プラハに住む友人から送られてきた「プラハの風景写真」で、今回は、特別なイベントを撮った写真です。
チェコにとって、5月27日は歴史的な出来事の記念日になっていて、それは「ラインハルト・ハイドリヒ暗殺記念日」です。
第二次世界大戦前の1939年3月、チェコ領土は「ベーメン・メーレン (ボヘミア・モラヴィア) 保護領」として、ドイツに編入されました。その保護領の副総督として、1941年9月に就任したのが、秘密警察を束ねる国家保安本部長官で、親衛隊 (SS) 最高幹部の「ラインハルト・ハイドリヒ」でした。また、彼は、ユダヤ人虐殺計画の主要遂行者でもありました。
これに対して、英国とチェコスロバキア駐英亡命政府が、彼の暗殺を計画。工作員をチェコに潜入させました。(エンスラポイド作戦(類人猿作戦)と言われる) 1942年3月末には準備が整い、そして、5月27日に襲撃が実行されました。
プラハでは、5月末にあたる期間、この襲撃を記念する展示会やイベントが行われました。(ちょうど今年が、その出来事から80周年に当たります)
まずは、旧市街にある「カレル大学」本館・カロリナムで、「新世界秩序」と名付けられた展示会です。当時の出来事を紹介する写真や資料、ビデオ上映が行われました。

「平和広場」では、屋外での写真パネル展示が、開催されました。


また、プラハ6区デイビツェ(Dejvice)にある「勝利広場」(Vítězné náměstí)では、記念式典が開催されました。国防省陸軍のアレシュ・オパタ (Aleš Opata) 参謀長がスピーチをし、軍楽隊が演奏したりしました。

緑色ベレー帽は野戦軍、青色ベレー帽は空軍、赤色ベレー帽は空挺部隊と特殊部隊の隊員を表しているということですが、写真を見ると、現役軍人ではなく、本部の職員が整列しているような感じがします。また、式典には、退役軍人も参加していました。
さて、メインのイベントは「襲撃現場の再現」です。実行された27日、同時刻に、実際の現場近くの、プラハ8区ホレショヴィチカーフ (V Holešovičkách) 通りで行われました。
会場には、多くの人々が見にやってきていますので、警備用ドローンが飛ばされています。


雰囲気を盛り上げるために、当時の車 (タトラ57、1933年製) や、オートバイ (ČZ、チェスカー・ズブロヨフカ・ストラコニツェ製) も登場。

ハイドリヒが乗った、SS-3のナンバープレートを付けた、メルセデス・ベンツ320がやってきました。彼は、プラハ市民に自分の姿がよく見えるようにとの思いから、日頃はオープンカーを好みました。

暗殺実行者の一人は、短機関銃をレインコートの中に隠し持ち、自転車でやって来ました。

そして、銃撃しようとしますが、弾が出ずに失敗。それを見た別の場所にいたもう一人が、手榴弾を投げ、車に被弾。(白煙がたかれ) その破片で、ハイドリヒは傷を負います。(血は赤い布で)
通りすがりのバン (これも昔の車) に乗せられて、病院に運ばれますが、1週間後に敗血症で亡くなりました。

演じた俳優の方々です。ハイドリヒ役の方との、記念撮影も。

ヘリコプターがやってきて、国旗にちなんだ赤と青の煙を出して、イベントを締めくくりました。

この出来事は、戦争終結への大きな転換点となりましたが、終戦となるまでには、この後も多くの血が流されることになります。
チェコにとって、5月27日は歴史的な出来事の記念日になっていて、それは「ラインハルト・ハイドリヒ暗殺記念日」です。
第二次世界大戦前の1939年3月、チェコ領土は「ベーメン・メーレン (ボヘミア・モラヴィア) 保護領」として、ドイツに編入されました。その保護領の副総督として、1941年9月に就任したのが、秘密警察を束ねる国家保安本部長官で、親衛隊 (SS) 最高幹部の「ラインハルト・ハイドリヒ」でした。また、彼は、ユダヤ人虐殺計画の主要遂行者でもありました。
これに対して、英国とチェコスロバキア駐英亡命政府が、彼の暗殺を計画。工作員をチェコに潜入させました。(エンスラポイド作戦(類人猿作戦)と言われる) 1942年3月末には準備が整い、そして、5月27日に襲撃が実行されました。
プラハでは、5月末にあたる期間、この襲撃を記念する展示会やイベントが行われました。(ちょうど今年が、その出来事から80周年に当たります)
まずは、旧市街にある「カレル大学」本館・カロリナムで、「新世界秩序」と名付けられた展示会です。当時の出来事を紹介する写真や資料、ビデオ上映が行われました。






「平和広場」では、屋外での写真パネル展示が、開催されました。






また、プラハ6区デイビツェ(Dejvice)にある「勝利広場」(Vítězné náměstí)では、記念式典が開催されました。国防省陸軍のアレシュ・オパタ (Aleš Opata) 参謀長がスピーチをし、軍楽隊が演奏したりしました。





緑色ベレー帽は野戦軍、青色ベレー帽は空軍、赤色ベレー帽は空挺部隊と特殊部隊の隊員を表しているということですが、写真を見ると、現役軍人ではなく、本部の職員が整列しているような感じがします。また、式典には、退役軍人も参加していました。
さて、メインのイベントは「襲撃現場の再現」です。実行された27日、同時刻に、実際の現場近くの、プラハ8区ホレショヴィチカーフ (V Holešovičkách) 通りで行われました。
会場には、多くの人々が見にやってきていますので、警備用ドローンが飛ばされています。




雰囲気を盛り上げるために、当時の車 (タトラ57、1933年製) や、オートバイ (ČZ、チェスカー・ズブロヨフカ・ストラコニツェ製) も登場。


ハイドリヒが乗った、SS-3のナンバープレートを付けた、メルセデス・ベンツ320がやってきました。彼は、プラハ市民に自分の姿がよく見えるようにとの思いから、日頃はオープンカーを好みました。


暗殺実行者の一人は、短機関銃をレインコートの中に隠し持ち、自転車でやって来ました。


そして、銃撃しようとしますが、弾が出ずに失敗。それを見た別の場所にいたもう一人が、手榴弾を投げ、車に被弾。(白煙がたかれ) その破片で、ハイドリヒは傷を負います。(血は赤い布で)


通りすがりのバン (これも昔の車) に乗せられて、病院に運ばれますが、1週間後に敗血症で亡くなりました。

演じた俳優の方々です。ハイドリヒ役の方との、記念撮影も。



ヘリコプターがやってきて、国旗にちなんだ赤と青の煙を出して、イベントを締めくくりました。

この出来事は、戦争終結への大きな転換点となりましたが、終戦となるまでには、この後も多くの血が流されることになります。