Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

日々

2007年12月18日 | Weblog
12/17
多摩美講義。シミュレーショニズム。シンディ・シャーマンの「アンタイトルド・フィルム・スティル」について説明している時、シャーマンのとっているポーズを描写する必要があって、言葉を探して逡巡しつつ「オナ、、、マスタ、、、自慰ですね、これは」と口が動いた。帰りに、ある女子学生(自分のヌードを写真にとってそれを絵にしているのだそう。いつも学生に言うように「作品見せて!」とは言えなかった)から茶化される。「あっ、先生「自慰」って言っちゃったよって思った(笑)」と。教員というものはときに辱めプレイを強要される。最終日1/7は、手塚夏子さんをお招きして、Tezuka meets TAMABIを行う予定です。
夜、上智大での研究会へ。イヴ=アラン・ボア「The Use Value of Formless」を読む。ロンドンに留学していた研究会メンバーが復帰。場はひとがつくるので、ひとり増えただけで空気ががらりと変わる。自分が疲れていた分、いろいろな話題を話してくれて、たすかった、刺激になった。

12/16
「ダンス蛇の穴」企画「関係者全員参加!ダンスクリティーク」があった。

進行や場の雰囲気などは、前回よりもよくなった。少なくとも来てくださった方々がまさに参加者になる場が生まれた。前半、プレゼンター3人によるプレゼン、後半、3人とぼくとフロアでトーク・セッションをした。すべての時間を通じて、いまぼくたちは本当に共通言語をもっていない、と痛感する。何かある言葉を誰かが発した時、つねに、その言葉の意味のみならず、発話者が何故今この言葉を発したのかということを考える必要があるし、その際に、発話者のバックボーンをイメージしながら考えていかなければならない。なにがこのようなディスコミュニケーションを生じさせているのか。(ダンスの)歴史が共有されていないことが問題なのか。あるいはいまの時代状況がそうさせるのか。様々な要因があるのだろう。

例えばぼくは今回、あえて「東京らしいダンス」を作ってみてはどうか、とプレゼンターにふってみた。その際に、Realtokyoに載った会田誠の文章を紹介し、現代美術のある作家はこう言っている、ではダンスの場合は、あなたのダンスの場合はこうしたアイディアを受け取るべきと考えるか、と聞いてみたかったのだった。「自分」を出発点にする創作の態度から一旦自由になることを考えて欲しい、少なくとも出発点にしている「自分」っていったい何なんだろうと反省してみて欲しい、反省した上で作品を作って欲しいと思った、というのが一番の動機で、いま「東京アート」が世界で話題だからそこにダンスものらなきゃいけない、などという単純な提案ではなかった(そういう戦略家が出てきてくれてもいいとは、ぼくは正直思っているけれど)。ただ、プレゼンター、フロアの方々が会田のテクストをよく知らないままにこうした話題を出したので、それぞれ聞き手の「東京」という記号への関心、あるいは、そうした自分を創作の出発点にしないというアイディアに対するリアクション(直接的な拒否反応とか)に応じて、議論が拡散していってしまった。かみあわず、単発的な意見の矢を投げ合うだけになってしまった。いろいろなポイントが出てきたという点ではよかったのだけれど(そのことだけで、十分素晴らしいと思うのだけれど)、あるアイディアを共有した上で、その可能性を議論していく、という類の生産的な場にはならなかった。ある振付家・ダンサーは、イベント後の喫煙所でぼくに、ダンサー(振付家)は自分の中から動機を見つけていかないと体が動かない、ダンスを生み出せないと、率直な話をしてくれた。そうなのかもしれない。自分の体をメディアにするダンスは、自分と自分の体を切り離せない、のかもしれない。でも、それはなかなか不自由な状態ではないかと思ってしまう。むしろそういう「動きの動機としての自分」から自由になったところに、ダンスの発生するポイントがあるように、ぼくは思うのだけれど(これはBRAINZ講義の基本テーマでもある)。
本当は、もっとイベントで交わされた言葉など、詳細にレポートするべきだろう。そうしないと次につながらない。ただ、ぼくにはそれをする時間的体力的余裕がない。今年はあと、12/22(大橋可也、野口千明、ほか)、12/23(神村恵、山田歩、ほか)とあります。

12/15
三時に、大駱駝艦「カミノベンキ」(@世田谷パブリックシアター)
五時半に、Chim↑Pom「サンキューセレブ・プロジェクト」のチャリティーイベント(@六本木P-HOUSE)

12/14
BRAINZ「フィジカル・アート・セオリー入門」第4回「「死体」について」
紙コップにシャンパンのアフター講義。