人は「時」を生きる。
「時」を超えることは出来ない。
「時」は、人に構わず永遠をたもつ。
超えることが出来ないから、極めて限られた・狭い・地球上での滞在期間の・密度を・如何様にするか、迷走する。
天才、と呼ばれる人が、天才たる、
とじふんが実感するとき。。。
その糸をたどると、常に、その感覚の源泉には、瞬間瞬間に発せられる・語りや
表現が持つ密度と構成力の高さと重さにある。
例えば、YMOの三人だったり、ブライアン・イーノだったり、ロバート・フリップだったり、プリンスだったり。。。
三島由紀夫・安部公房・色川武大だったり。。。
それは決して持って産まれたなにがしか、だけではない。
超えることが出来ない「時」とのハザマで、絶対者たる「時」へ、矢の一刺しでもせねば死んでも死にきれないというあらがい・叫び。
そのなにがしかを、この世に出現させるがための、絶え間無い修練・錬磨があってのことと思っている。
才能だけでOKなはずは無い。
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一凡人であるじぶん。
ゆるいゆるい逃げ場ある世界で生きる凡人・かたちんば。
絶え間無い・を持続出来る者だけが、なにがしかを獲得・出来るかもしれない・中で、
じぶんにはタフな体力も精神力も、明らかに不足している。
三島由紀夫やYMO三人が、不眠不休の闇の中で、作り上げていった日々のいとなみの一方、
かたちんばは、ひさびさに遅くまで朦朧としながら・根を詰めた程度でふらふらになっている夜。
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ただ、共有できるヒント・CUEは、病(やまい)・偶発的事故が起こす・軌道変更が、なにかのきっかけになりうる。
そんなことは思う。
ついユングの言っていたことを思い出すが。。。
キング・クリムゾンの名曲に「I TALK TO THE WIND」なる、示唆に満ちた結晶体がある。
じふんは風に語ってみるが、風はただ何も言わずに吹いているだけ。
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身動きが取れないカラダで、痛みを感じながらヨタヨタと、夜道を歩く。
制限されすぎた不自由のなか、
受け身にならざるを得ない夜に、
それにあらがえずまま、
その中で見えてくる音・光・匂い・たたずまい。
そこには、うまく表現出来ないが、
掴めそうで掴めない「X(エックス)」たる何かの気配を感じている。
今夜は、パソコンさえいじれなくなった身体的制約の渦中に居る。
唯一、頼りになるのは、最低動作で文字が綴れる(スマホでもない)原始的携帯電話しかない。
今から、暗闇の中で眠りに堕ちていく。