Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

BRAINZ第3回

2007年12月02日 | Weblog
12/2
金曜日(11/30)は、BRAINZの第3回があった。配付資料をアップしておきます。BRAINZは、ぼくよりも集まってくださった受講者の方々の個性が素晴らしく、二時間ぼくが喋ったあと、ビールでつまみで受講者の方から質問・意見を聞くコーナーがはじまるんですが、それがとても、刺激的で面白いのです。あれ、こみでBRAINZだなーと思いますね。インタラクティヴでクリエイティヴな時間がそこにはあります。本当に、残念な気持ちになるんですよ、ここに、振付家がいないことが(いや、ひとり来てくださってますが今回は公演の準備で欠席されました。それにしても一人なんですよ~)。でも、いいんだ、そうだ、ここにいま起きていることがもうそれ自体でとても素晴らしいのだから。何が素晴らしいって、受講者の方々とMLをやっているんですが、そこでのやりとりが!素晴らしいんですよ。これを読み交わせるのは、受講している方々だけ!ってことで、半分宣伝です。次回は、12/14。テーマは「「死体」について」です。暗黒舞踏から手塚夏子まで(予定)。

昨日(12/1)は、かなりつらいことがあり、夕方鶴川で、へこみつつミーティング(へこんだぜ、泣いたぜー)。ぼくはただ互いを尊重しながら楽しく仕事がしたいだけ、なんだけどなー。単純なことがさ、なかなか手に出来ないキープ出来ないものなのだね。今日は、Aともどもちょっと風邪気味で、自宅にて黙々と仕事。


BRAINZ フィジカル・アート・セオリー入門                   2007.11.30
講師:木村覚(+ゲスト講師:伊藤亜紗)
第3回「ゲーム」について

今後の予定
第4回「死体」について(12/14)
第5回「シアトリカリティ」についてあるいは観客論(1/25)

◎0 目標 未来のダンス(or演劇orパフォーマンス・アート)を開発する!

◎1 タスク(ゲーム性なきタスク)とゲーム(ゲーム性あるタスク)の違い

□d.v.dとスコアの開示(ケージ) 「「ウォーター・ミュージック」は、音楽作品であるようにと作ったが、それが演劇として経験されるように視覚的な諸要素を導入しようとした。すなわち、その作品は音楽から演劇へと移行した。演劇的でありうる第一のことは、ピアニストがスコアを見ているということだった。普通誰もそれを見ない、ピアニストを除いては。我々は見ることにかかりっきりなので、観客がスコアを見ることの出来るように、我々はスコアを大きくしたのだ。」(TDR, 60)

◎ 2 ゲスト・トーク(伊藤亜紗) ゲーム(性)とは何か、
                  ゲームはフィジカル・アートにどのような可能性を生むか

◎ 3 ゲームと身体(仮想化しきれぬ残余としての身体、ゲームの可能条件としての身体)
「少し屈んで、ベンチの近くに生えた草を掻き分け小指の先ほどの小石を拾って、湖の縁の杭に向かってそれを投げる。外れた。タバコを咥えなおし、もう一度、今度はさっきの小石ほどの大きさのものが見つからず、ちょっと小さすぎて当たったか見えない。また石を探す。今度はもう少し大きいのを見つけないといけない。
 私はこの遊びに出来る限り集中してこれを楽しむように努める。ちょっとでも気を抜くと、この遊びのバカバカしさを、思ってしまう。そうなっては遊びが台無しになる。ちょっと面倒くさい話になるが、私には小石を見つけそれを拾い、投げて杭にあてる事など造作もない。私には小石を杭にあてる能力がある。そんなことは簡単に出来るのだ。しかし、すぐにそれが達成されては遊びとして成り立たない。だから私は、私で私を騙しながら私と遊ぶのだ。わからないかな?私のこの遊びは本当は遊びとして成立しないんだ。だって本当にやったら100発100中だからね。だから私は遊ぶ前にまず私を騙さないといけない、つまり私は何でも出来るから、遊べないってことなんだよ。遊びを厳密に定義していくと、私は遊べないってことになる。つまり全知全能ゆえに全知全能ではない、ということになってしまうんだ。寂しいよね。」(前田司郎『誰かが手を、握っているような気がする』)