Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

12/11

2007年12月11日 | Weblog
書評の仕事を先週いただき、そのために読んでいたベイトソン&ミード『バリ島人の性格 写真による分析』だったのだが、再読してみるとこの本はやっぱりとても面白く、そして今週金曜日のBRAINZで話をしたいと思っていたテーマとぴったりあてはまることも分かり、土方→手塚→バリのダンスと当日進めてみよう、などと考えてみている。一部予告のつもりで、図版と引用を載せます。(写真の図版は「多くの顔をもつ兵士」。体の各部位が独立して存在しているというイメージを形にしたもの)

「バリ島人は、腐ってバラバラになりそうな死骸を指してブルッという言葉を用いる。だが、ここでは、身体がそれぞれ別個の独立した部分からできあがっているという空想を集約的にあらわすことばとして使うことにしたい。この空想はさまざまな形を取るが、身体は関節をピンで留めただけの人形のようなものだという概念はその代表的なものだ。(…)ほかならぬこの空想が、エクスタシーとトランスという現象に密接にかかわっているのである。」

今年三月にバリに行った(4度目)時のこと、いわゆるダンスの観賞体験のみならず、そこではじめて目撃したトランスの様子についてなど、撮影してきた映像とともに話題にしようと思う。今回のテーマである「死体」は、語彙としては強烈だけれども、ダンスの根幹に触れる重要な概念であるように、ますます思えてきた。もちろん、これを講義のキーワードにしようと考えた最初の動機は、土方巽の「踊りとは命がけで突っ立った死体である」からきている。

昼間、新宿でミーティング。来年以降のとても大事な企画のことで。夕飯後に、和光大学の図書館へ。講義のために『明るい部屋』(自分の部屋のどこかにあるはずなのだが、しかもA所有のものと合わせて2冊、しかし出てこないので)と『ポスト・ポップ・アート』を借りてくる。人気のない図書館、ジュディマリを爆音で聴きながらコピーをしていた時、不意に気配を感じて振り向くと、ひとがいて(後で考えるとなんの悪気もない普通の女子大学生)「ハアッッ」と叫んだら後ろのそのひともぎょっと目を開いて驚いた。「驚愕」のミラー状態に、今度は二人で笑った。

12/10

2007年12月11日 | Weblog
多摩美講義。ポップアート。ポップアートと衣食住、とくにポップアートと食(オルデンバーグの「ストア」や食品ケースの作品など、インディアナ「EAT/DIE」、ウォーホル「イート」)。メンヘル。OD。スター・イメージ。ファクトリーの若者たち。マイクロポップとの違い。などなど。

「■私は誰もが機械であるべきだと思う。
 私は誰もがあらゆる人々を好きになるべきだと思う。
□それがあなたのおっしゃるポップアートですか?
■そう。ポップアートとは、いろいろなものを好きになることです。
□いろいろなものをすきになることが、どうして機械のようであることなのですか?
■そうね、それはあなたがしょっちゅうおなじことばかりやっているからですよ。繰り返し繰り返しね。」
(ウォーホルへのインタビュー 1963)

八王子の多摩美は、枯葉も一段落ついた。晩秋から初冬へ。でも、日差しはとても暖かい。講義後、自宅で忘年会をやるからと誘ってくれる学生に手を振り、別の学生から借りた学園祭のDVDについて歩きながら感想を伝える。また一人の学生が自分の作品について相談をもちかけてくる。しばらく話す。また別のもう一人の学生がDVDを渡してくれ、一人、町田の大勝軒で見ていた。ちょっと面白かった。夕方につけ麺食べたことを反省してジョギング。秋向きの曲ばかり入った「ジェット・ストリーム」企画ものCDをずっと聴きながら走る。そこに入っているプリファブ・スプラウト「クルエル」が聴きたかった。