こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年5月5日 火曜日 「備忘録:新宿」

2015-05-05 21:53:44 | 想い出かたちんば
5月4日 月曜日 快晴 26.6/18.5
高校の同級生と3人で会うことになった。
一人は当時・草加に住んでいた子で、同じバレー部だったのもあり、行き帰り等一緒にいることが多かった。連絡を取り合い会うことを断続的に続けていたが、それでも再会は数年ぶりだった。
もう一人は、大学まで同じだが、会うのは大学以来。

彼らが会おうと集合場所にしたのは新宿。
お芝居や展覧会。そんな目的が無いとなかなか新宿にも来ない。今は、目的を果たしにそこに向かうことは少なくなった。

いつ新宿に来ただろうか?と振り返ると、昨年の今ごろ。
仕事を早々切り上げて向かった、2014年5月1日の細野さんコンサート。

***

世間の連休さなか。
想定はしていたが、街・新宿には吐き気がする群集。

自分はよく新宿のような巨大都市に佇んでいると、一人の人間などが如何に吹けば飛ぶよな、ちっぽけな存在なのかを知り、荒涼とした都市で茫然となる。
「この一人」など代替可能な、誰でも良いアリのような存在。
周りは支離滅裂な人の渦の中、冷ややかな知覚装置が働く。

私が新宿に訪れた初めは、幼少の頃。
服の買い物・百貨店めぐりに付き合わされてのこと。
当時、三ノ輪の家は夜になると、嫁入り前(死語)のおねえさんらを相手に、洋裁を教えるお袋の姿があった。

その後、再び新宿に来たのは、小学3年か4年生の頃。
お袋の友人が知っている、という理由から梅ヶ丘にある塾に申し込まれてのこと。
自分は嫌で仕方が無かったが、断るすべも知らず、ろくに勉強もせぬクセに、律儀に通っていた。

小田急線に乗る経由駅が新宿であり、アテもなく途方に暮れて新宿をふらついた。
70年代の新宿は、東京で一番象徴的な都市で、ニュキニュキ高層ビルが建っていく最中だった。変貌を遂げていく性と欲望をはらんだ地帯。そんな新宿には、まだ猥雑さの陰に人間臭いものが残っており、奇妙な定型化不能人種のるつぼだった。

***

昨日は、昼・飯田橋で降りてそばを喰い、カメラ片手に歩いて新宿まで。
ああ新宿が近いな、という空気を感じる境い目はあったが、昔ほどの強烈な印象はない。
今でも奇妙な人種が棲息出来るスキマはあるが、それを上回る速度でシステム装置が働いており、そこに呑み込まれてどこもかしこも似たり寄ったりの街の1コ。それが新宿。
どうもそんな感じを覚えた。

だから、そんな人が集まる場所ではないところに何かがあるはず。
そんな歩きにその後お前さんは向かったんだろ、と生理が話しかけてくる。


■フリクション 「クレイジー・ドリーム」1979■












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