デジカメぶらりぶらり

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登山

2012-05-10 08:25:04 | Weblog
日本の登山史上、最大級の遭難といわれるのは、50年前に大雪山で北海道学芸大函館分校の山岳部が合宿中に遭難した事故だ。

部員10人が死亡、生還したのはリーダー一人だった、長年の沈黙を破った当時のリーダー野呂幸司さんを取材した川嶋康男さんの「いのちの代償」は、強烈な吹雪の中、疲弊して倒れていく部員の姿や遺体発見の状況、遺族の苦しみを再現し、事故の全貌を伝えていく。

「おれは死にまで“黒い十字架”を背負って生きなければならないと覚悟しているよ。棺桶に身体を入れられまでな」と野呂さんは、重い代償を一生引き受ける覚悟を告白していた。

北アルプスで先日、中高年登山者の遭難が相次ぎ、6,70代の男女8人が亡くなった。白馬岳の近くで死亡した男性6人は、全員軽装で防寒具は身に着けていなかった。春山の優しい顔は一瞬で鬼の形相に変わった。

悠々自適の世代が、体温を奪われ、折り重なるように倒れてゆく姿を想像するのはつらい。なぜ軽装で登ったのだろうか。中高年世代の登山ブームを反映し、一昨年の遭難者は505歳以上が全体の6割近く占めた。

2009年夏、大雪山系で起きた遭難事故で、中高年ら8人が亡くなった時、野呂さんは「以前から問題はあったはずで、起こるべくして起こったことだろう」と語っていた。もう悲劇を繰り返したくない。

クライマックス

2012-05-08 08:02:30 | Weblog
法廷モノの映画やドラマではやっぱり、相手側がグーの音も出ない「証拠」を主人公が示し、勝ち誇る場面がクライマックスだろう。

小沢元民主党代表が、政治資金規正法違反の罪で強制起訴された裁判で、検察官役を引き受けた指定弁護士もあるいはそんなシーンを思い描いていたか。だが、元秘書を調べた検察から渡された頼みの捜査報告者は後に、架空のやりとりが書かれていたことが発覚する。

当然、証拠採用もされず形勢はがぜん不利に。英語のクライマックスはギリシャ語の「はしご」に由来するから、ずさんな検察の捜査に<はしごを外された>という言い方がぴったりくる。

そうして果たせるかな、裁判は指定弁護士側の敗北。さらに、一昨年秋の選任以来、準備も含め約830時間を費やし、報酬の上限120万円を得ても時給1400円ほどにしかならぬと聞けば、少し気の毒になる。

一方の小沢氏にとっては、「無罪」と聞いた瞬間がクライマックスだったに違いない。判決は共謀と断じるまでの証拠はないとの内容で、元秘書の収支報告書への虚偽記入も、小沢氏が4億円の簿外修理の報告受け、了承していたことも認めているのだが、果たして耳に入ったかどうか。

残りは省いて、「無罪」のひと言だけを掲げ、“復権”への道をひた走るのだろう。そして、またぞろ「小沢政局」が繰り返される。



2012-05-06 07:22:19 | Weblog
勝つと思えな 思えば負けよ 負けてもともとーと歌うのは、美空ひばりさんの「柔」という曲である。確かに「絶対に勝つ」と勢い込むのは、いかにも剛直な態度。

比べて「負けてもともと」という姿勢の何と「柔」らかなことか。日本人は元来、「柔らかさ」をこそ身上とする精神性を持っていた気がする。日本独自の柔術・柔道が、武術にもかかわらず「柔」という名を持つのは、偶然ではあるまい。

歴史上、何度も大きな地震に揺さぶられてきた日本だ。その住まう場所も、ピクともしない堅固な大地ではないという意味では、また「柔らかい」といえるかもしれない。

専門家の調査で、敦賀原発(福井県)の直下を通る断層の一種「破砕帯」が、敷地内を通る別の断層の活動と連動して動く可能性が大きいことが分かった。その危険性が確認されれば、ルール上、原発立地できない場所となり、廃炉になることもあり得るらしい。

その他原発も含め、地下を厳密に調べ直してもらわなくてはならぬのは当然だが、あらためて思う「柔らかい日本」と原発の相性のわるさである。原発なしでは立ち行かぬと剛直にならず、柔軟に別の道を探る。それも身上の「柔らかさ」というものだろう。

タケノコ

2012-05-03 08:44:20 | Weblog
延び盛りのタケノコは、一日で約120センチも延びることもあるらしい。地下茎から多量の栄養分を供給するため、木々の新緑が鮮やかな今の季節。

親の分まで栄養が行き渡ったタケノコはみずみずしく、採れたては生でも食べられと聞く。タケノコ狩りでしか味わえない味覚を諦めなくてはならない地域も出ている。

千葉県や茨城県で国の新しい基準値を超える放射性セシウムが検出され、出荷停止が相次いでいる。売れなくても掘らないと竹林はあれる。捨てるために抜くしかない。経済的な打撃は大きく、来年も出荷停止が続けば廃業するしかないと考えている農業もあるいう。

今、大手スーパーなどで国の基準値より厳しい数値を設ける動きが広がっている。消費者と向き合う企業として合理的な判断思うが、農林水産省は「新基準値を形骸化させる」として待ったをかけた。

「基準値は世界的にも厳しい数値」という主張だ、生産者を守ることは国の仕事ではあるが、自由な企業活動に過剰に介入するのは筋が違う。放射性物質の数値を細かく測定し、すべてを公表して消費者の判断に委ねる。

その姿勢は結果として、消費者と生産者を守ることにつながってゆくと思う。