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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

『新人類がゆく。』(アクロス編集室編・著)

2009年08月14日 | 80年代文化論(おたく-新人類 族 若者)
アクロス編集室編・著『新人類がゆく。 ニュータイプ若者論』PARCO出版、1985年9月10日出版。

この時期の資料を読んでいると驚くのは、「いま」を回顧する速さだ。85年の4月19日に『朝日ジャーナル』で「新人類」という言葉が発せられて半年経たない内に、本書は出版されている(ちなみに本家の連載が書籍化されるのは翌年の9月)。「クリエイティブビジネス情報誌」と自称する『アクロス』(年間予約制・直接郵送方式の雑誌。この雑誌がどう受容されていたのかがすごい気になる。カタカナ商売のひとたちのバイブルだったのだろうか)に、84年7月から85年3月までに載った長文の記事が、各章を構成している。8章立て。

「序」にはこうある。「頭の堅い大人たちが確信してきた生き方・考え方が、世の中の常識やモラルと面白いように符合するといった時代は去った。今や、新しい世代の未知のパワーが、時代を突き破ってめきめきと頭角をあらわす。……戦争はおろか、東京オリンピックや万国博の興奮も知らず、この新しい時代に生まれ出た新人類たちを取りまく情報環境は、そのときすでに、極限まで高められていったといっても過言ではない。こうした環境を子守歌に育ちつつある彼らは、マイコンを自在に操り、大人の知らないコトバで話し、ファッションでコミュニケートし、メディアを手玉にとる新人類だ。」(p. 1)

またこんなまとめもある。「校内暴力・竹の子族・マイコン少年などでブームを巻き起こしたニュータイプ(新人類)」(p. 11)

新人類の枠取りが、これだとヤンキー(不良)も原宿・ホコ天もおたくも入ってしまう。「ニュータイプ」という言葉は、本書で使われるけれど、他では見かけない。情報環境を生き生きと生きているファッション化した若者たち=新人類といったところか。

それぞれの章が興味深いまたかなり大胆な分析をしている。この記事では第1章を取り上げてみる。



☆第1章 感性差別化社会 新人類誕生のプロセス なぜ「ヤング」は崩壊したのか

この章は、70年代と80年代の違いを、若者を指すのに「ヤング」という語彙を用いた時代と用いる意味が希薄になった時代の違いとして捉える。そしてそのふたつの間にあるものとして、「ヤング」が多様化していった諸タコツボ化としている。そこで、三つをA-Cと区分すると。

A 1970年代 「ヤング」の時代
B 1970年代末 「ヤング」の崩壊
C 1980年代 一億総ヤング時代

となる。ではそれぞれ。

A 「ヤング」の時代
70年代は「ヤング」の時代と本書は規定する。ならば、そもそも「ヤング」とは何か?

「紛争後のラジカルな顔を卒業してやさしくなった若者も、彼らのパワーの一部始終を横目で見ながらシラケてしまった若者も、それまでの若者像にはなかった不思議な”やさしさ”をもっており、大人社会にしてみれば、同じ土俵で反抗してきてくれないので対応のしようがない。」(p. 13)

60年代までの男性的な社会から、そうした男性的なものの輪に入っていかない、そこで闘うことを望まない「やさしい」者たちが出て来る。それが「ヤング」。「ヤング」は、いわゆるベビーブーム世代(昭和22-24年生まれ)に該当する。「やさしい」以外に特徴的なのは、外見と内面の一致であると本書は言う。それまでは、ファッションというのは、単なる飾りだった。それが自分のアイデンティティを表現するものへと価値が変わっていったという。ファッション(外見)が内面を反映するの、それが「ヤング」。 

「ファッションがはじめて、ライフスタイルや思想を反映し、Gパンをはくこと、長髪にすること、ノーブラでいることで、ヤングは主張しはじめたのである」(p. 15)

とくに例としてアンノン族があげられる。


B 「ヤング」の崩壊 諸タコツボ化
この「ヤングがいかに1970年代的なものであり、しかも1970年代にしか通用しないか」を説明するのに、本書は、テレビ・ラジオ番組のタイトルに注目する。70年代の若者向け番組には、「ヤング」という言葉が頻出する。

ヤングおー!おー!(テレビ朝日69-82年)
ポップヤング(テレビ朝日70-71年)
リブ・ヤング(フジテレビ72-75年)
歌え!ヤンヤン!!(テレビ東京72-75年)
レッツゴーヤング(NHK74年-)
セイ!ヤング(文化放送69-81年)
ヤングタウン東京(TBS69-84年)

「ヤング」が見る/聞く「ヤング」番組に「ヤング」という言葉を用いるベタが可能だった時代が70年代だった。何故可能だったかと言えば、「ヤング」が「一枚岩」だったからだ。

「一枚岩のヤング層が崩壊し、一億総ヤング社会となった1980年代では、若者向け番組の『ヤング○○』というタイトルはピンボケになってしまうのである」(pp. 18-19)

この「一枚岩」が崩壊する。つまり、価値観の多様化が1980年代の初頭に起こる。それはタコツボ化を生み、同時に他人への無関心を引き起こした。

「価値観が多様化した時代背景を、自らの感性だけを頼りに生きるヤングには、日本人論につきものの”同質性”はあてはまらない。「近頃の若い者は何を考えているかわからない」と大人が言う分には目新しくもないが、ヤング間でもお互いにその思考体系、行動様式が理解できない、また、理解しようとしないというのが、1980年代の状況なのだ。あるタコツボに入った彼らは、きわめて狭い範囲を自己完結的に行動し、その範囲を超える周囲の動向にはほとんど関心を示さない。」「無関心世代、無干渉世代の名に恥じぬ振る舞いである。」(p. 19)

