こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年5月8日 金曜日・25時 「此岸で生きていくには、音楽的状態が欠かせない・1」

2015-05-09 01:00:00 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ

今日は、公的にはしょうもないこと。だが、私的にはカギとなるとりとめもないお話し。

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例えば、野外の「あっちゃこっちゃ」で携帯電話のメールに思いつくことをメモしたり、あるいは、仕事場でお昼の合間や作業の合間にメモしたり、そのときに記したことはとても整理されていて・正直で整った文章だったり(私の中で)核心を突いていたりする。
一方で、ホームグラウンドであるはずの自室で、こうして何かを書いていたりする方が、からまって行き詰まることが多い。いろんな雑念が雲のように湧いて湧いて止まらず収拾することが出来なくなり、結果没原稿になっていく。

これは何もブログに限らず、絵を描いたり・音楽を聴いたり・映像を観たり、といった類にも同じようなことが起きる。じっとそこに留まっていられないのである。この両者のズレの感覚と橋渡しを、数十年にわたって自分なりにコントロールしてきたが、未だ現存する事実である。
1986年頃・ノイローゼのどん詰まりの中、読んだ本から想い出すと「Free Floating Attention」=平等に漂える注意力、という概念が浮かぶ。

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こんなことが起きるのは今に始まったことなのか?というと、幼少の頃から有る。上に書いたことが一概に全ての時間に言えることじゃないのだが、どちらかと言えばそうなることが多い。
(回していた洗濯機くんが「終わったよー」と呼ぶので、いったん中座。
今日は2日分だから干すのも楽。干して戻る。)

40年以上も経ったところで「なんでなのだろう?」とは馬鹿のようだが、それでも思ってみると、周囲が「ある程度・許容量の範囲で」雑然としている場所と・気配のしない隔絶された一人の場所の違いと捉えてみる。確かにそういうケースも多く、特にここ2・3年はそう言える。

一番古くて想い出せる記憶にフォーカスしていくと、母親がボタン屋・生地屋・百貨店にと留守にしている最中、暗がりの部屋で、微妙に差し込む外からの日光だけを頼りに暗がりの下、キャンディと本類がおさまった棚のモノとたわむれたり、お絵かき道具で紙に絵を描いていたりした。
外に行けば斜め向かいにおばあちゃんが居て、向こう三軒両隣には可愛がってくれるおばちゃん・おいちゃんも居た。
それでもそういった行動に固執し続けていると、自分地獄の渦に入り込んで窒息していく。それでも、誰かに救いを求めない。

どちらかというと、この感覚のほうが、40数年を貫く「私」(一応そう仮定して)に一番多くあった経験値かもしれない。一人で産まれてきた人間は、どうあがいても一人で死んでいく、そのことを当時から悟っていたのように思う。
(ちなみに同じ言葉を今まで、クマさん(篠原勝之さん)や、法律の下で死を執行された永山則夫さんなどの文筆に見い出し、真実を突かれた思いがした。)

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(音が無いと不安になり、モーツァルトの「ヴァイオリン協奏曲」を掛ける)
私が幼少から放浪癖(ときに家出だったり)や”やたらと”野外をふらつくのは、上述の窒息をまのがれようとする無意識が作用している。(今では別に幻覚も見ないし・閉所恐怖症なども克服したが、現代もそんな障害を持つ方は一つのヒントになるかもしれない)
また、今の家をよく「ゴミ屋敷」と言っているのも、このポイントと重なる。
よく外を旅しては、戦利品として本・CD等々「お買い物」をして帰宅するのだが、それ以降それをなかなか味わわない。それはお酒のような「しばらく寝かせておいてから味わう」といったものではなく、ひたすら置き去りにしていくのである。

だから聴けていない・見て味わえていないモノの巣窟になってゆくのだ。
実は、写真も同じであって、フィルム時代からすれば数十万枚の写真があるのに、旅を振り返ることは極めて少ない。むしろ旅のさなかでシャッターを切った記憶のほうが残っている。

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昔、文学青年・友人MZ師から聞いた話だが、作家カフカは書き溜めた原稿を裏庭に捨てたという。彼には、既に書き終わったモノには愛着も関心もなくて、ゴミ屋に出してくれと言ったそうだ。
要は書いたプロセスがカタルシスであって、その残骸には何も残っていない。そういうものなのかもしれない。あるいは、80年代大好きだった椎名誠さんが、とあるインタビューで「旅やキャンプをしながら、その片方で(その最中に)文字を書きたい」と言っていたセリフが想い出される。

素浪人時代に出会い、数十年手元にあってぼろぼろの、寺山修司さんの「ポケットに名言を」から引用すれば、ゴミ屋敷になっていく自分にはこの言葉が合う。

私は人間の不幸はただ一つのことから起きるものだということを知った。
それは部屋の中で休息できないということである。(フランソワ・トリュフォーの映画「柔らかい肌」より)


そこで寺山さんご自身の言葉「書を捨てよ、町へ出よう」というわけでもないのだが。

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(「ヴァイオリン協奏曲」繰り返し4回目。大音量でクラシックを鳴らすと、明日は休み!だからと家の中を駆け回り・叫ぶ隣の坊や家族も鎮まる。効果的音楽。)
「ハヤリモノ」かもしれないが、良いエッセンスは何であれ取り入れようということから、興味深く眼や耳を傾けている小林弘幸医師。(最近では「三行日記」だとかがハヤっているが)
単なる偶然だが、自分も親も助けてくれた病院に居ることも手伝って。

その小林先生が出たFM番組の対談をYoutubeに発見し、(これまた)外を歩く最中何度も聞いたが、そこで琴線に触れたのが「ゾーン」という言葉に関するくだり。
実のところ「ゾーン」なるものが何なのか?は理解出来ていないのだが、過去伊集院光さんがラジオでとあるスポーツ評論家を揶揄するように『これが、いわゆるゾーン、ってやつなんだ(笑)』と言っていて、傍の放送作家が爆笑していたことしか接したことがなかった。

小林先生は尋ねられた「三行日記」を書くことで自律神経が整う効用を語りながら、ヒトには物事に集中できてバランスの良い場所や間合いがあるもので、それはヒトによりお気に入りの喫茶店だったり、図書館だったり・・・・いろいろあるはず。そう語った。
対談相手が「それが、いわゆるゾーンってやつですか?」と訊き、先生は頷き、自分は「ほうっ」と納得した。

思えばブライアン・イーノや日本で言えば芦川聡さんら、野外環境に音装置をセットして、その環境を居心地の良い空間に広げる活動もその一環。ややもすると、こういった活動はインテリやオシャレ系連中が絡み、実態と乖離した状況を産み出していったが、イーノ・芦川さんら一部の方の作品には、確かなものがあった。

(続く。かもしれない。)

■YMO 「Loom(来たるべきもの)」~「プロローグ」1981ウィンターライヴ■







愛しの荷風


コメント
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