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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

『新人類図鑑PART1』『新人類図鑑PART2』

2009年08月12日 | 80年代文化論(おたく-新人類 族 若者)
この2冊は、前述したように、『朝日ジャーナル』で筑紫哲也が「若者たちの神々」以降に連載したもの。本書の中から、新人類3人組(中森明夫、野々村文宏、田口賢司)のコメントを拾ってみる。

◎『新人類図鑑PART1』(筑紫哲也編 朝日文庫 1986)
「まあ去年は、山口先生と吉本(隆明)さんに会えたのがね、やっぱり面白かったですね。あんまり会えない人ですからね。ほとんどそれは、キョンキョン(小泉今日子)に会いたいとかと同じです。吉本さんの刈り上げも、キョンキョンの刈り上げもね、カッコいいというのありますよ。」(p. 24)

「当時(中森よりも年長の人が若者だった頃)、議論するということと、今われわれが喫茶店で冗談を言うことというのは、カッコいい、カッコ悪いというレベルでとれば、、等価なんですね。喫茶店で冗談を言わなければいけない、つまり冗談を言わなければ、コミュニケーションできないし、仲間はずれにされちゃうということがありますからね。」(p. 25)

「最近、森田健作さんっていう人にすごく興味があるんですよ。なんで興味があるかと言うと、やっぱりあの人の前には、伏線として『スチュワーデス物語』というのがあったと思うんです。
 つまり、ものすごく大真面目ドラマを、今の子供たちが笑っている。ものごとの見方のパラダイムが変換されている。と言われているんですけれども、そうじゃなくて、冗談で見てて、ついマジになっちゃうとか、笑っているうちに泣いてしまうとか、泣いているうちに笑ってしまうとか、そういう複雑なことをやっていると思うんですよ。」(p. 25)

「ダサかったりカッコ悪かったりするというのは一番怖いことですからね。恥ずかしいことが一番カッコ悪い。仲間はずれにされることが。じゃ、どういう形でマジな部分が流通するかというと、ギャグのふりをしてくれたら受けましょうというのが無意識的にあると思うんですよ。」(p. 26)

「僕の友達が言うのは、俺、もう芝居しているよと言うんです。もう、つらい時には、これは芝居だと割り切ると言うんです。上司に叱られると、あ、この上司は怒る演技をしているんだ、うまいなあとかね、迫真の演技だと。俺は怒られてしゅんとしている演技をしようと。毎日そういうふうに演技していると言うんですね。」(p. 28)

「絶対的な自己みたいなものはなくて、つねに何かとの関係でしかたわむれていないということは思っているんじゃないですかね。なんでも演技といいますか、着替えができる、みたいなね。きょうは実存主義ルックできめてみようとか。車でも同じだと思うんですよ。車を着ていると思うんですよ。女の子にあれするために。あと、家柄を着てみせるとか、大学を着てみせるとかね、ブランドを。着てみせるから、脱ぎ替え自由みたいな。」(p. 29)

「筑紫 僕は世俗的に浅田(彰)くんのメッセージが一番はっきりしているのは、家の問題だって言うんだけれども。つまり少なくとも家というものに執着をしなければ、違う人生が相当見えてくる。
 中森 だから、浅田さんが出た時は、僕らがわりに当たり前に言っていたことを、ああいうふうに理論化していただいてね、すっきりしたことはありましたよね。」(p. 32)

◎『新人類図鑑PART2』(筑紫哲也編 朝日文庫 1986)
「オカマなんですよ、新人類って。メディアのなかにおける流通コードとしてはオカマと同じなんですよ。……新人類って人でなしだから、いままでの人類じゃないわけだから、何いってもいいというようなところで、だから一種の芸人みたいなもんですよね。」(野々村文宏 pp. 33-34)

「秘孔少年」(『北斗の拳』を背景にした言葉)「秘孔少年型というのは、いわゆる既成の価値観とか、パワーゲームの体系を少しずつずらしながら、誘導的に動くというような気がするわけです。」(p. 40)

「その[『朝日ジャーナル』1985.4.19号pp.10-12「新人類〈暴走〉宣言」]「宣言」の中で私は、「新人類」を気取るために六つのスローガンを用意しました。列挙してみます。
1 「連帯」から「癒着」へ
2 進歩から進化へ
3 才能から自信へ
4 反省から断定へ
5 ideal boy 観念男からmaterial girl唯物女へ
6 思考のパラドックスから思考のスクラッチへ」(田口賢司「新人類〈暴走〉宣言」から1年半 p. 198)

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