こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年3月17日 日曜日 「歩けば、出会う。」

2013-03-17 18:41:36 | 写真日和

今日もジプシーは、ラビラントをさまよい歩く旅のさなか。
行く先々で、ずいぶんたくさんの市井に「暮らす」血の通う・まっとうな人々とお話しができた。
きっかけは、写真。
路地をくねくねしながら。

■矢野顕子 「どんなときも、どんなときも、どんなときも」1982■(アルバム『愛がなくちゃね。』より)
作詞:糸井重里、矢野顕子
作曲:矢野顕子

お寺参り。お地蔵さんに合掌。

墓の向こうに空塔。この世とあの世。

うつら顔がなんとも言えない。

お彼岸にたくさんの方が来られていた。

草場の陰にネコさん発見。写真を撮っていると、足が悪くつえを突いたおばさんと目が合い、笑顔。
おばさん「この子、けっこうカラダしっかりしてるでしょ?」
かたちんば「そうですね。毛ツヤも良いし。」
おばさん「全部で、この辺に6匹居るの。毎夜、エサを上げに来るおばさんが居るのよ。」
かたちんば「それは何よりですね。」

おばさん「それは、ネコのえさ?」
かたちんば「はい。」
おばさん「この子は、好き嫌いが激しくてね。最近のネコは煮干なんか食べないんだよね。」

今度は「あっ、キレイ」と花に写真を向けていると、そこにお住まいのおばさんが買い物帰り。
かたちんば「すみません。キレイだったもので、つい。」
おばさん「わざわざありがとう。」
まるで我が子を褒められたかのように、笑顔のおばさん。

ヒメコブシ。

今度は、茶色のノラちゃん。

ニャーニャー鳴くので、エサを上げたら、ちゃんと平らげる。

前の家の二階からおじさんが顔を出すが、怒られずに、笑顔で合図。

サクラ咲く。

ジュウガツサクラという品種らしい。

くねくね狭いラビラントをさまよっていると、再びネコさんに出くわす。その姿で、何がどうかは想像は付いたが。

最初、洗濯物を干しているおばさんは、ヒゲハゲ黒づくめのじぶんを怪しげに思った。
「ネコが好きなもので、つい。」と切り出し、おばさんの警戒も緩み、長いこと路地で立ち話に。正ちゃん・まみちゃん・コチャコを失った話をしながら。

ミミちゃんは、14歳のメス。12年前、交通事故で歩けなくなったミミちゃんが路地へ。
ネコは元々好きでは無かった、というおばさんは、見過ごすのに忍びなく、一緒に暮らすことになったという。12年一緒に暮らしてきた。
オムツをして上げて、危なくない路地で遊ばしている。前は10匹近くこの路地にはネコが居たらしいが、全員ボランティアの人に協力を仰いで、避妊手術をしたとのこと。

「ミミちゃん」と声を掛けて撫でると、愛嬌良くコトバを返してくれる。
「よく、このへんうろうろしているから、またね。元気でね。」
おばさんは「ミミちゃん、寒くなってきたから、おうちに入ろうね。」と抱っこ。おばさんにお礼して、その場を去った。また、今度ミミちゃんとおばさんに会いに行く。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年3月17日 日曜日 「2004年4月・浅草」その1

2013-03-17 11:01:18 | 写真日和
土曜は、怒涛のように眠り、今朝は9時に起きる。
不安定感をただすために、ラジオを付けると、レモンさんが話している。
コドモ相談室が流れるまんま、お湯を沸かしてお茶を頂く。

付けっぱなしのラジオは、10時を越えて「安住紳一郎の日曜天国」へ。
不倫三昧女子穴=中澤有美子が、何事も無くしゃべっている。女性/色に甘い日本社会。
東京は、サクラが例年より2週間早く、開花宣言をしたそうである。

昨今、いろいろありすぎて、目が被写体に向かない。ということで、瞬間瞬間を捉える写真も枚数減。
いっそのこと、と思ってタイムワープして、撮りだめた写真をごそごそ。
出てきた9年前・2004年4月に浅草をぶらぶらした写真に目覚めた。

■矢野顕子 「What's Got In Your Eyes」1982■

アルバム『愛がなくちゃね。』のA面3曲目。
作詞:矢野顕子、ピーター・バラカン
作曲:矢野顕子




























コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年3月15日 金曜日 David Sylvian 「Approaching Silence」'90

