午後夕方から夜にかけて、仕事と個人的事情から鬱が襲ってくる。
PC文字がゲシュタルト崩壊しそうになり、吐き気を抑える。
蒸し暑い帰り道、ねばっこい暑さ。グレー猫は風通し良い場所で寝ている。
だんだん何もかもがどうでもよいほうに傾斜していく。
街や社会のオキテ外側に失踪したい。
帰路、イーノ「空港のための音楽」を忠実に演奏した楽団のCDを聴く。
昔、渋谷陽一さんの文章に、イーノの環境音楽を仕事場で掛けているとよく周囲から怪訝な顔をされる、というくだりがあった(気がする)。こちらもその意外性に驚いたが、なぜ渋谷さんがイーノ版「家具の音楽」を掛けていたのかは謎のまま。
「私にとってのイーノ」は別として、たまに一側面に基づいて絞られた音に白痴になりたくなる。
言葉・論理・システム・概念・・・そんなたぐいの外側に行きたい。失跡したまま戻らず、そういう境地へ。
意味があるとか無いとかどうでもいい。
アブストラクトな世界にひたりたくなる。
その場合は、たいてい脳がイタズラしている窮地。
現実の苦しみにガッチリ押さえ込まれた手術台のように。
幼い頃、夢遊病だった。親がよく言う昔話からではなくて、そのときの記憶はある。
深夜、寝床から立ち上がり、親が寝る部屋前の廊下を歩き、風呂場前に行く。
『お兄ちゃん、はい、これタオル』
弟は兄の風呂上がりのタオルを渡しに行く。誰もそこには居ない、そのはざまのシーン。此の世と彼岸の境界線。
帰宅後米研ぎ、皿洗い。
レコード少し整理すると汗だく、室内の方が暑い。
■一風堂 「Listen To Me」1981(詞:糸井重里/曲:土屋昌巳)■