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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

ベニー・モス「フリー」(@横浜STスポット)

2008年04月17日 | ダンス
4/17
雨の中、横浜。久しぶりに「鈴一」。早めに食べ終わり、Aが男たちに囲まれて「てんころそば」と格闘するのを後ろから見ていた。

垣内友香里の主宰するベニー・モスの新作。「フリー」というタイトルにあまりこだわりすぎない作品になっていたらと、余計なお世話を焼きながら上演を待つ。垣内は、大橋可也&ダンサーズでも活動していて、昨年末には、彼らの企画したイベント「関係者全員参加! ダンスクリティーク」でも、プレゼンターとなって話してくれた1人だった。そのとき、この作品の中間発表をしてもらったのだが、出演者全員が「フリー」な状態で舞台にいることがコンセプトになっていて、それは正直どうなのかと思っていたのだった。「フリー」であることはそんなに必要なことなのか、そもそも出演者の「フリー」を観客は見たいと思うか、などとイベントで垣内と話した憶えがある。
本番は、「フリー」というものについての話者の考えについての語りがさまざまに何度も繰り返される、そのレクチャー・トークが中心となって、その周りに、なんともいえないスローモーションな動きのダンス?が差し挟まれる、という内容に変化していた。「フリーはいったいどこにあるのか?」という問い、それを真っ直ぐに答えようとした最初のアイデアは、ほぼ廃棄され、代わりに選択された「フリー」というよくよく考えるとどこにあるんだか分からない虚焦点のまわりでぐるぐるとじたばたする様は、一時間半という長丁場の公演を成立させていた。垣内というキャラがもつ面白さも際だった。目がギョロッとしていて、美人のようで、でも体ががっちりしているから暴力的な印象もあったり、まじめなようで怒ると怖そうな、見る者を不安定な気持ちにさせる彼女が、ひとりしゃべりをつづけている様子は、それだけで面白く、その面白さが、つまり垣内が自分のキャラを積極的に生かして転がすようになったら、もっとそういう意味でわがままになったりなどしたら、一層観客を強引に振り回し、一層面白くなるだろう。

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