カラダが不自由にならねば分からないことがある。
今回は、腰である。
実は、先週後半から、それらしき「まえぶれ」はあるには・あったのだが。
土日、寝ていた自堕落がトドメを刺した。
今朝、カラダを起こすことが困難になる。
右の腰に激痛が走り、ゴマちゃんのように床をすりすり移動しながら、何とか起きた。
仕事場に向かい、イスに座る。
しかし、時々刻々と様子がおかしくなる。
カラダのどこに力点を置くか?不安定になり、それを崩すたびに、激痛が走る。
やるべきことに、行入(こうにゅう)しているうちは、いっとき忘れるものの。
一拍置くと、「アジッ」と激痛を繰り返す。
座っていてもそんな状態。
問題は、いかにして立ち上がるか?
角度・力点を工夫するものの、立ち上がるのに、ナミダが出る痛みが、電気のように走る。
座るよりも・立っていたほうが、むしろ安定感がある。
同僚の方が貸してくれた塗り薬を、トイレで塗るが、好転セズ。
悩んだ挙げ句、19時に、つえを突いて、近所で評判の接骨院へ行く。
先生に、いきさつや状態を話す。
先生は、カラダを診察した上で「これは、ギックリ腰の一歩手前ですね。」
「このままほうっておいても、いずれ近いうちに、もっと激痛になる手前ですよ。」
ポカンとしつつ、先生の言うことに従う。
つえを突いて、のたのた歩きながら、うつぶせに何とかなり、まずは電気療法。
その後、冷やす。
この冷やしがすさまじかった。
パンツをずりさげ、氷を袋に入れたものを、おしりから腰辺りに突っ込む。
あまりの冷たさに痛みが走る。
うなりながら、10分以上放置される。
その後、時間が経つと固まっていくシップを貼り、サラシ数十メートルを3本ぐるぐる巻きにされて、いきなり相撲取りのような妊娠腹。
コルセットよりも、確かにこの方が体型にフィットするのだろう。
そうして、お礼を言って、つえを突きながら地下鉄に向かう。
車中・駅・お店の手に取るロケーション。。。
帰れば、服を脱ぐ行為・着る行為・暖房機を付ける行為・手を洗う行為・・・・。
もっと、こうあれば、良いのに。
そういうたくさんのことが、身に染みてわかる。
過去にも、病になった際には感じたことではあるが。
いろんなCUEが、まだこの生活空間には潜んでいることが分かる。
ちょっとしたことが、超えられないカベだったりする。
そうして、今は、キーボードをひざの上に乗せて・マウスを積んだCDの上に乗せて、この文字を記している。
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身動きが不自由にもかかわらず・こんな駄文を記し続けるじぶんの姿は、他人から見ればバカそのものだろう。
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今日は、ラジオ好きのじぶんには、すこしさみしい日でもある。
ようく、営業でクルマを転がしていたころ、夕方を告げる1つの合図は、小沢昭一の・あの番組のメロディだった。
「おやぢ、また、がんばっとんなあ~」と、いつもの語り口がクルマのAMラジオから流れていた記憶。
これは、同じような営業マンならば、同じような経験をしているはずであろう。
好き嫌いはともかく、小沢昭一の・あの語りは、ラジオ文化の登場人物の一端をになっていたのは事実。
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1983年晩秋。
YMO、ビッグカントリー、モンスーン、ビル・ネルソン、ポリス、ブラマンジェ、エルビス・コステロ、XTC、ヴァージニア・アストレイ、スタイル・カウンシル・・・・
そんな中に混じって、ポール・ヤングを聴いていた。
マーヴィン・ゲイのカバー曲「愛の放浪者」。
ジャケットでのスーツの似合わないB級加減等々を感じながらも、ソウルフルなこの曲は、1983年の晩秋に聴いていた記憶の断片である。
■Paul Young 「Wherever I Lay My Hat (That's My Home) 」'83■
明日も朝から茨城に向かう。
何があろうと、時を止めることは不可能なのだから。