Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

「おやつテーブル vol.3」(Lucite Gallery)

2008年07月26日 | ダンス
7/25
まえだまなみ主宰の企画「おやつテーブル」第3弾、「秘密の応接間」を見た。

せまい現実の空間だからこそ見えてくるものがあって、それは身体の「動く」ということがもつ表情の感触だったりするのだけれど、今回も、そうしたことの可能性を痛感させられた公演だった。たとえばピナ・バウシュは、舞台上に現実のものをしきつめる。対して「おやつ」は、現実の空間をかりそめの舞台とする。見ているうちに、なぜバウシュは「おやつ」のアイディアを採用しなかったのだろうなどと思う。ここに、コンテンポラリーダンスのもうひとつの水路があったのでは、などと思う。いや、バウシュがやらなくとも「おやつ」がやってくれているのだから、それでよいのだ。手がものに触れる。その表情だけでダンスとなりうる。ひとりいるだけでダンス、いや誰もいない瞬間も空間がダンスとでもいいたくなる表情をみせている。そこに、いわゆる踊りはない。あっても滑りやすい床はそれが滞りなく進むのを拒む。あるいは、ソファに座ってしまえば、それは、ダンスとして自律したものではなくなる。けれどもそれでも、そこにあるのはれっきとしたダンスじゃん、とぼくたちに教えてくれたのがピナ・バウシュだとすれば、その視点を実に正しく豊かに展開している「おやつ」という企画が「日本のコンテンポラリーダンス」の代表的な存在でなくてなんなのだろう。歴史は複数形であるはずなのだ。とても誤解されやすいのだけれど「コドモ身体」論が、歴史の複数性への気づきを含んでいたことは、是非忘れない方がいいと思う。10月におこなわれる新しい吾妻橋ダンスクロッシングにも出演する「おやつテーブル」が、まさに桜井圭介的なダンス論のポテンシャルから(純粋に「コドモ身体」論の文脈に乗っているか否かは別として)出てきていること、そして、それがこんなにも豊かな作品を上演してきていることは無視出来ないと思う。