今日もジプシーは、ラビラントをさまよい歩く旅のさなか。
行く先々で、ずいぶんたくさんの市井に「暮らす」血の通う・まっとうな人々とお話しができた。
きっかけは、写真。
路地をくねくねしながら。
■矢野顕子 「どんなときも、どんなときも、どんなときも」1982■(アルバム『愛がなくちゃね。』より)
作詞:糸井重里、矢野顕子
作曲:矢野顕子
お寺参り。お地蔵さんに合掌。
墓の向こうに空塔。この世とあの世。
うつら顔がなんとも言えない。
お彼岸にたくさんの方が来られていた。
草場の陰にネコさん発見。写真を撮っていると、足が悪くつえを突いたおばさんと目が合い、笑顔。
おばさん「この子、けっこうカラダしっかりしてるでしょ?」
かたちんば「そうですね。毛ツヤも良いし。」
おばさん「全部で、この辺に6匹居るの。毎夜、エサを上げに来るおばさんが居るのよ。」
かたちんば「それは何よりですね。」
おばさん「それは、ネコのえさ?」
かたちんば「はい。」
おばさん「この子は、好き嫌いが激しくてね。最近のネコは煮干なんか食べないんだよね。」
今度は「あっ、キレイ」と花に写真を向けていると、そこにお住まいのおばさんが買い物帰り。
かたちんば「すみません。キレイだったもので、つい。」
おばさん「わざわざありがとう。」
まるで我が子を褒められたかのように、笑顔のおばさん。
ヒメコブシ。
今度は、茶色のノラちゃん。
ニャーニャー鳴くので、エサを上げたら、ちゃんと平らげる。
前の家の二階からおじさんが顔を出すが、怒られずに、笑顔で合図。
サクラ咲く。
ジュウガツサクラという品種らしい。
くねくね狭いラビラントをさまよっていると、再びネコさんに出くわす。その姿で、何がどうかは想像は付いたが。
最初、洗濯物を干しているおばさんは、ヒゲハゲ黒づくめのじぶんを怪しげに思った。
「ネコが好きなもので、つい。」と切り出し、おばさんの警戒も緩み、長いこと路地で立ち話に。正ちゃん・まみちゃん・コチャコを失った話をしながら。
ミミちゃんは、14歳のメス。12年前、交通事故で歩けなくなったミミちゃんが路地へ。
ネコは元々好きでは無かった、というおばさんは、見過ごすのに忍びなく、一緒に暮らすことになったという。12年一緒に暮らしてきた。
オムツをして上げて、危なくない路地で遊ばしている。前は10匹近くこの路地にはネコが居たらしいが、全員ボランティアの人に協力を仰いで、避妊手術をしたとのこと。
「ミミちゃん」と声を掛けて撫でると、愛嬌良くコトバを返してくれる。
「よく、このへんうろうろしているから、またね。元気でね。」
おばさんは「ミミちゃん、寒くなってきたから、おうちに入ろうね。」と抱っこ。おばさんにお礼して、その場を去った。また、今度ミミちゃんとおばさんに会いに行く。