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バブル

2013-03-01 08:08:30 | Weblog
バブル期に7500円を付けた株価は、360円台に下がっていた。日用雑貨メーカー「エステー」の専務だった鈴木喬さんが社長に就任したのは、金融機関が相次いで破綻した1998年だった。

役員に味方はゼロ。何を提案しても拒絶された。不良在庫を捨てろ、という指示も実行されなかった。役員を半減し、860あった商品を280に減らす大なたを振るった。新商品を年間一つに絞って勝負をかけた。

自らがアイデアを出した消臭剤の新製品が年間1千万個を売る大ヒット。その後もヒット商品が相次ぎ、2005年には株価は2千3百円台に回復し、会社は立ち直った。近著『社長は少しバカがいい』(WAVE出版)で、鈴木さんは戦後の焼け野原が原点になった経営体験を書いた。

「社長業とは決断業」「勝った瞬間に危機は忍び寄る」「社長は群れちゃだめだ」。危機を乗り越えた経営哲学は腹に落ちる。東日本震災後、いち早くCMの自粛をやめ、新しく制作したCMを流した。

放射線量を手軽に測定できる装置も採算を度外視して量産した。重苦しい空気を変えたいとの思いからだ。78歳の会長に企業が元気のない理由を尋ねた。「買いたいと思わせる商品を考えられない経営者が最大の問題。世の中が悪いからうちも悪いじゃ、経営者は要りません」温顔ながら厳しい答だった。