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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

YMO

2009年08月20日 | 80年代文化論(音楽)
「おたく」-「新人類」については、いまのところはこれくらいにしておいて、視線を別の角度に移してみようと思います。
80年代の思想を考える上では、欠かすことが出来ないだろう存在。YMO。

巨大な存在過ぎて、資料を網羅的に読むことなんて出来ないに決まってますが、彼らの存在を今書いたように「80年代の思想」という観点から見ていこうと、そこに限定していこうと思います。

さしあたりは、『宝島』の1980-83年頃に彼らがどう扱われ、どんな発言を残しているのかを見たり、
2007年に出版された3人のインタビュー集『イエローマジックオーケストラ』(アスペクト)を参考にしていこうと思います。


と、言って、今日は午前中三時間くらいしか時間がとれなかったので(午後に多摩美の学生Hくんと秋~冬にかけての諸々のためのミーティングがてら城山湖やら津久井湖やらへドライブに行ったのだった。「大学生の夏休み」を齧らせてもらった気分。彼の家の裏には、蛍の飛び交う林があるのだという。その近辺にも連れて行ってもらった。すごいところだな、多摩の辺りって)、そこでチェックしたYou Tubeの映像をとりあえず、貼っておきます。後で、資料からの引用や木村のコメントを付け加えていきます。

ざっくり言うと、YMOって、
◎マーティン・デニー的なアプローチ(エキゾチシズム)

◎歌謡曲への関心(きわめて日本的なポップソング)

◎ディスコというものへの興味(ダンスミュージックというだけでなく統一化されたOSとしてのディスコ)
がクロスオーバーしている(とくに初期)ところに唯一無二の個性があり、またそこに80年代の思想のひとつのかたちが見いだせるように思います。


◎「頭クラクラ みぞおちワクワク 下半身モヤモヤ」
「細野 実際にやってたわけじゃないんですけど、インドのヨガに興味があって、かなり影響を受けてましたね。ですから、身体的な感覚の領域、チャクラですね。頭、みぞおちというのは、チャクラのことだと思います。ディスコというのはいちばん下のチャクラで、みぞおちっていうのは情感というのかな。で、頭っていうのは知的なもの。この3つが統合できる音楽がやっとできるんじゃないかと思って。」(p. 20)
「正しくは「下半身モヤモヤ みぞおちワクワク 頭クラクラ」で、それぞれ低音、中音、高音、またはリズム、メロディー&和声、コンセプトに相当する」(p. 21)



◎マーティン・デニー的アプローチ
Martin Denny "Fire Cracker"
YMO "Fire Cracker"
Dr. Buzzard's Original Savannah Band - Sunshower
M.I.A. "Sunshower"(これは参考までに)

「--コンピュータ(MC-8)との初セッションはどんな印象でしたか?
 細野 夢見心地のようでね。「ファイヤークラッカー」の元の曲を坂本くんが手直しをして、譜面を起こして、それを松武さんがすごいスピードでプログラムして、そうすると音が出てくる。僕はボーッと聴いているだけ。ああいうシークエンスのリズムがとても気持ちがよくて。」(p. 21)


◎歌謡曲への関心
「--[『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』]一曲目の「テクノポリス」なんですが、これはピンク・レディーの曲を解析して坂本さんが作った曲だと、当時発言されていました。それ以前にYMOがステージで「ウォンテッド」を演奏していましたけど、都倉俊一とか筒美京平とか、そういう歌謡曲的なものが、YMO結成時から気になる存在としてあったわけですか?
 細野 東京臭いというところから逆に辿り着いた、非常に知的なアプローチですね。肉体感覚じゃないですね。決して好きなものじゃないんですけど、でもテクノに置き換えると非常によくなる、ピンク・レディーもよくなるという確信があったんですね。」

「--冒頭の「テクノポリス」は坂本さんの曲ですよね。これは細野さんによると、ピンク・レディーのサウンドを分析してできた曲だという。
 坂本 細野さんから頼まれたというより、むしろ僕からのオファーだった気がするんですよ。六本木ピットインとかで、YMOは確かピンク・レディーの曲をやってるでしょう。
--「ウォンテッド」ですね。
 坂本 ディーヴォみたいな感じで。当時、「テクノパンク」とか言ってて。
--ピンク・レディーの出現で、歌謡曲がアジャストになっていった変遷がありましたよね。
 坂本 肉体でテクノをやっているというのが、ディーヴォに近いでしょう。それに東京の民族音楽として、ああいう歌謡曲的なメロディーがある。
--いわゆる東京臭いものだと。
 坂本 東京の民族音楽としてピンク・レディーのメロディーを使って、東京から発信するという気持ちは、あったはずだし。」(p. 144)

YMO "Wanted" (1978)
Pinklady "Wanted" (1978)

