こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2012年12月3日 月曜日 Spandau Ballet  「With The Pride」'84

2012-12-03 22:29:52 | 写真日和


何をいまさら、ガキのようなことを・・・・・と分かりながらも、働いて何かを獲得することが、結果、おのれにもどることなく、
収奪・搾取される場面を見てしまうのは、つらいことではある。

おのれが一枚噛んでいたはずのことは、見えないところで「そこに引導した」と思われる者のポケットにおさまる。
彼は、黙って否定しない。
いくどとなく、こういう風景は見てきたが。

そんな場面を目の当たりにした後、シャーベット状の雨降る中を帰った道。





さすがに、手がかじかむ夜道だった。

***

てなことを、しばし忘れて。音楽と写真でいやすべし。

DVDメディアに焼いた2003年11~12月版をながめていた。
9年前の、まだ多摩や山梨をクルマを転がして、地方巡業していた頃。

ひさしぶりに、忘れていた過去の写真をめくると、今との差異に、興味深い気付きがあるものだ。


自室にひたすら積まれていたCD。
ここから1枚1曲選んでみる。
スパンダーバレエの4枚目「パレード」より『ウィズ・ザ・プライド』。
1984年の作品。

■Spandau Ballet 「With The Pride」1984■


教授(坂本龍一)のサウンドストリートで、当時、ほとんど「流し」のように掛かった曲でもある。
「まー、こんな具合で」と言うように、途中で音が絞られた。

ニューロマンティクスの代表格として、ヴィサージやデュラン・デュランやアダム&ジ・アンツと共に現れたスパンダーバレエ。
ア・サーティン・レイシオなどと共に、ホワイトファンクの可能性を模索した中でも、特に「チャントNO.1」は、未だに残る実験の成功だったが。。。。

その後「トゥルー」で、すっかりイギリス風演歌世界の「泣きメロ」の世界に行ってしまった。
今は死語である「売れ線」という場所に行ってしまった。
この「パレード」も、その延長線上にしか過ぎない。
また、ゲイリー・ケンプの大仰な高らかな声での歌い方は、その後の若い者たちへ「ニューロマンティクス」という概念を誤った解釈に導いた。
そうじぶんは思っている。



「それもあって」の上だが。
『ウィズ・ザ・プライド』は、意外と、たまに聴きたくなる。

***

お話しは戻って、2003年の晩秋の写真へ。。。。


居酒屋「百恵」のカンバン。
山田まりやのカラダが、ガムテープでえらいことになっている。
実にアートだ。


日比谷線。
地上を走る南千住から・じぶんが生まれ育った三ノ輪の地下へともぐるあたり。


山梨への中央道を走る夜。
今回の笹子トンネル事故は、かなり身近に感じる。

日々長距離を走っていた中、クルマが元々あまり好きではない自分。
「このトンネルで事故が起きたら死ぬんだろうな」とよぎるのは、大阪時代からよくあった感情。
特にトンネルには、閉所恐怖症が出て汗ばむときがあった。
怖かっただろう。
亡くなった方々へ合掌。


小平あたりか?団地の中に咲いた黄金色のイチョウ。
陽に映えて、輝く美しさ。


当時のコチャコちゃん。
端正で気高いさまは、野性味を忘れていないネコらしさを湛えている。


有明の夕暮れ。


いっぽう、まみんころは、いつも通り、ぽわ~ん。


某立川市のはずれの公園にて。


飛行機雲。



コメント (7)
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