こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年5月15日 金曜日 「一個人の音楽覚書~80年代後半から90年代の追憶~2」

2015-05-16 01:14:36 | 音楽帳

乗っていた車は、荒野の一本道でガス欠になってしまった。
誰かに連絡を、と四苦八苦してみたが、結果どうにもならないことを知る。
果てしなく続く道を歩くこととした。そこから長い旅となる。
歩いても歩いても風景が変わらない。

こんなアメリカ大陸の風景を描写されることは多い。
しかし、未だアメリカ本土に行ったことは無いので、その広さを肉体を持って感じたことはない。
自分は、小旅と呼びながら大阪・東京を中心とした場所をくまなく歩くばかりで、あまり遠くへ行きたいと思うことは少ない。実際、旅好きみたいにあちこちの土地に長時間交通を使ってまで行くことは少ない。

閉所恐怖症の反対に広場恐怖症というものがある。一番話しが伝わりやすいのは、有名な画家ムンクの「叫び」の風景である。私は両方経験して「こなして」来たが、いつ何時再発するかは分からない。しかし、そうはならないだろうと思っている。もっと別のカテゴリーを作って欲しい。

神経症や精神疾患で「これは○○症候群」という言葉があり、状態をポジショニング・確認する目安とはなるが、それらは全て80年代後半以降、使用言語として定着させるべく現れたものと記憶している。
いまや「神経症や鬱病は特殊な病気ではありません」というコピーの下、さまざまな用語が一般化したが、それらが成した四半世紀の流れが、経済活動そのもの・クスリを巡る世界的洗脳活動だったと、身に染みて分かったのはここ数年のことである。

「かるーい気持ちでクリニックに行って、クスリもらえばいいよ」
精神的不調を抱える人から相談されると、そう一般人が言うほど「カジュアル」かつ「ポップ」になった精神を巡る問題は、シャブ同様クスリから離れられないことに始まり、中毒を経て、犯罪・殺人へと至る。
抗精神剤を解放したがゆえに、逆に問題をややこしくしてしまった。

***

そういう自分も抗精神剤をクチにしたことのある「汚れ者」である。今も完全撤廃出来ていない。
自らの意志で精神を解決すべき、と思っていた既成概念をあきらめ、クスリを服用したのは1987年のこと。
80年代をよく自分の中で3つに割るのだが、その中では80年代後期、私はクスリをクチにしながらリハビリテーションしていた。(「リハビリテーション」と書くと、いつも幸宏さんの『天国からの中継』に入った曲を想い出す。)

今では世に「バブル」とよく呼ぶ時期なのだが、それも過ぎてから聞いた用語。
実際にバブル状態にある頃、自分がそれを享受して「ああ、バブルだなあ」とか「バブルって”いいね””いいね”」など思っていなかった。つまらんクリックも、その道具すら無い。そもそもアルバイトはしても定職についていなかった。

ただ、ひたすら街がひどい破壊のされ方をしていることだけは分かっていた。行く街の先々で「ごっそり街ごと消えて行く・無理矢理」は目にしていた。だが、それは80年代中盤から既に始まっており、もう自分が想う東京は全て消えてしまうのではないか?という恐れはそれより前からあった。

***

80年代後期は既に言ったように、ぽっかりクチを広げた味気ない白いくもり空がある、という感覚。そういうと「それは病のせい」と言われるかもしれないが、そんなフィルターは掛かっていない。いったい、此の世はどこにすすむのだろうか?と方向性を失った空気がたゆたっている風景だった。
それを宮台(真司)さんは「終わりなき日常」と、核心を突いた表現で掬い取った。

その後、世間様も自分もイロイロあって、私は90年代アタマに「バブル」余波の残る大阪に行き、90年代上期を過ごし東京に戻った。今でも覚えているのは、大阪で住んだ梅田近くから建築中の「スカイビル」のクレーンが見え、その大きさに異様さを覚えた。

1996年なにごとも知らずに戻ったら、5年居ない間に冷え切ってしまった夫婦関係みたいに、よそいき顔になってしまった妻=東京の姿。仕事で初めて、東京ビッグサイトに行ったとき「新橋からモノレールがあるよ」と同僚に言われ、そのモノレールに乗ったとき、窓の外の風景に途方に暮れた。
自分はいったいどこにいるのか?水平線あたりまでかすんだ一変した風景のなかを、小さな船が何隻か航行していた。写真で収めなくても肉眼で味わったショックがあった。

三島(由紀夫)さんの処女作「仮面の告白」、最終作となった「豊穣の海」をまたぎ、海を船が航行する風景描写があるが、それを想起させながらも全く意味合いは異なる。
この手合いの喪失感は、幼い頃からなじんだ感覚でもある。「無常」という言葉があるが、東京で産まれ育った者にとっては、越えていかねばならない試練とは理解出来ても、メーターが振り切った。

***

最近その感覚(バブルと言われる頃の)がよみがえったのは、2020五輪に向けて浄化活動激しく、どこを歩いても好きだった場所がごっそり抜け落ち始めたことに因る。それも、数週間前通過するとあった風景が無くなっている。いくら五輪反対と言っても、何一つとめられることはなく、東京は消える運命にある。
ちっぽけな反対意志は変わらぬまま、ひたすら歩く。

■Talking Heads 「Road To Nowhere(どこでもないところに向かっている)」1985■

今日の帰途

TOKYO NUDE 1989 荒木経惟

まみちゃん 1998年1月雪の日。愛用レコードプレイヤーを占拠。





東京物語 1989 荒木経惟
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