こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2012年12月16日 日曜日 Big Country 「Chance」'83

2012-12-16 23:54:33 | 音楽帳

1983年晩秋。
この中で、ビッグ・カントリーの登場も忘れてはいけない事件。

「坂本龍一のサウンドストリート」の1981年放送で掛かったスキッズの「ブレイヴ・メン」のかっこよさ。
今でも、内包されたエネルギーに満ちた曲。

そのスキッズのスチュワート・アダムソンが作った、新しいバンドがビッグ・カントリー。
ファーストアルバムのA面スタートに収まった「インナ・ビッグ・カントリー」のメロディアスで激しいパッションを感じる名曲。
イギリスの誇りを抱いた堂々さ。男らしい実直な突進力。


***

80年代において、変化を率先して行っていたミュージシャンは、スキッズ→ビッグ・カントリーばかりではない。
彼らと同時期に現れたポール・ウェラーのユニット=スタイル・カウンシルにも、パンクバンド「ザ・ジャム」からの大きな方向転換に驚いた。

優れたミュージシャンは、同じことをやっていればドサ回りで喰える、などというものは一切視野にない。
スペシャルズ→ファン・ボーイ・スリー→カラー・フィールドと変化していったテリー・ホールなども思い出す。

***

「インナ・ビッグ・カントリー」という曲で、大きく活躍するギターは、スコットランドのバグパイプの音を奏でる。
彼らの音楽には、スコットランドのフォークロアの匂いが花を咲かしている。

じぶんは、イギリス系の音楽ばかりを日々聴いていたが、U2の「WAR」に収録された「セコンド」「ドロウニング・マン」といった曲、
またXTCの一連の作品、初期のブライアン・イーノのソロにも響きとして聴こえるフォークロアの匂い。

今夜は、ビッグ・カントリーのファーストアルバムの中で、じぶんが一番好きな「チャンス」を聴く。

■Big Country 「Chance」1983■


この「チャンス」が大好きなもので、12インチシングルまで買ったが、12インチの方はアレンジが変わっていて、フォーク的な処理がされている。

何よりも、スチュワート・アダムソンのヴォーカルの声が渋すぎて・かっこ良すぎて、たまらないです。
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2012年12月16日 日曜日 YMO 「Limbo」'83

2012-12-16 13:03:57 | 音楽帳

寝た時間は、断片的とはいえ、非常に長い。
無意識下でのエネルギーの消耗が激しいからだろう。
夢と夢の合間に、伊集院光さんの撮り溜めたラジオの心地良い笑いがはさみ込まれる。





土日は、接骨院がやっていないので、先生にもらった皮膚が腫れない・石膏になるシップとテープをもらった。
それを貼るために、初めてじぶんでハラに巻いたサラシを外す。
すると違和感。

分厚いハラ巻きがなくなったせい、それに、外した途端に背中・腰の張っていたバランスが崩れる。
右腰の痛みが戻る。
サラシがいかに腰痛を支えていてくれたのかが、外して初めて分かる。
まだまだ直ってはいないのだ。

***

12月16日。
世間は、どうやら「大選挙」らしい。

たかだか1ヶ月しか時間が猶予が無い中で、選挙に突っ込んでいく、
政党として未来像が固まることもなく、ただ「今さえ越えれば良い」とばかりに、幼稚なクチさわりの良いプロパガンダを言うのみ。
「ズボラめし」選挙、のはじまりですうう~っ。

具体的な血判を押さずに。
永遠に変わらないくだらない握手だ・・・・
ポスターだ・・・・
駅前で、じぶんのようなびっこまんや仕事に急ぐ人の歩く道をジャマするバイト・・・・
誰も聞く余裕のないKYそのものの、朝の時間帯の意味の無い演説・・・・
名前を連呼する選挙カー・・・・

キチガイは、政治家のみではなく、国民も。
国民の言うとおりに従った結果、民主党が政権政党になり、それが問題起こすとぶーたれる。
宮台真司は、それを「任せてぶーたれる連中」と言う。
日本は民主主義を履き違えている。
多数決では無いし、選挙である必要もない。
そもそも、国民の言いたい放題を聞いていて、政治が遂行出来るわけが無い。

そんなこの国のカタチはどう考えてもキチガイそのものに思ってしまうじぶんは、この国ではキチガイなのだろう。
2011年3月11日東日本大震災から、1年9ヶ月という長い長い時間が流れた後で、いまさら師走に強行選挙が行われる事実。

第三極とは何か?
何が「維新」か?
いざとなっても、自死を覚悟しないさまを、西郷隆盛さんは、ハナで笑うだろう。
三島由紀夫先生も、草葉の陰で、ハナで笑うだろう。
第四極は無いのか?
ある。
それは、白票・選挙に行かない人・選挙権の無い人。

選挙率がまともになっていない状態で選挙などやっても、非課税の宗教団体を背負った政教分離していない、違法政党が固定票を得る程度のことである。

しかし、じぶんはびっこを引いて選挙に行く。
どの政治家にも政党にも票は入れない。

唯一の目的は、裁判官全員にバツを下すためだけである。
機能していない司法へのNO程度は、意思表明しておきたい。

***

マスメディアに選んでしか接しないじぶんの今夜は、一切の選挙報道を避けて、音楽や撮り溜めたものを見聞きする。
今回の選挙票はばらついて、ここで結果は出ない。
選挙後、どうせなにとなにがくっついて、選挙時点での結果は反映などされない。
どうせ、公明党=創価学会は、その様子を見て、良いポジションにひっつくだけのこと。
どさくさまぎれの形式のみの芝居選挙にしか過ぎない。
こんなシステムは、早くやめるべきだ。

個人が個人として考えて、個人を守るための行動のほうが大事である。
また、じぶんが信じられる同志とのコミューンのほうが大事である。

じぶんには、政治よりも巨大企業やヤクザ=D通などのほうが、むしろ標的そのもの。

選挙活動もそうだが、大量のカネをムダに投じて広告(=プロパガンダ)を行いながら、その末端で苦しめられているじぶんには、○トリ・○オン・7&I等々・・・あげればキリが無い横暴の方が列強である。
また、2012年のタブー、国内亜細亜人・在日利権・創価学会と絡むマスメディアの源流D通。
国家中枢・国家を動かす力は、政治家にはすでに無いのだから。

■YMO 「Limbo」1983■


※limbo(リンボ)【ネット辞書より】
・地獄の辺土(地獄と天国の間にあり,キリスト教以前の正しい人,洗礼を受けなかった小児・異教徒・白痴者の霊魂の住む所)
・忘却、無視された状態
・中途半端な状態
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