こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2012年12月11日 火曜日 David Bowie  「Loving The Alien」'84

2012-12-11 23:18:28 | 写真日和
不自由であることは、自由であることを照射する。
右腰のぎっくり腰は、相変わらず痛む、断続的に。

「そんなこと言いながら、ブログなんか、やるな!」
まったく、そのとおりでございます。
それでも、こうして書いているじぶんは、奇妙な生物。

***

外で活動しているときには、若干シャキッとしているせいか、動きは多少自由が利くが、家に戻れば、数十センチ動かすのも苦労する。

座っていてもつらいが、じゃあ、横になれば・・・・
というと、横になったきり動けない、びっこまん。

座るも一苦労だが、座るとまずはいろんな筋肉が張る。
痛い箇所をリカバリーしようとするからだろう。

「服を脱ごう」
そう思うが、ズボンを脱ぐにも、なかなか脱げない。
下手にゆかに落ちてしまえば、拾う作業にさらに苦労する。

「タバコを吸おう」
そう思うが、バッグに入っている。
しかし、その1mもない場所に移動するのに痛みは避けられない。

「ラジオの音量を調節しよう」
そう思うが、手を伸ばすとビリビリ言う。

そんなことの渦である。
しかし、デメリットばかりではない。

精神的には元々不自由なかたちんばだが、実痛に対峙すると、また別の視野が開ける。

歩くのがゆっくりせざるをえない。
そうすると、いつも見ている風景を見る秒数が長くなる。
秒数が長くなると、ゲシュタルト崩壊ではないが、この家はこんな形をしていたんだ。
この木はこんな凹凸をしていたんだ。

いつもは歩かない地点を歩いたりする。
そこで振り向くと、同じ場所なのに、いつもとは違う角度から見える風景は、まったく思いもしないものに見えたりする。

電車に乗れば、座るのは恐怖で、むしろ立っていたほうがマシだから、手すりかつり革に必死にしがみつく。
まれに、優しい女性が近づいてきて「席に座ってください」なんていうシアワセにも出会うが、笑顔で丁重にお断りする。

自動的に、両手はふさがり、何もすることは出来なくなる。
自動的に、動けない姿勢の中での視野と聴覚に、感覚が収斂する。
いつもは、聴くことがなかった音を聴いたりする。






まだ社会が駆動する前の空気は、風景の色を鮮やかに感じさせる。


つくばに向かう。


「うううっ、かわいい・・・」と、つい撮ってしまう、菅野美穂ちゃんのハイボール新ポスター。


窓から見える、鉄塔と雪をかぶった富士山。


好きな明治のミルクココア。タオルは座るイスの右のおしりの下に引くため。
ささいなものが、痛みのクッション材になってくれる。


一仕事を終えて、都内にUターン。

今夜も、接骨院に行く。電気療法に・氷で冷やして・マッサージ。
その上で、固まるシップを貼り、3本「さらし」をギューギューに腰まわりに巻いて固定。

帰り際、せんせいに「逆に、カラダを動かさないと良くないですよね。」
そう同意を求めると「今は、動かないほうがいいですよ。無理しないように。」

そーいわれても、明日も茨城に向かい終日ミーティングなのだ。
まあ、適度にやるしかない。


ここ数日、一日一食。
それでも、何ら不自由しないのは、神経がカラダをどう動かすか、という「今」に集中・行入しているからだろう。



■David Bowie 「Loving The Alien」'84■


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