2013-03-16 00:41:14 | 音楽帳

1989年という昭和の終わり・東西冷戦の終わりが同時に起きた年。
その後、キチガイ日本のバブルが崩壊する。
東京湾岸は「東京ウォーターフロント」と呼ばれ、倉庫街をクラブやギャラリーにした不思議な空間が在った。
かつて、ゼルダの佐代子ちゃんが、自転車で走ったであろうエリア。

当時、じぶんはハブ噛み師匠とMZA有明で掃除のアルバイトをしていた。

その「東京ウォーターフロント」に在った寺田倉庫で行われたラッセル・ミルズ&デヴィッド・シルヴィアンの映像・アート・音楽を一体化させたインスタレーション。その音を収めた「アプローチング・サイレンス」。
一週間の終わりに、あぐらをかいて、瞑想しながら、妖しい夜に徐々に忍び込んでいく。

■David Sylvian 「Approaching Silence」1990■
ジャケット等の写真は、藤原新也さんの作品。









眠らぬ街=東京のキチガイを収監した建物。

伊集院光さんの「深夜の馬鹿力」の1コーナーだった大好きな『だめにんげんだもの。』
大嫌いな相田みつをを揶揄しながら、リアリティあるハガキ職人さんたちの、素晴らしい詞を紹介するコーナー。
全然、相田みつをよりもココロに染み入るコトバの数々。
そこから大好きな詞を1つ。

『周りはカップルばかり。
ボクは、ストローをたたんで、水を垂らしてみる。
生きているみたいだなあ。』(みとぅを)





馬鹿な体制側の広告より。「ペットの糞は、責任持って処理」。
「有線式」の犬と違って、「個」が確立された「無線式」ネコさんを看板にしたバカ。
ネコさんは、ペットでは無い。そう思っているのは「腐った人間」だけの一方的思い上がり。

***

今週、実家に泊まった際の写真。

愛する尾野真千子さんが出たコメディードラマ「最高の離婚」。

朝の緑茶と、お袋さんが漬けた金柑の美味しさ。平和と幸福の瞬間。

達郎さんの「希望という名の光」を聴く朝。

のらくろちゃん、ひさしぶりです。冬が越せて良かったね、おたがい。
普段は寡黙なのに、ケンカ強いのらくろちゃん。今日もキズを負っているけど。
あなたの、じいーっと見つめる目が、大好きです。

庭の梅も、見事に今年も咲いてくれた。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年3月13日 水曜日 矢野顕子 「愛がなくちゃね。」'82

2013-03-13 22:10:48 | 音楽帳



■矢野顕子 「愛がなくちゃね。」1982■
1982年の深く・深く、愛するアルバム『愛がなくちゃね。』。
水をすくうように両手を合わせて、そっと手の器に抱く。
タイトルとおり、愛のあふれるアルバム。

作詞:矢野顕子、ピーター・バラカン
作曲:矢野顕子

エンジニア&ミックス:スティーヴ・ナーイ
アルバム録音:エアー・スタジオ(ロンドン)、音響ハウス、CBSソニー六本木スタジオ
アルバム参加ミュージシャン:高橋幸宏、細野晴臣、大村憲司、浜口茂外也、駒沢裕城、ロビー・マッキントッシュ、デヴィッド・ローズ、ジャパン(デヴィッド・シルヴィアン、ミック・カーン、スティーヴ・ジャンスン)
アルバム・プロデュース&アレンジメント:坂本龍一&矢野顕子
















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年3月12日 火曜日 David Sylvian 「Red Guitar」'84

2013-03-12 20:15:33 | 音楽帳
デヴィッド・シルヴィアン、1984年、初のソロ・アルバム「ブリリアント・トゥリーズ(輝ける樹々)」。
A面4曲目「レッド・ギター」。

■David Sylvian 「Red Guitar」1984■
映像:アントン・コービン
バック・ミュージシャン:ホルガー・シューカイ、スティーヴ・ジャンスン、坂本龍一、スティーヴ・ナーイ、マーク・アイシャム、フィル・パーマー、ロニー・ドレイトン

