「HCJBアンデスの声」日本語放送を聴いていただいた、古いベリカード(その4) です。
HCJBは、1971年に開局40周年を迎えました。それで、この年のベリカードは、放送局に関係する4枚の写真が、採り上げられています。
キトーから25キロほど東にある、「ピフォ送信所のアンテナ群」です。
写真は、ちょうど雨があがった後のようで、黒い雲をバックにアンテナ線が白く浮かび上がっていて、空には虹がかかっています。
この時は、想像だにしませんでしたが、これらのアンテナ群がなくなるとは…
その後、ピフォ送信所は、キトー新国際空港建設のために立ち退きを求められ、HCJB日本語放送は、エクアドルからオーストラリアでの送信に変更される、きっかけになりました。
2枚目は、「コントロールルームの写真」です。室内は、意外にシンプルなつくりです。
3枚目は、HCJBで働く人たちによる、「少人数編成のアンサンブル合唱団」と思われます。番組の中で使われる、賛美歌を歌っているのかもしれませんね。
最後は、「夜のHCJBの建物」です。大きな1つのビルではなく、2-3階建ての建物がいくつか並んでいます。
たぶん、左の黄色の建物が本部事務所で、その奥の白い建物が技術部、右の建物は、フランス語部、ポルトガル語部、ロシア語部などが入っているようです。庭の植栽が、HCJBの文字に刈り込まれています。
HCJBは、1971年に開局40周年を迎えました。それで、この年のベリカードは、放送局に関係する4枚の写真が、採り上げられています。
キトーから25キロほど東にある、「ピフォ送信所のアンテナ群」です。
写真は、ちょうど雨があがった後のようで、黒い雲をバックにアンテナ線が白く浮かび上がっていて、空には虹がかかっています。
この時は、想像だにしませんでしたが、これらのアンテナ群がなくなるとは…
その後、ピフォ送信所は、キトー新国際空港建設のために立ち退きを求められ、HCJB日本語放送は、エクアドルからオーストラリアでの送信に変更される、きっかけになりました。
2枚目は、「コントロールルームの写真」です。室内は、意外にシンプルなつくりです。
3枚目は、HCJBで働く人たちによる、「少人数編成のアンサンブル合唱団」と思われます。番組の中で使われる、賛美歌を歌っているのかもしれませんね。
最後は、「夜のHCJBの建物」です。大きな1つのビルではなく、2-3階建ての建物がいくつか並んでいます。
たぶん、左の黄色の建物が本部事務所で、その奥の白い建物が技術部、右の建物は、フランス語部、ポルトガル語部、ロシア語部などが入っているようです。庭の植栽が、HCJBの文字に刈り込まれています。