こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

憂国のコペルニクス 「日本国を駄目にした人々に告ぐ」

2010-06-13 16:47:46 | 雑記帳


私の代は「バブルの申し子」とよく呼ばれる。
実際は、バブルな体験も無ければ、そんな事にも一切関与していないのにだ。

言うとすれば「バブル崩壊後労働者」である。

だが、タイムラグの問題から、なぜか私の代(1991年4月就職)に仕事にありつけた人間の数が多いので「バブルの申し子」と言われた。

私は、働き出してこの20年、日本国の景気・日本の権威というものが、いかようにして右肩下がりを続けて、没落し、ついに「デッド・ライン」を割るに至ったか?を見てきた「生き証人」である。

***

そんな私が働き口を探す際、とにかくモノを創る仕事がしたかった。
それだけだった。

回りには、若い癖して「人生設計」とやらで、「明日を見据えて」いると語る「馬鹿」がたくさん居た。

「若いのに感心な事だねぇ~」という嫌味を言いながら、バカニンゲンが自分の人生を放棄し・夢を持たず守りに徹した様を侮蔑したものである。

自分が、当時~今に至る中で一貫して侮蔑すべき職業人は多数ある。

(ある「閉ざされた」連携の利権の中にいる連中[特亜利権団体-大手宗教団体-大手広告代理店-大手マスコミ&大手新聞&大手印刷会社-ヤクザとしての芸能界]はもちろんのことだが・・・)

当時、侮蔑に値すべき職業人は、公務員、銀行、保険会社…等々、要は「守銭盗」だった。

何も創らず、他人のカネで堂々と平気なツラ下げて、道の真ん中を歩いて生きている連中である。
当然、中には良い人も居ようが、そういう意味では無い。

友人MZ師は、これを刺して「職業に貴賎あり」とよく言う。

一体、誰が日本をここまで追いやった犯人か?という事を想えば、スムースに受け入れられるであろう。

我々の血尿・血便で出来た税金を「勝手に」使って、銀行・大企業を救う国を、私は決して赦す訳にはいかない。
多くの仲間を自殺や犠牲にしながら、生き延びようとする奴らを赦す訳にはいかないのだ。

元々、バブルを引き起こしながら、平気なツラ下げて生き延びている犯人は「銀行」である。

***

凱旋車に乗っている「エセ右翼」の実体は、右翼では無い。

大きな殺害事件や、圧力によって企業団体からカネを巻き上げている正体は見えているが、「その一味」である大手マスコミは、「それは右翼のせいだ!」という大々的プロモーションを展開するが、犯人の氏名を見れば、それが日本人ではない事で、全て明らかであり、そうする事で「右翼は怖い」を印象付けているに過ぎない。

真なる日本人のタマシイ・武士道のタマシイを引き継ぐ人間は、そこには居ない。

もっと、言いたい事はあるが、我々、真の日本人のタマシイを持つ者たちが、鉄槌を下すべき標的は定まっているのだ。
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細野さん  「プリオシーヌ(PLEOCENE)」'89

2010-06-13 02:06:31 | 音楽帳


1989年。
昭和天皇が崩御し、東西冷戦が終結した、最果ての年。

YMOが散会してから6年、

教授は「ビューティ」を、そして、細野さんは「オムニ・サイト・シーイング」を。

***

2人は、お互いを意識しながらも、80年代末をむかえていた。

世間では、’87年に崩壊したニュー・ウェイヴの溶解と共に、だらりんちょんな好い加減な年が経ち、「ワールド・ミュージック」なる「いかさま」ミクスチュアな音楽世界に入っていった。

***

「ビューティ」も「オムニ・サイト・シーイング」も共に素晴らしいアルバムだったが、「オレが世界でナンバー1」という教授のピノキオの鼻が伸びる中、つい、今、2010年から逆照射しても、細野さんという人はそういう自己主張をしなくても素晴らしい音楽をつむぎ出し、多くのフォロワーを生み出すという点においても、安定して新しい音楽を産み続ける細野さんを尊敬せざるを得ない。



個人的には、この「オムニ・サイト・シーイング」の中でも、最後の曲「プリオシーヌ」が大好きである。

夏も間近。
また、数年ぶりに、沖縄に細野さんの南洋志向のCDをたくさん持って、のんべんだらりんと癒しの旅に出たくなった。
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