「ぼくには、特別な生活方式なんか無い。
ただ、ぼくが使うであろう基本的な道具だけ。

きみに訊かれたら、こう答えようか。
何年も前から、こんな具合だと。

ぼくは赤いギターを弾く。
それは、生身の情熱。
ぼくの強固な意志。

きみは、こころの中で、色んな問題にぶつかるだろう。
生きていくことのむつかしさは、ぼくも知っている。

訊いても構わないよ。
なぜ、ぼくが望まれているときに、「事」を果たさないでいるのか。

きみに訊かれたら、こう答えようか。
何年も前から、こんな具合だと。」(デヴィッド・シルヴィアン 1984年)




























コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年3月11日 月曜日 「3・10、そして、3・11」

2013-03-11 21:55:13 | 音楽帳

9日・土曜日。
帰宅後、へろへろに疲れた中、缶ビールを飲み・本をめくったり・音を聴いたりして過ごす。夜中、1時半に消灯す。

溜まりに溜まった「何か」がとめどもなくあふれ出る。
友人MZ師の電話が鳴り、起こされれば、10日・日曜日の17時。
15時間半睡眠。・・・というのに、起きると疲れも、寝過ぎた感も一切ない。

パソコンを付けると、東京の空が世紀末のような様になったとのこと。
全くそんなことはツユ知らず。
ほこりが舞い上がったものだ、と言っているが、いくら風が強いからといって、地面から舞ったものが、空模様をあそこまで変化はさせまい。
中国の黄砂、硫酸塩エアロゾル、PM2.5と無縁なはずはない。

***

3月10日。
東京大空襲の中でも、いちばんひどかったという日。
東京の街と人を焦土と化す・大虐殺が行われた、忘れてはならない日。
じぶんと同じ、三ノ輪生まれで三ノ輪育ちのお袋さんから、幼いころから聞かされてきた恐怖の体験。
「B-29」が間近な空を低空飛行して、殺されるかと思ったこと。
「B-29」が来るたびに、全ての明かりを消して、家族みんなで室内で身を伏せていた。そんな日々の話。

結果、隅田川や谷中墓地は死体の海だったという。
現在、吾妻橋の浅草側からは、スカイツリー、墨田区役所、うんこビル(アサヒビール本社)三者揃い踏みをする所で、ピースサインをして写真を撮っている観光客を多く見る。
しかし、当時、その下を流れる川も・吾妻橋の上も、死体の渦だった。

東京大空襲を逃れて生き残った東京の街。
その古き良き匂いは「経済」という名の下で、再度、いま「身内である?はず?の日本人?」から「あたかも合法的なフリをして」破壊され続けている。

スカイツリー周辺は、どんどん空き地化していく。
地上げ屋が土地を収奪し、どかんどかんマンション計画が進行し、隅田川沿いに住まう・ネコやイヌや魚たちと共に生きる・弱き立場のホームレスたちは東京都によって排除されていく。

「東北復興」とウソぶきながら、関係の無い地・東京で『オリンピックを!』と馬鹿猪瀬が叫んでいる。
東北復興なら、東北でやるべきではないか?と単純に思う。常軌を逸したキチガイに見えてしまう。

***

昭和20年3月10日にはじぶんは産まれておらず、2011年3月11日は震源から距離を置きながらの体験。
今日は、2011年3月11日の東日本大震災から丸2年目の日。
3月11日に対して何かを言う権利を、じぶんは持っていない。
2年たって、今ここに居るじぶんは、そう思う。何かを語る権利などはない。
いまだ生きていられるじぶんは、生き切るしかない。

ただし、東京大空襲、東日本大震災で、不慮の事故でイノチを絶たれた方々の無念に対して、手を合わせて祈ることだけはさせていただきたい。

マーティン・ルーサー・キング牧師を想い、イーノが創ったアトモスフィアの上で、即興でボノが歌った『MLK』。
U2&ブライアン・イーノ制作アルバム「ジ・アンフォゲッタブル・ファイアー(邦題:「焔」)」のB面最後に入ったこの曲を、今夜に添え、合掌す。
■U2 「MLK」1984■


Sleep Sleep tonight
And may your dreams Be realized
If the thunder cloud 
Passes rain
So let it rain
Rain down on him

So let it be
So let it be

Sleep Sleep tonight
And may your dreams Be realized
If the thundercloud
Passes rain
So let it rain
Let it rain
Rain on him

