンの帰宅途中の顔も見られる。

 7)~8)三の酉 やはり気ぜわしさと来年の商いや営みの希望がある。
 酉の市が終わると年末が始まるということが同時にやってくる。
 この頃になると、小さな商店主などの顔や飲み屋の女将さんが浮ぶ、しかし
 三の酉には雑多な人々がいることも確かなのだろう。

 他の皆さんはどう詠み違えますか?
 ぜひ、詠み違えてご紹介ください。

         ころころの今日の俳句


         値切りては祝儀をはずみ酉の市 


         ころころの独り言

 酉の市ばかりではなく、四季の水,風、雨を詠み違えるのも難しい。
 これは俳句作家のテーマかもしれない。


         ころころのお気に入り


         熊手市にうづくまりきく街の音 石原八束
 
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下町ってどこ?

2005-11-19 21:47:06 | Weblog
    猫もうとうと小六月

 「下町とは?」
 都市の市街地のうち、低地にある地区。主に商工業者などが多く住んでいる町。
 東京では東京湾側に近い下谷・浅草・神田・日本橋・深川などの地域をいう。
 
 これは一応の定義みたいなもので、本当のところ、下町にはその中でも,上(かみ)
 下(しも)ありまして。それなりに心意気が、違います。
 隅田川がそれを分けています。言葉は悪いのですが、お互いに「川向こう」と言う
 小さな差別があると言っていいでしょう。
 日本橋、神田、浅草の対岸の深川,本所,向島とではお祭りの時期さえ違います。
 (神田明神祭、三社祭など春、夏祭、深川,本所,向島の祭は夏,秋祭り)
 芸者衆の意気も両国橋を境に柳橋芸者と深川辰巳芸者、言問橋を境に浅草芸者と
 向島芸者おおいに旧花街の競い有ったようです。
 
 それで言うと芭蕉庵は深川、子規庵は入谷、これもかみしもの関係に在ります。
 浅草寺と深川不動尊。言葉も噺家の使う下町の言葉は上の言葉です。
 下の言葉はもう少し粗雑です。下は木場など上流の秩父の言葉や小名木の漁師
 言葉も大いに混ざったのではないかと思います。

 私の生まれた両国は本所にあたり、子供心に少々川向には羨望が有ったような
 記憶が有ります。
 赤穂浪士が吉良邸(両国)に討ち入って,両国橋を渡らなかった理由に、
 吉良を討って,近くの回向院へ赴くはずが閉門時間外と入院を断られ、浅野匠頭の
 墓所の高輪泉岳寺に行くのにそのまま両国橋を渡るのが一般的ですが、そのまま
 進むと武家屋敷を通ることになり、不測の事態を避けたようです。
 その武家屋敷に続く下町が上(かみ)の下町というわけです。


        ころころの今日の俳句

 
         小春日の猫まるまると日篭れり 


         ころころの独り言

 今日のブログの内容のこと、いつか何かに書き残したかった。そこに生まれ育って
 こそ、わかる事。子供の頃、兄と手をつないで行った浅草寺。言問橋を渡ります
 それは精一杯の冒険だったのかもしれない。


         ころころのお気に入り


          都電まだのこる王子や酉の市  長屋せい子



 
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もうすぐ一葉忌

2005-11-18 22:01:48 | Weblog
   菊日和(浜菊)

 11月23日は明治の女流小説家、樋口一葉の忌日である。
 本名は夏子、明治28年「たけくらべ」が森鴎外などに認められ
 一躍流行作家になったが、すでに結核に胸を蝕まれてをり、25歳の
 若さで夭折した。代表作品に「にごりえ」「十三夜」などがあり、
 他に日記が詳細に記せられておりいるのは有名。
 下町の風俗を描写した作品が多く、その庶民性が俳人にも共鳴されている。
 路地奥に駄菓子屋を営んでいたことも知られている。

 地下鉄三ノ輪駅から7~8分で千束稲荷神社、ここでの祭が「たけくらべ」の
 前半が展開する。18~21歳までは本郷菊坂に母妹とともに住んでいた。

 私自身は一葉忌の句を詠んだものが少ない。どうしても小説の内容から、
 イメージを斡旋してしまい、しまりの無い句になるので記録にもない。
 21日は二の酉、帰りにその近辺を歩いて、句を授かりたいと思う。

    あらいたる障子立てかけ一葉忌  久保田万太郎
    妻が継ぐ母の針箱一葉忌     中村信一
    一葉忌一商人の妻もよし     沢田しげ子


       ころころの今日の俳句


        おむすびは母の手塩や一葉忌

       ころころの独り言

 
   苦手な季語はすぐ浮んで来るのに、お気に入りの季語、愛用の季語と
   なると、悩む。しいて言えば生活の部類の季語なら何とか詠めるが、
   やはり花鳥諷詠の季語は難しい。季語は写生に基づくものと、季語の
   意味から心象に写る物とあると思うが、心象は苦手だから・・・


       ころころのお気に入り


        モンタンの「枯葉」聴く夜の湖底めき  谷矢須子 

 
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俳句と俳画

2005-11-17 18:26:01 | Weblog
      紅葉の平均日が温暖化で遅れてきているらしい

 私の描いているのは俳画ではなくなんでしょうね。
 
 俳画となると決まり事が3つほど有るそうで・・・
 ①省筆(筆数を少なくして,単体を主題にする)
 ②淡彩(色彩を少なくして淡い色にする)
 ③余白(余白部分を多くして空間の広がりを持つ、句を書き込む為にも)
 

 昔々,蕪村さんが「俳諧物の草画」と言った時代にはそんな決まりごとなど
 無く「仏画、大和絵,南画」などに属さない、簡素で稚拙で素朴な略画的な
 ものをさしていたそうですが、「草画は磊落がよい」とも言ってます。
 「磊落」・・早い話が「下手が良い」と」解釈しております。

 ある人が俳画はどこか必ず未完成なところ、省略がいるとこは俳句と通じる。
 と言ってました。
 私にとっては、銭湯の絵のような、何だかいいなぁ~がいいと思っています。
 最近になって、連句の付けみたいな関係がいいと感じてきてます。
 つまり句と絵が付き過ぎても離れすぎてもよろしくない。もしお互いが
 引き立てあえば「しめたもの!」でしょうか?ね。

 「私は絵が下手だから・・」と仰らずにぜひお試しください。
 最後の手段は写画(写真に句を書く)というのもあります。参考までに。


      ころころの今日の俳句


        画仙紙の黄葉いそぐ滲みかな


      ころころの独り言


  あちこちで忘年会のお誘いが入る、全部出るわけにも,欠席するわけにも
  いかないし。5回まで絞らなくては・・・


      ころころのお気に入り


         この村の人は猿なり冬木だち 蕪村
 



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