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記憶

2013-09-23 06:22:03 | Weblog
田中政造は、記憶力の悪さをくにしていたという。愛妻や養子の子の名すら失念したという逸話もあるらしい。30代に殺人の冤罪で、3年の獄中生活を強いられた。

病死した囚人の衣類をもらい受けて寒さをしのぐほどの過酷な日々の中で、記憶力の悪さを克服する道を見出す。「要はただ專門というに外ならず。他の事は忘れよ」。

一つのことに専念し打ち込めば、記憶力など問題にはならないはずだと、政造が専心したのは「一身を以って公共に尽くす」こと。明治の富国強兵の世にあって、為政者が目をつぶってほしいこと、忘れ去ってほしい問題を、自分が生まれ育った農村の視点で考え、死ぬまで行動し続けた。

渡良瀬川の恵みの中で暮らしていた農民が足尾銅山の鉱毒で生活を奪われると、国策のまやかしを追求し続けた。軍事費の負担増を批判して、同じ使うのなら、外交の信頼を得るように求めた。

記憶力の乏しさを補うためだろうが膨大な日記を遺した。<国家のため、国家のためと唱えて・・・山を盗み・・・村を潰し、古になき大毒海の如きを造り、もって窮民を造り多く人を殺す。国家のためとは何を>。政造が71歳で世を去ってもう100年。その言葉は、今の日本に重く鋭く響く。