デジカメぶらりぶらり

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校舎

2012-04-07 08:59:17 | Weblog
春3月は「校舎」がニュースになる。日本最古の木造校舎の話題が岡山県から伝えられ、東北の被災地から元の校舎に戻れない学校が150あるとの記事があった。

校舎は地域の盛衰を映す鏡だ。各地で少子化と過疎化の波をもろに受け多くの学校が消えていった、昭和の終わりごろだろうか、いくつかの閉校式の映像みた。

木造校舎はどこも床が美しかった。柱や天井は古くなっても、生徒が磨きつづけた廊下の床は磨きを増す。子どもという「原石」を磨き続けるのが教育であることを教えてくれた。

姿形は変わっても、校舎が地域のシンボルであることに変わりはない。親と子と教師、そして卒業生の力で磨き続けてほしい。

蛍の光

2012-04-04 08:16:42 | Weblog
取材して「大変驚いた」。こっちもビックリした。記者研修をする台湾の女性が「『蛍の光』は葬式で流される曲」と書いた。だから卒業式を卒業式意外でもおなじみの曲である。閉店の合図に使うデパートや遊園地がある。観光船は出発のときに流す。それが台湾の人たちをドキッとさせているとは知らなかった。

同じ別れの曲でも、時と場所をわきまえないといけない。下手をすると、ケンカのネタになりかねない。台湾の人たちとの付き合いが増える折、知ってよかった「蛍の光」の別の顔である。

自販機で缶コーヒーを買おうとして、コインを落としたことがあった。百円玉は、近くにいた外国人の足元に向かって床を転がった。青年はニッコリ笑って拾ってくれた。ただし、転がる硬貨を靴底で踏みつけて。「ありがとう」を途中でのみ込んだ。

お金を踏むとバチが当たる。日本流にそう説得するのが正しいのか。それとも礼を言うのがマナーか。いまも迷っている。国際理解は一筋縄ではいかない。だから、小さな積み重ねが大事になる。「蛍の光」の季節に、そのことをあらためて知る。

ミサイル

2012-04-02 08:24:53 | Weblog
飛んでくるミサイルをミサイルで撃ち落とす防衛システムは、この20数年で急速に進歩した。1991年の湾岸戦争時の迎撃率は4割だったとのデータがある。

1998年、北朝鮮が日本列島を越えるミサイルを発射したころも「ピストルの弾をピストルで撃ち落とせるか」とその難しさが表現された。最近ではイスラエルが、パレスチナ自治区ガサから発射されたロケット弾の85%を迎撃したとの報道があった。

長足の進歩だが、戦争の惨禍は迎撃できなかった残り15%にある。ミサイル攻撃にさらされる国民の恐怖は数字で表せるものではない。北朝鮮が「人工衛星」という名のミサイルを打ち上げると予告した。

迎撃力が高まっているとはいえ、隣国を巻き込む危険な火遊びには変わりない。日本の上空を通過する可能性が高く、政府がミサイル防衛の発動を検討している。無謀な行動は「破壊する」と言っておくことが重要だ。

火遊びの代償は高くつくことを示す国際圧力も必要だろう。科学技術は進歩しているのに、20年間進歩も変化もない独裁国家の思考停止は厄介なものだ。