【1988-89あたりのエスキース】
12月24日とか25日に、あまり良い想い出は無い。
コドモの頃は、冬に向かおうとする季節の中で、空を見上げてはクリスマスがやってくる気配に夢を持っていた。
しかし、毎日、下町の家で繰り広げられるのは、夫婦げんか。
北野武さんの「たけしくん、ハイ」のように。
そんな中、12月24日とか25日は、学校の二学期が終わる日。
兄に比べれば、駄目な通信簿を仕方なく受け取り、暗い気持ちで持ちかえり、親父が帰る時間をひやひやしながら待ち、そして、カミナリが落ちる。。。
泣きながら、鳥さんの丸焼きを食べ、灯る小さいクリスマスツリーが見えた記憶。
夢見がちな、コドモにとってはつらい時間でもあった。
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精神的に密なる中高生時代を過ごした80年代の前半。
その時代のうねりが産み出した稀有な音楽等々の文化が終焉を向かえた頃、その代わりに現れたバブルとその崩壊。
そんな自分とは無縁な時代に、大手広告代理店が絡んだJRのCMをきっかけにして、「家族が集まり・この日だけはいさかいを収めて・ささやかに家で過ごすクリスマス」から、「恋人(以外も『可』)同志がSEXをする日」に挿げ替えられてしまった。
<まあ、自分の家の場合は「いさかいを収めて」が違ったが。>
その後は、時代の変遷を経て、さまざまな過ごし方にバラバラになっていったが。。。
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今年の今日12月24日。
アマゾンで買ったパソコン関連の周辺機器が届く「ピンポン」に起こされる。
サインをして配達の方にお礼を言って、部屋に戻る。
出し殻になったお茶っ葉から、新しい葉っぱに替えて、深い緑茶を入れて飲む。カラダがあったまる。
溜まった洗たくをして、干す。
老親は、今日はわたしに家に寄って欲しいだろう。
しかし、悪いのだが、今のじぶんは、ヒトが集まるところを通過もしたくない。
また、疲れていて、そんな状態でもない。
部屋で音楽や撮り溜めたラジオのmp3を聴いて、明日からの仕事にそなえて過ごす。
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「わたしは二人の友人と歩道を歩いていた。太陽は沈みかけていた。
突然、空が血の赤色に変わった。
わたしは立ち止まり、酷い疲れを感じて柵に寄り掛かった。
それは炎の舌と血とが青黒いフィヨルドと町並みに被さるようであった。
友人は歩き続けたが、わたしはそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。
そしてわたしは、自然を貫く果てしない叫びを聴いた。」(ムンク)
【ムンクの「叫び」には、『キチガイにしか描けない』という文字が書かれている】
大昔の写真を整理していたら、幼稚園の遠足のときの1枚を発見する。
「叫ぶ」じぶんは、ふざけているのだろうが。
ふざけているのか?どうかは、今はもう分からない。
ただ、3歳の頃には、じぶんはすでに、放り出された、寄る辺無き混沌世界が把握できない不安定感にさいなまされていたのは事実である。
この意識だけは、じぶんの中でははっきりしている。
3歳の頃に、慶応病院の幼児精神科みたいなところに、お袋が連れて行ったのを、よく親族が集まる場面で笑い話しにされるのだが。
そのきっかけは「兄のケツを噛んだ」とやららしい。
兄のケツを噛んだ記憶は無いが、そうやって兄に絡むじぶんが突き飛ばされて、家具のカドにアタマをぶつけて、後頭部を切り血まみれになって、病院で縫われたのは覚えている。
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幼稚園の頃、担任だった先生が大好きだった。当時20代だった先生。
優しかった先生をじぶんが大好きなのは、周囲とその親にもバレバレだった。
これまた、幼稚園のブランコのウラをすり抜けるときに、ブランコにゴツンをアタマをやられて倒れる馬鹿なじぶんの起こした事件。
そのときに介抱してくれた上で、家に連れて行ってくれた先生。
このとき、アタマの痛さよりも、先生と手をつないで歩けるうれしさと恥ずかしさの方が、脳の中を支配していた。
キレイな直筆の字。
「先生、すみません。
じぶんは、『げんきでつよいおとこのこ』にはなれませんでした。
でも、生きていますよ。なんとか。」
■Bing Crosby & David Bowie 「Peace on Earth/Little Drummer Boy」 1977■
このボウイとビング・クロスビーの映像は、じぶんのクリスマスの定番。よくこの頃、テレビで流れていた。
この日本で流れる日本みゅーじしゃんの下劣なクリスマス音楽とは程遠い。永遠に。