7/20
夏休みの映画第2弾。あまりに、野獣=キモメン、美女が恋する男=DQNの図式がうまく当てはまり、最後までそのラインで読み切れてしまうので、面白いんだか困るんだか(本田透はこれ見ているんだろうか)。コクトーは、「見る」ことをめぐる作家といえるのだろう、現れる/隠れるの場である扉を含め、目や見ることに関わるシーンによって映画が進んでいく。間と言うよりも醜い男(醜い男は人間にあらずということなのか?)というキャラの野獣が、美女のことを見たいのに、見ると美女に見られることになるので、目を伏せ「見るな!」と叫ぶシーンは、その点で最も印象的。野獣の館にあるシャンデリアは人間の手が握り、内装の彫刻は時々目を開けてみせる。映像の美しさは耽美的とも言えるが、なにやらそうしたギャグ的な要素がつねにある。なんだか、そういうぼやぼやしたところがあるかと思うと、不意にとてつもなく美しいシーンが出て来たりする。最後の、イケメンに成り変わった野獣が美女と空を飛んでいく、摩訶不思議なラストには、『恐怖奇形人間』のラストに通じるところあり、と思う。ああ、なんという適当な感想文なのだろう。
夏休みの映画第2弾。あまりに、野獣=キモメン、美女が恋する男=DQNの図式がうまく当てはまり、最後までそのラインで読み切れてしまうので、面白いんだか困るんだか(本田透はこれ見ているんだろうか)。コクトーは、「見る」ことをめぐる作家といえるのだろう、現れる/隠れるの場である扉を含め、目や見ることに関わるシーンによって映画が進んでいく。間と言うよりも醜い男(醜い男は人間にあらずということなのか?)というキャラの野獣が、美女のことを見たいのに、見ると美女に見られることになるので、目を伏せ「見るな!」と叫ぶシーンは、その点で最も印象的。野獣の館にあるシャンデリアは人間の手が握り、内装の彫刻は時々目を開けてみせる。映像の美しさは耽美的とも言えるが、なにやらそうしたギャグ的な要素がつねにある。なんだか、そういうぼやぼやしたところがあるかと思うと、不意にとてつもなく美しいシーンが出て来たりする。最後の、イケメンに成り変わった野獣が美女と空を飛んでいく、摩訶不思議なラストには、『恐怖奇形人間』のラストに通じるところあり、と思う。ああ、なんという適当な感想文なのだろう。