こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年5月14日 木曜日 備忘録:エレジア

2015-05-15 00:17:04 | 音楽帳

朝の道や帰り道。そこで最近新顔のネコさんに出会うのが楽しみだったりする。
まだ若いグレーちゃん(ロシアンブルー)それに産まれて数か月のチビちゃん(アメリカンショートヘア)のふたり。
たぶん誰かが飼っているのだろうが、しょっちゅう道で遊んでいるので、出くわすと一緒に遊ぶ。

ネコは飼う/飼われる関係から放たれた自由な存在。そのことをよくわかった飼い主(仮)だ、と感心する。
今日、朝は会えなかったが、夜遅くなってしまって頭痛がするときに出会う。
チビちゃんはすばしっこいので、夜ゆっくり写真に撮ることは不可能だ。いっときもじっとしていない。
かれらが今夜出くわした天使となった。グレーちゃんはすっかり寝ている。

昼30℃超えになった暑さは夜すでに去り、心地良い風が吹く野外となっている。
都心のスキマのはらいそは、いきなりおとずれる。

島に戻る。歩くと露地のあちこちから夜遊びするネコさんが顔を出す。
いつもの公園に近づくと、クロちゃんは今夜も遠出している。暗闇を通してわずかばかりその外形を確認できるが、シャッターを向けたとしてもただ黒いモヤモヤだけが映るはずだ。

遠い空に星がまたたいている。狭い露地をめぐり空ばかり見ながら、暗闇を歩く。
イヤホンから聴こえてくるハロルド・バッドの音の響きは、森や街頭に浮かび上がり揺れる様と合成され、脳内で幻覚じみた揺れ方をする。
光のあるところを過ぎて暗い個所が現れると、天地が逆転し・深海みたいに見えてくる。暗がりには、心地良い日も/寂寥感満つる日もある。

今夜の島のクラクラ感は、前者の心地良さがある方なのだが、それでも感覚は、夜の草加遠隔地を放浪していた十代終わりと重なる。
あの子も、こんな闇を歩いたんだろうな、不意にそう思った。山を捜索する人の絵ずらが浮かんだ。勝手に自分が味わった過去の終わりの風景と繋がった。脳で考えた善悪や常識を超えて、単純に・自動的に繋がった。

***

帰って分かったのは、先月千駄木の古本屋さんで偶然ピピッとして買い、読みかけで積んである小説が刷り込まれていた。吉村昭さんの遺作になってしまった「死顔」。その短編集1つ目の「ひとすじの煙」からのものだった。
たぶん吉村さん自身の経験と思っているが、若くして大病を患い、術後の静養に湯治場で過ごす少年の日々。そこでの四季の移ろい、そしてその宿に寄る周囲の人々の様にじっと目を凝らした描写で出来ている。

山を捜索しているシーンの想起理由は、それ以外でもある。
こちらから話すつもりはなくとも、わけが分からないまま亡くなってしまった、あの元気なあの子が目の前から唐突に消えてしまったことから、仕事上でさまざまな人と会うと「いったい・・・」と水を差し向けられる。
その上昨日は、どうやら自死だったなどということまで聞いてしまう。なおいっそうわだかまる。真実は本人のこころしか分からない。

***

そんな夕方呼ばれて、打ち合わせ。
明日、ぽっかり空いてしまった仕事上の穴埋めに向かうことになった。遺されてどうして良いか戸惑っている人の手伝い。
その資料をめくりながら、理解できない量の業務内容を知り、こちらが今度戸惑う。こんなものを引き継ぎされたかと思い、勝手な想像は、それを受け取った側のあの子の戸惑いとパニックを勝手に想像する。

私は自分に対して人嫌いだと言い聞かせ、人や社会よりその外側に居る人と生き物にフォーカスしてきた。逃げというならば逃げである。いくら頑張っても想いが貫通し得ないことに業を煮やして、そういう生き方にすすんだ。間違いとは思っていない。
しかし、遺されて困っている人たちの中にとある顔が浮かび、そうは言えども好きな人が居たら捨て切れない感情はまだあるんだなと自己確認した。

相も変わらず暗い、と思われても、これが私の今日一日の記憶と刻印である。

そんな今日、聴いた音楽のなかから1曲を選ぶとすれば、インターFMから流れ出たボブ・シーガーの「月に吠える」。これがデイヴ・フロムさんの番組ではなく、朝のヴァンスKさんの番組だったのが、実に意外だった。

■Bob Seger 「Shame On The Moon」Dec.1982■
正確には、ボブ・シーガー&シルバーブレットバンド。LP「ディスタンス」はジャケット写真が好きで、このシングルが好き・・・という理由だけからLPレコードを持っている。この作品からは「イーヴン・ナウ」というヒット曲もある。その曲はあまり好きではなかったが、夕焼け好きな自分にとって、このジャケットにはそそられた。

どうしてこの曲(月に吠える)が好きだったり、このレコードを持っているか?と辿ると、いわゆるロックとか汗臭い音楽への嫌悪克服のために、当時自分に「それでも音楽を聴く先は長いのだから」とロック聴取訓練を自らに課していたことが想い出される。
日々、テクノ/ニューウエイヴ音楽のシャワーを浴び続けるうち、ロック的な音楽のツボや聴き方すら忘れてしまっていた。

「いくら無理して聴いても駄目だ」という中、ベストヒットUSAからこの曲が流れた。
カントリーとも言い切れない味と夏の夕暮れ後のたゆたいを思わせて好きになった。当時、眠れない深夜にはAMラジオ・FENを聴き、エアチェックしていた。そのカセットは1本だけ残っている。

今度、こないだやっと買ったラジカセで聴き起こせたら、そのプレイリストを書いてみたい。

「・・・クレイジーに突っ走る奴
ゆっくりと進む奴
行きたい場所をまっすぐめざす奴もいれば
どこへも行かない奴もいる

真夜中のせいにしたらいいさ
月が出ていないからだと言えばいい」(月に吠える)  訳:内田久美子

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