プラハに住む友人から送られてきた風景写真で、「ヴァレンシュタイン宮殿と庭園」を紹介します。昨年秋に撮られたもので、(その1) です。
宮殿の場所は、マーネス (マーネスーフ) 橋を渡った、プラハ城の下、「マラー・ストラナ地区」にあります。宮殿と庭園は、1623~1627年にかけて、「アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン (ヴァルドシュテイナ)」によって造られました。
現在、宮殿の建物は、チェコ共和国の上院として、使われています。
バロック様式になっている宮殿への入口は、トマシュスカー通りに面しています。

扉にも、紋章や凝った装飾が、されています。

建造者の、「アルブレヒトの像」です。

彼は、1583年、ドイツ系プロテスタントの小貴族の家に生まれ、若い頃にカトリックに改宗。三十年戦争の時に、ボヘミアの傭兵隊長として、神聖ローマ皇帝フェルディナント2世に味方して貢献。反乱軍から没収した領地を持つ大貴族 (大元帥) となり、その莫大な資金をもって、プラハ城よりも豪華にと、造築したとのことです。ただ、最後は、1634年に皇帝側に暗殺されてしまいます。
訪れたことがないので、よくわかりませんが、庭に面して開いたホールや、回廊などがある建物3つと、4つの中庭、池などから成っているようです。




オープン形のホール・サラテレナ(庭園サロン)には、上院のロゴが掛けられていたり、回廊の天井と壁面には、トロイ戦争を題材にした、フレスコ画が描かれています。ホールでは、よく、コンサートなどのイベントが、開催されているそうです。
庭園のあちこちには、「ヴィーナスの噴水」や、魚の口から水を噴き出している形などの噴水や、ギリシャ神話に出てくる英雄といった彫像が、配置されています。


ただ、完成当時に描かれた図絵と見比べてみると、フランス式の庭園などは、かなり違っているようです。たぶん、宮殿や庭園は後世になって、かなり修復や改修がなされたのでしょう。


それは、三十年戦争で、1648年にマラー・ストラナ地区を占領したスウェーデン軍によって、庭園の彫像などは持ち去られ、現在あるのは、1913年のレプリカだそうです。(本物は、ストックホルム郊外のドロットニングホルム宮殿に展示されているそうです)
この続きは、明日に。
宮殿の場所は、マーネス (マーネスーフ) 橋を渡った、プラハ城の下、「マラー・ストラナ地区」にあります。宮殿と庭園は、1623~1627年にかけて、「アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン (ヴァルドシュテイナ)」によって造られました。
現在、宮殿の建物は、チェコ共和国の上院として、使われています。
バロック様式になっている宮殿への入口は、トマシュスカー通りに面しています。


扉にも、紋章や凝った装飾が、されています。


建造者の、「アルブレヒトの像」です。


彼は、1583年、ドイツ系プロテスタントの小貴族の家に生まれ、若い頃にカトリックに改宗。三十年戦争の時に、ボヘミアの傭兵隊長として、神聖ローマ皇帝フェルディナント2世に味方して貢献。反乱軍から没収した領地を持つ大貴族 (大元帥) となり、その莫大な資金をもって、プラハ城よりも豪華にと、造築したとのことです。ただ、最後は、1634年に皇帝側に暗殺されてしまいます。
訪れたことがないので、よくわかりませんが、庭に面して開いたホールや、回廊などがある建物3つと、4つの中庭、池などから成っているようです。








オープン形のホール・サラテレナ(庭園サロン)には、上院のロゴが掛けられていたり、回廊の天井と壁面には、トロイ戦争を題材にした、フレスコ画が描かれています。ホールでは、よく、コンサートなどのイベントが、開催されているそうです。
庭園のあちこちには、「ヴィーナスの噴水」や、魚の口から水を噴き出している形などの噴水や、ギリシャ神話に出てくる英雄といった彫像が、配置されています。






ただ、完成当時に描かれた図絵と見比べてみると、フランス式の庭園などは、かなり違っているようです。たぶん、宮殿や庭園は後世になって、かなり修復や改修がなされたのでしょう。




それは、三十年戦争で、1648年にマラー・ストラナ地区を占領したスウェーデン軍によって、庭園の彫像などは持ち去られ、現在あるのは、1913年のレプリカだそうです。(本物は、ストックホルム郊外のドロットニングホルム宮殿に展示されているそうです)
この続きは、明日に。