こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

T.E.ロレンス 「E・ガーネットへの書簡」

2010-06-24 22:59:45 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ


わたしは満足を求めてあらゆる詩を読んだが満足は得られなかった。

わたしが欲しかったのは精神の食事であったのに、わたしが蒐集したのは精神のボンボンやエクレアだった。

詩をあきらめたわたしは、空想の食事を追って散文をあさり、いたるところに卑少な名作を見つけ、それから、人類よりも偉大となるべく誠実に努力したごく少数の人びとを見つけた。

わたしの空腹を満たすものは、かれらの悪戦苦闘だけだ!
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Bob Dylan 「Like a Rolling Stone(転がる石のように)」'66

2010-06-24 22:16:11 | 音楽帳
19:52帰りの電車に乗る・・・・。

実は昨日午後から右脳だけの偏頭痛が続いている。
もやもや・いらいらしてしょうがない。



なんか、今日はねぇ・・・・。

僕らはみんな、目線は「お客様」に向いていなければいけないのに、つまんねえ狭い仕事場内という

「狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い・・・・・・小社会」

での各セクションの整合性がうんぬんかんぬん・・・・・

「ぐぢぐぢぐぢぐぢ・・・・・・・言う奴(=塗り壁=ボトルネック)」

が居て、進めようとしている仕事が、一向に前に進まない。

いつもなら耐えうる「正気」の線を、軽々と超え、神経が『ブチッ』という音を立てて切れたので、即「標的=つくば村」に向けてロケットメールを発射。



と、同時に、元々進めて合意していた事項のメールは、強引に「塗り壁」を無視して、送信ボタンと共に、「だっぺ村」の村長さんの家も超え、しょせんは「自分はヒャクショーですから、コメ作りが命なんでえ、会社はアルバイト感覚だっぺよお~」という、世間を舐めた連中のカベも超え、全国に飛んでいった。

自分は、ヒャクショーという「戻れる場所」(ビハインド)を持った、実は「悠々自適」の、二束のわらじを履いた北関東の人種というのを、全く信用していない。

***

発射と共に、優しいタイプの後輩の上司は「かたちんばさん、ちょっと・ちょっとこっちへ・・・」と別室の『説教部屋』に招かれて・ドアを閉ざし、なだめられる。

「なぜ、そんなに興奮・過激な事するんですか。
優しく言えば、充分伝わるじゃないですか。
ここは、大人になって、表現を抑えましょうよう。」

そう言われるのが、たいていである。

しかし、俺個人の確信は
「常(つね)戦わねば、カラダが銃弾で穴だらけになるだけだ。」
という現実のありのままの事実だけだ。

 確かに、最近、リサーチの甘さから「誤爆」し、返り血を浴びて血まみれになる事もあり、ダダ盛り下がり、正座で反省する事もあるが・・・・。

***

 だからと言って、まるで「テディ・ベア」のような善人ツラ下げて、周りとの調和と「妥協」を取り、『さらり~まん』なる情けない呼称で呼ばれる・情けない集団に染まる気楽さを取るのは御自由だが、「妥協」の挙げ句「腐敗」していくのが関の山。

 誰に対しても、納得行かない事には抵抗する自分は、またもや、今日のメールで「敵」を増やし、敵陣にとっては単なる「邪魔者(=うぜえ奴)」扱いとなった。



 しかし、身を引くも押すもいずれも「苦境」であり、目指すは彼方の「約束の地(アヴァロン)」ならば・・・・・自分は『前線』[front line]で、前進すべく格闘するだけだ。



気概は、敬愛する「みうらじゅん先生」の敬愛する「ボブ・ディラン」の「Like a Rolling Stone(転がる石のように)」なのだ。



大都会の真ん中でも、たくましく・明るく生きる雑草のようなチカラが欲しい。
コメント (1)
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