こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年5月7日 木曜日 「一個人の音楽覚書~80年代後期から90年代頭への追憶~1」 

2015-05-07 23:29:05 | 音楽帳

なんともタイトルが大仰(苦笑い)。

なぜ、こう言い出したか?
それは、処分してしまおうというCDを、がさがさと思い悩んでいることから起きた。

積み上がって崩れたCDの山。
その一部『これはだいたいアンビエント系』と大雑把にくくった中から、連休のおかげでCDをゆっくり聴く機会が出来た。
連休が与えてくれた発見の一つは、こういった身近なこと。

***

80年代後期から90年代アタマ、大学時代。
曇りの日の白い空みたいな「何もない」感じが、気分を覆っていた。
音楽を聴く気が無くても街を歩き、居酒屋を渡り歩いていると、音は嫌でも聴こえてくる。中島義道さんの著書に「うるさい日本の私」という本があるが、嫌でも音楽が聴こえてくる不快感や発狂はとうに過ぎていたので、その頃はそうでもなかった。
そのかわりヒット曲は知っていても、音楽との距離を取っていた。

理由は過去話したように、端的に言うと1986~87年の境い目で発狂したせいである。
あきれるほど神経過敏だったせいもあるが、とにかく日々勝手に入ってきてしまう情報を絞るような「しのぎ方」とか見えない・聴こえないフリをしてやり過ごすことを、身に沁み込ませる鍛錬を、し始めていた。

その頃、FMラジオも「決まった時間に決まった放送を毎回聴く」ことをやめていた。FM雑誌も既に買っていなかった。時代は「まさか」とタカをくくっていた『FM多局化』が現実に起きてオロオロしつつ、「さらに自分に制限を掛けねばならない」としていた。

そんな中の流儀は。。。
偶然ラジオを付けて、そのときやっている放送を、聴く気もなく聞く。そういった感じだった。そこでたまたま出会った音が良ければ、カセットテープの録音ボタンを途中からでも押した。

そのせいで曲名や誰が演奏しているのかも不明。そんな曲がブチブチ連らなった奇妙なカセットテープが残っている。その後の四半世紀+アルファで曲名が分かったものは多いが、未だに不明なものもある。

***

この頃の1本のカセットテープに、スネークマンショーのプロデューサー=桑原茂一さんの番組「クワイエット・ヴィレッジ」の一部と、たぶんもう終わろうとしていた「FMトランスミッション/バリケード」の一部が入っていた。
その録音した曲は、アンビエント色や無国籍感が強いものだったが、夜に聴くと魂が鎮まった。

結論から言えば、この中の一部の曲が1996年以降大阪から東京に戻った後に見つかった。その発見場所は、神保町の音楽ショップ「JANIS」。

「One World One Voice」。
ミュージシャン名は「Various Artists」としか無い。ただ、小さな文字の中から、プロデユーサーがルパート・ハインと知っての購入だった。
それが結果的に、ナゾのカセットテープに入っている曲と合致した。

じゃあ、それを知った後、聴きまくったのか?というと、ぜいたくこの上無いのだが「また”いつか”聴こう」と置き去りにされていた。いざ手に入れると、それで安心してしまう。そのCDをこの連休に聴くことになったのである。
カセットテープに録音した当時、声からゴドレイ&クレームやピーター・ゲイブリエルが関わっていることは分かったのだが、まさかアフリカ・バンバータ、坂本龍一、ローリー・アンダーソン、スザンヌ・ヴェガ、ジプシー・キングス、ペンギンカフェ等々まで演奏しているとは思わなかった。

カセットテープに録音したものは途中で、現地録音のガムランや民族音楽が入っていたので、ラジオ番組内でミックスを行ったものと思い込んでいたが、そうでもなかった。この休みにmp3をプレイヤーに入れて歩いている最中、風景を観つつ聴いた。

*しかし、このCDですら”ようつべ”に有って、タダで聴ける時代。
そんな時代とはいったい何なのだろうか?
あの必死こいてエアチェックしていた頃を、独り想う。

まあ、何はともあれ、「はい、処分処分っ!」とはやる心をとめてくれた。
どうせCD程度なら自分が居なくなってからでも処分されるのだし、このCDは近くに置いておくことにした。


■「One World One Voice」(1990)冒頭より■




写真:荒木経惟「東京物語」「東京小説」
コメント
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