「坂本 「メタ・ポップ」というのは、ポップ・ミュージックの歴史を換骨奪胎するというか、もう一回リコンストラクションするっていうか。僕らがピンク・レディーに魅力を感じたのも、あれは伝統的な歌謡曲じゃなくて、「メタ歌謡曲」だから。伝統とキレていて、いわゆる歌謡曲のサンプリングみたいなものとしておもしろがっていたわけだから。」(p. 151)

YMO "KEY"
イモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」

近田春夫「ワン・シーン」

◎ディスコというものへの興味

「--普通、ディスコっていうと、軽薄なイメージがあるでしょう。
 細野 僕が当時、はっきりと意識していたのは、ディスコというベーシックな枠組みを、やっとみんなが利用できるようになったということ。それまではロックだとか漠然とした音楽ジャンルでしかなかったわけですけれど、ディスコっていうのは場所がくっついて初めて成立するものですよね、非常にリアリティのある。
 --「踊る」という目的のための機能性だとか。
 細野 ええ。みんなそれぞれがバラバラに違う方式でやってたのが、コンピュータの世界でOSが統合されていったように、共通の言語を使えるようになっていく時代だったと思うんです。」(p. 19)

「細野 以前作っていた『トロピカル・ダンディ』『泰安洋行』(例えば細野晴臣「北京ダック」)というソロ・アルバムが、当時の環境の中では、かなり違和感を持って捉えられていて。
--マーケットにとって?
 細野 というよりも、もっと身近なところで、音楽仲間からも割と違和感を持たれていて、ちょっと恐がられていたというか(笑)。そこで考えたのが、これを商品にするにはどうしたらいいかと。それで当時、流行っていたのがディスコティックで。僕のポップス体験の中には、ダンス音楽というのが基本にあるから、ダンス音楽の枠を利用して、今までのちょっとへんてこりんな世界を乗っけてやれば、すんなり伝わるんじゃないかという。」(p. 11)

「ファースト・アルバム『イエローマジックオーケストラ』は、(アナログ時代は)B面がノンストップになっていました。こういう構成をとったのは、「ミーコの『スター・ウォーズ』」みたいなレコードを作りたい」という、当時の細野さんの発言があって。
 細野 ミーコって、今は誰も語らないけど(笑)。あれはディスコの中では、非常に品のいいものだったんです。
……
--ノンストップという構成というのは、やはり場所でかかることを前提とした、ディスコ対策のヴィジョンがあったのかと。
 細野 そうです。僕はたぶん、そう思ってました。……基本はディスコでいいだろうと思っていました。決して志を低くしたわけじゃないんだけど。ディスコっていうのはいちばん下のチャクラを刺激する要素があって。」(p. 20)

「--このアルバム[1st『イエローマジックオーケストラ』]のノンストップという構成は、ジョルジオ・モロダーの『永遠の願い』の濃厚な影響がうかがえますよね。
 細野 あります。ただ、ああいう徹底したミニマルなビートはできませんでしたね。もっと多彩になっちゃって(笑)。」(p. 23)


◎あと、「デコンストラクション」するポップミュージックという文脈で。
Rolling Stones "Satisfaction"
Devo "Satisfaction" (1978)
YMO "Satisfaction"(YMOじゃないかも)

「--このアルバム[『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』]は当初「メタマー」という仮題がついていたようですね。Dヴォの「退化(Devolution)」と同じような意味で、これは「突然変異(Metamorphose)」だと。
 細野 「メタ・ポップ」という言葉を考えていたんです。ジャンルから逸脱している状態がずっと続いていて、言葉をいろいろ探していたときですね。こういう音楽はなんなんだろうと。
--テクノポップという言葉が誕生する前夜の話ですね。マーケットに流通しにくい、つまり言葉がないからカテゴライズできないものだったから。
 細野 そうですね。でも、もっと自分を落ち着かせるためのような意味のものとしてね。」(p. 30)
「--この[タイトルにある]「サヴァイヴァー」というのも「生き残った人」という、半病人のような意味のようですね。メンバーも曲中で咳をしていますし。テクノポップも当時、「ビョーキ・サウンド」なんて呼ばれていて。
 細野 そうですね。かなりひねくれた気持ちでやっていました。」(pp. 30-31)

「--あれ[「デイ・トリッパー」YMO "Day Tripper"]はディーヴォの「サティスファクション」の方法論を、YMOに持ち込んでできた産物ですよね。
 高橋 僕が裏声で、オクターヴ・ユニゾンで歌っているんですけど、それが気持ち悪いんですよ(笑)。それを妙に細野さんが気に入ってて。
 --"ビョーキ・サウンド"なんていう言葉もありましたね。
 高橋 そうそう。」(p. 248)

その他
Throbbing Gristle "Discipline"