例えば、1981年頃には「複数のタコツボが、ヤングの風俗をきれいに分割していた」(p. 21)という。本書は、8つのタコツボを列挙している。

【トラッド派】アイビー プレッピー ハマトラ JJ 
【ニューウェイブ派】ニューウェイブ 
【代々木公園派】竹の子 ウエストコースト 50’s

正直、これは渋谷・原宿周辺の若者たちに限定されているのではないかと思ってしまうのだけれど。パルコ出版の「アクロス」故のことだと理解していいだろうか。


C 一億総ヤング時代
1980年代半ばになるとこのタコツボの併存は崩壊するのだという。それはトラッドブームの終焉として指摘できるのだけれど、ひょっとしたらその手前にあるのはJJの終焉ではないか、というのがちょっと面白い。JJは女子大生ファッション誌であり、そこにあるのは、女子大生の消費欲以上に女子大生の商品価値だった。その商品価値の消耗がこの時期に起きた。それを本書は、土曜深夜に女子大生が多数出演していた『オールナイトフジ』の展開から分析している。

「「バカでブリッ子だけどきれいで男好きのする女子大生」というJJ像が、仕掛けられたフィクションであり商品に過ぎないということを、この[『オールナイトフジ』という]番組は万人に向けて暴露してみせたのである。いきおい、JJファッションで身を固めた当の女子大生でさえ「私はオールナイターズたちとは違ってバカじゃない、オールナイターズだって本当はバカじゃないのにバカを演じている」と申し開きをせざるを得ない状況が訪れた。」(p. 25)

この文章をどう解釈すればいいのだろう。「仕掛けられたフィクション」であることを暴露され、自己暴露した「ブリッ子」女子大生は、自分たちのしていることが演技であること証したことでリアリティを保てなくなった、とまずは解釈できる。けれども、それこそがJJガールやその取り巻きたちとで行う「ルール遊び」の一環なはずで、それ自体としては、JJの終焉は、その遊びに飽き故ではないかとはいえるけれど、何故飽きたのかの積極的な理由は分からない。ひとつ言えるのは、JJの記事の中に「健康的なアメリカンカジュアルの代わりに、ビギやニコルといったデザイナーズブランドが入り込んだりしている。」(p. 26)とあって、ざっくりいって女子大生の時代から「ニューウェイブ」の時代へ、ということがあったように思う。JJたちが、タコツボ形成に一役買ったという次の解釈は、女子と男子の相乗効果というか、片一歩だけでは時代は生まれないことが分かって、ちょっと面白い。

「見方によっては、当時のタコツボ形成の原動力はこのJJたちだったということもできる。女子大生自体がボリューム化して”人並み”になり、何かに自分を同一化しないと自己確認ができなくなったことで肥大していったJJタコツボ。このJJのボリューム化は大学そのものを遊び場的なものに変え、そこからウエストコースト派のようなスポーツ大好き少年少女たちが生まれた。一方、肥大化してアイデンティティ捜しを新たに始めた大学生たちの諸タコツボと表裏一体の関係で、ニューウェイブ、50’s、竹の子といった”非・大学生”タコツボも浮上した。」(p. 26)

このタコツボの終焉とともに起きたのは、ピーターパンシンドロームのブームであり、そこでは中年のヤング化と、それにともなうヤング層の非ヤング(大人)化の無意味が露呈した。「社会のどこもかしこもヤング化しているから、若者が存在感をもつためには、むしろ非ヤング的にならざるを得ないし、非ヤング的なヤングこそを一億総ヤング社会はもてはやすのだ。」(p. 31)

「非ヤング的なヤング」とは、大人っぽいということではなく、本書では「フリークス」的な存在ということになり、その代表者としてあげられているのは、浅田彰である。『天才少年』ともてはやされた『構造と力』出版時に浅田は27才だった。もう「少年」の年ではないだろう。それなのにそう呼ばれるのは、彼のルックスと共にその独自な存在感にある。

「浅田彰は大人になれない未熟なヤングではなく、ヤングにすらなれない奇形的な神童にみえるのだ。神童は、ふつうに成長すると20歳すぎればタダのヒトとなるのが相場だが、彼は神童のまま成長がストップするようプログラムされたフリークス少年なのである。」(pp. 31-32)

ちなみに、この章は、「新人類」という語が生まれる前に書かれたので、当然のことながら、新人類がこの議論の中でどう展開するべきかは明確ではない。

ちょっとだけ第2章を付け足すと、こうしたタコツボ化の終焉した時代に生きる若者は、スタイルではなくパフォーマンスに生きているとしてこう整理している。

「情報を受信するだけの弱い消費者、一定の確固としたライフスタイルというものの呪縛から未だのがれることのできない"スタイル人間"に対して、すでに"パフォーマンス人間"という新しい消費者が生まれている。パフォーマンス人間とは、自らが情報をつくり、発信する創費者であり、多くのスタイルの間を跳び歩きながら、分裂的に自己表現をするスキゾ人間だ。彼(彼女)はひとつのスタイルの追求・確立・模倣を嫌い、多くのブランド・非ブランドを組み合わせて無節操な"自己ブランド"をつくる。こうしたパフォーマンス人間の登場は、タコツボ崩壊の大きな契機ともなった。」(p. 34)

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