眠れ・・・今夜は眠れ
キミの夢が、きっと現実のものとなりますように

もし、カミナリ雲が、雨を降らせるならば
雨が降るにまかせよ
「彼」の上にも降りそそげ

すべてはあるがままに
すべてはなすがままに



























「I Have a Dream 【わたしには夢がある】」(マーティン・ルーサー・キング)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年3月9日 土曜日 大村憲司 「春がいっぱい」'81

2013-03-09 20:56:26 | 想い出かたちんば

東京は、今日22℃まで上がった。
ひそかに、黙って、日々たくわえてきたものを、植物たちは、大きな笑顔としての花として結ぼうとしている。

いろいろあって、多忙なる一週間だった。

緊急薬であるQPコーワゴールドを一日二錠投入しても、でろでろになった今日。
調子の悪いヒトの代役を買ってもあって、ウィークエンドだった今日も働いたが、午後には昼食を摂った逆効果で、気がつくと寝ている。。。
時計は1時間進んでいる。。。そんな事態に。

コートもスーツも暑くて脱ぐが、中途半端に寝たせいで、汗だくで気持ち悪くなり、吐き気を覚える。
しかし、なんとか、それも終えて、ぶーらぶーらカメラ片手に散歩して帰った。
風に吹かれながら、春がやってきた、そんな想いを皮膚で感じながら。

■大村憲司 「春がいっぱい」1981■





















大好きなもくれんは、パンパンに膨れ上がって、咲く一歩手前。














コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年3月6日 水曜日 大村憲司 「ザ・プリンス・オブ・シャバ」'81

2013-03-06 23:30:39 | 音楽帳

日々、打ちのめされる中で、ボクらには、それでも肩のチカラを抜く、良いいい加減さが必要。
今日、かなりPCに向かう時間が長かったので、頭痛激しい。
ふだんは週後半の朝・頓服剤として「ヤバイ」時のみ服用するQPコーワゴールドを、夜に服用した。
本来は、強壮剤のチカラを借りてまで「頑張る(嫌いなコトバ)」のはしない主義だけども、状態がひどいので初めて夜服用。
今週も土曜まであるし。

ボクらは、意図しない・望まない死を出来るだけ回避すべく、どんな手段をも用いよう。
何が是で・何が非かはわからないが。
わからないから、ピピっと来る、動物的カンに従おう。

本当は、春になったらかけようとおもっていたけれども、今聴きたいから・今聴こう。
1981年に、YMOのバックアップを得て、ギタリスト大村憲司さんが発表したアルバム『春がいっぱい』。
そこからの1曲。未だ大好きな「ザ・プリンス・オブ・シャバ」を。。。

■大村憲司 「The Prince Of Shaba」1981■
夢と一寸の希望とおおらかさ。そして切なさとロマンティシズムと永遠。
それらが、光のようにいっぱいに満ちた曲。

【当時のエアチェックテープ。FM雑誌のまま書いたので「「シャバ」が「サバ」になっている。
「シャバの王様」とでも訳するのだろうか?】

お酒が大好きで、べらんめえだった大村憲司さんが亡くなって、15年近くが経つが、この輝きは永遠である。
この曲が、同志たちの、何らかのいやしになれば幸い。

YMO結成後、鈴木茂さんや鮎川誠さんがギターを担当したこともあったが、それは一時的なもので、第一次ワールドツアーを通じてギターを担当したのは、KYLYN (キリン)からの流れを汲んだ渡辺香津美さん。
しかし、そのライヴを収めたLP「パブリック・プレッシャー(公的抑圧)」には、その渡辺香津美さんのギターが排除されて発売された。
真偽が定かでない中、ファンの中ではさまざまな説があったが、どうやら真実は契約上の問題だった、というのが真実らしい。

現代では、様々なアーチストの所属レコード会社であっても、コンピレーション盤が普通にある。(所属を越えた組合せ)
しかし、じぶんらの時代には、レコード会社所属アーチストの内側でしかコンピレーション盤は創れなかった。
渡辺香津美さんが所属する日本コロンビア、そしてアルファ所属のYMOがあって、ミックスダウンの中で、渡辺香津美さんのギターがカットされて「パブリック・プレッシャー(公的抑圧)」が発売された。

じぶんは、てっきりフュージョンの流れを汲んだ境目に位置していた初期のYMOから、テクノ色を強めるための措置と思っていた。
しかし、この諸事情偶然が、結果的には、じぶんが思うようなフュージョンから離脱し、テクノ/ニュー・ウェイヴへYMOをいざなっていく。

