シンディ・シャーマンを80年代文化論の内部で考えるということは、どんな意味があるのだろう。彼女の最も有名な作品「アンタイトルド・フィルム・スティル」は、1977-80年にかけて撮影されたものであり、彼女のアイディアが70年代を跨いだものであるのは事実である。とはいえ、80年代的なものを考える際に、きわめて重要な存在であることは間違いない。
・シャーマンを60年代までの「アンチ」の姿勢から生まれた身体表現とは別の身体表現を行った人物として捉えてみること。
・シャーマンのそれまでとは「別の身体表現」をポストモダニズムの問題、特にキャラの問題として考えてみること。
・そうしてキャラといった問題設定を美術史と接続可能なものにしておくこと。
今触れた
Untitled Film Still
が重要なのはもちろんのこと、近年発見された
Cindy Sherman "Doll Clothes (1975)"
は、彼女のキャラ的なものへのアプローチを理解するのに大きな手がかりを与えてくれるものだろう。
ハーヴェイは、『ポストモダニティの条件』の冒頭で、こう記している。
「これらの写真が異なった身なりをした同一女性の写真であることに驚きをもって気づくまでには、少し時間を要した。写真の女性が芸術家そのものであることを教えてくれるのはカタログだけである。著者が自己を対象として自己言及的に位置づけるのと同じように、外観およびうわべの可鍛性によって人間のパーソナリティのフレキシビリティを説くラバン【『ソフト・シティ』の著者】の主張とそうした写真との類似性は人目をひく。シンディ・シャーマンはポストモダニズム運動の中心人物の一人と考えられる。」(デヴィッド・ハーヴェイ『ポストモダニティの条件』p. 18)
ハーヴェイは、シャーマンを論じた辺りでイーグルトンの次のポストモダンの定義に触れている。
「典型的なポストモダニズム的人工物は冗談好きで、自虐的で、精神分裂症的でさえあるということ、そしてそれは商業や商品の言葉を破廉恥に取り込むことで高度に進んだモダニズムの厳格な自律性に反発してするということについては、たぶんある程度の合意が得られるであろう。文化的伝統にたいするポストモダニズムの立場は、軽薄なごたまぜの立場であり、その無理をした深みのなさは、しばしば悲痛とショックからなる野蛮な美学により、あらゆる形而上学的な厳粛さを根こそぎにしてしまうのである」(イーグルトン1987)p. 21
ちなみに、美術界の1980年代をまとめた椹木野衣『シミュレーショニズム』の出版が1991年。そこには、こうある。
「初期のシャーマンは、すでに述べたように、万人が映画の細部に無意識的に欲望する典型的な場面を、彼女自身がある種の匿名性において、それも演じるのではなくなぞってみせるというものであった。」(椹木野衣『シミュレーショニズム』2001版、ちくま学芸文庫、p. 206)
2001年に書き足された1998年の「特別講義」ではこう書かれている。
「言い換えれば、写真のなかでは「唯一の私」は存在していなくて、実のところ、そこで「わたし」は誰にでもなれてしまう。いわば写真とは、この「わたし」を複数の「わたしたち」へとかき消してしまう装置なのだ」(p. 32)