Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

劇団、本谷有希子『密室彼女』(@スズナリ)

2006年05月09日 | Weblog
乙一(おついち)原案で、本谷が作演出、という舞台、などと分かったように書いてみたものの、乙一の小説を読んだこともなければ、本谷の舞台も初めて(恥ずかしながら)。初々しい視点でちょっとメモ。

第一印象は、最近行っているスポーツジムでしか見かけないスポーツドリンク「das」みたいだ、ということ。ノンカロリーで薄味。だからって意味なし!水と一緒!と切り捨てる気も起きなくて、、、といったコーラみたいな主張の多いものばかりが飲みたいんじゃない最近の感じに近いと思ったのだ。二人の男が友人(恋人)だった女を殺し、その現場を見てしまった別の女を監禁する。この監禁された女は記憶喪失のふりをし、さらに二人は殺されたはずの女であるとのふりをこの女に要求する。男たちは失ってしまったものの再生を期待し、女はそのふりによって自分の記憶喪失状態を(ゼロの状態でひとりの女に扮していることの)証明をしようとする。いないはずの殺された女は、そうしてひとつの「役柄」として狭い部屋で生き返らされている。と、面白い部分は、多分ここにあるんだけれど、3人ともそんなにこのことに超熱心というわけではない。自分の出来る範囲で、男たちは犯してしまった罪の「犯人」役を、また女は捕まっていることから生じる「監禁された女」役を、あるいはその上で「殺された女」を演じる。自分とその役柄が遊離して、どこまでも一体化しない、それゆえに「もたもたした感じ」がつねに漂う。このもたもた感が、本谷の「自意識」の形を伝え、いまどきの女の子のある種の姿を輪郭づけているのかも知れない。それに、自分(これも役柄としての自分なのだけれど)と役柄の遊離は、どこかチェルフィッチュのもつ身体とセリフと役柄のちょっと距離を保った関係ともそう遠くはなく、故に方法的な読みも、できなくはない。

このもたもた感が、スポーツドリンクのなんとも煮え切らない味となんか似ていると思ってしまったのだ。いつまでもギアの入らない、抜けた感触。