その後、第二のギタリストとして、第二次ワールドツアーに抜擢されたのが大村憲司さん。
その前の教授の「B-2UNIT」・YMO「磁性紀」という衝撃的なノイジーな曲にも、大きく関わった大村憲司さんのギター。(その後の幸宏の「ロマン神経症」等々も)
バックアップ・メンバーとして、YMOの陰でサポートにあたっていた大村憲司さんは、「私」の中でも印象深い、YMOと切っても切れないイメージが脳裏に焼き付いている。

死ぬまで、これはじぶんの春の永遠なる定番です。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年3月4日 月曜日 Kraftwerk 「Neon Lights」'78

2013-03-04 22:20:03 | 音楽帳

何の脈絡も無いのだが、今夜はテクノの元祖・クラフトワークの「人間解体(ザ・マン=マシーン)」より1曲。
衝撃的な赤いジャケットとお揃いの服に胸躍った少年の頃の出会い。
■Kraftwerk 「Neon Lights」1978■



中古屋さんで手に入れたアメリカ盤CD。

ジャケットが少し違うだけでも買ってしまうじぶん。

とてもシンプルで、テクノと言ってもあけぼのの頃のプリミティヴさだが、それが不思議と落ち着く。テクノの原点。
ひさしぶりに聴くと、今では牧歌的で温かささえ覚えてしまう。

***

本日の写真より数枚。

「梅は咲いたか YMOはまだかいな。」(YMO「BGM」の広告コピー)を思い出す。

風の中に立つ、ゆりかもめくん。



立ち呑み屋のたたずまい。



缶ビールも、はやくも春のよそおい。



夜梅見物。比較的暖かい、生き物にも優しい夜。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年3月3日 日曜日 夕、眠って暮れて

2013-03-03 18:32:10 | 音楽帳
朝からぼーっと独りの時間を過ごした。10時すぎパスタを茹でて食べる。
「さあ、食休み」と横になったら案の定寝てしまう。

起きると夕方4時半。
食のせいではなくて「からだとこころがかたちんば」だから、その補正を要求されたがままに従ったまでのこと。
ようく「ああ、休日をムダにしてしまった」と傾きがちな人も多いし、じぶんも例外で無いときも多い。

しかし、その源泉を辿ると、メディアが発信し続けてきて・見事に医療機関・製薬会社・その他経済効果に繋げてきた「健康病」なるプロパガンダと成功した洗脳に辿り着く。
ジョギングをして、心臓マヒで死ぬヒトの如く、1つの「宗教」や盲信に頼るのは賢いことではない。
「外に出ねば(=Must:ねばならない)」と言って、外に出たら交通事故死するように、長いスパンでの人生なんかありはしない。直後に何が起きるかなんか、わかりっこない。

その瞬間しか「私」は存在しない。遠い10年後に生きている保証を抱いて、ありもしない何かのために奴隷的徒労をするのは、実にくだらない。
ジョギングをしている「今」の瞬間が楽しいヒトは、楽しいからやっているなら良いが。
じぶんとて、このあと夜の散歩に行くかもしれないが、それはそれで・その時のテキトーな気分に従った方が正しい。

てなわけで、「今」は外が次第に暮れていく中、くだらん「世間」のウソにはなびかない、伊集院光さんのポッドキャストを聞いて笑っている。

■土屋昌巳 「Sea Monster」1997■
90年代に入って、一切じぶんのアルバムを出さなくなった土屋さん。
彼に敬意を抱く中の1人、ルナシーのSUGIZOが盛んに「ソロを創ってください」と訴えた結果に出来た5曲入りCD「モッズ・フィッシュ」。

1997年10月発売。その翌年にはアルバム「森の人」が出る。
当時、ソロ活動で低迷する幸宏が出ていた、金曜夜の「情報」えんたーていめんと番組「アクセル」は毎週は見てはいなかったが、土屋さんがゲスト出演した回は録画して見た記憶がある。(ビデオテープは今どこに行ったか?相変わらず不明だが。)
ともにSUGIZOが設立したCROSSレーベルからの発表。

「モッズ・フィッシュ」の1曲目の「シー・モンスター」。
ドラムンベースをベースとしながら、その上を土屋さんの硬質なギターとミック・カーンのベースがバリバリにうねる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする