つい三時間前からYahooで「観客論」と入れ、検索してみている。
驚いた。
観客論と言えば、どのジャンルが最もヒットするか、演劇?ダンス?パフォーマンス・アート?いやいやまずは、
プロレス、次は
サッカー、その次が
映画、なのである。
人気に比例しているとか、いろいろと言えるかも知れないが、ダンスの観客論など皆無に等しい。あってせいぜい伝統芸能の観客論(これはそこそこ文献がそろいそうだ)。演劇は平田オリザの『演劇入門』の一章に観客論とあるようで、それがヒット。あるいは寺山修司の観客論、、、とあと目立ったものはない。まあ、でも別役実には何かあるに違いない。唐十郎にも。さあ。でも若手で観客論を語っているあるいは明らかに作品の中に独自の観客論を秘めている演出家はいるのだろうか(まあ、演劇については経験が足りないところがあるので、誰かに教えてもらいたいところだ)。
プロレスの場合、この「おまえらの好きにはさせねえ!」ブログの書き手がめだつ。ここにあるチャートは彼のものなのだろうか、だとすればなかなか秀逸ではないか。プロレスのファンというのは、ブログで見る範囲でも、(よい)書き手が多い。プロレスというものが自ずと批評を要求してくる、ということもあるのだろう。
socksという名の「おまえら~」ブログの書き手が提出している、技術論---観客論という軸とそれに直交するノン・フィクションーーーフィクションの軸に興味がわく、とくに前者。技術か観客かというのは、テクの追求かエンタメの追求かと読み直せば、これはダンスの世界にもあてはめることの出来る軸だろう。ただし事態は検討すれば錯綜してくるはずで、技術が観客を唸らせるエンタメになることもあるだろうし(例えば、ある種のフォーサイス)、観客を楽しませる技が観客を唸らせるということも起きるだろう(例えば、ある種のピナ・バウシュ)。とはいえ、こういった軸を検討してみることがこれまでダンス批評の中であまりに希薄だったのではないか。この辺り、考察する意義がありそうだ。
技術論---観客論を、アート主義---観客主義などと修正してみたらどうだろうか。で、これに直交する軸をダンシー---非ダンシーとするのは、、、いや、どうだろ。
でも、こまった。モダンダンスの観客論、カニングハムの観客論、土方巽の観客論はだれも研究していないのか?ダンス研究とは!
驚いた。
観客論と言えば、どのジャンルが最もヒットするか、演劇?ダンス?パフォーマンス・アート?いやいやまずは、
プロレス、次は
サッカー、その次が
映画、なのである。
人気に比例しているとか、いろいろと言えるかも知れないが、ダンスの観客論など皆無に等しい。あってせいぜい伝統芸能の観客論(これはそこそこ文献がそろいそうだ)。演劇は平田オリザの『演劇入門』の一章に観客論とあるようで、それがヒット。あるいは寺山修司の観客論、、、とあと目立ったものはない。まあ、でも別役実には何かあるに違いない。唐十郎にも。さあ。でも若手で観客論を語っているあるいは明らかに作品の中に独自の観客論を秘めている演出家はいるのだろうか(まあ、演劇については経験が足りないところがあるので、誰かに教えてもらいたいところだ)。
プロレスの場合、この「おまえらの好きにはさせねえ!」ブログの書き手がめだつ。ここにあるチャートは彼のものなのだろうか、だとすればなかなか秀逸ではないか。プロレスのファンというのは、ブログで見る範囲でも、(よい)書き手が多い。プロレスというものが自ずと批評を要求してくる、ということもあるのだろう。
socksという名の「おまえら~」ブログの書き手が提出している、技術論---観客論という軸とそれに直交するノン・フィクションーーーフィクションの軸に興味がわく、とくに前者。技術か観客かというのは、テクの追求かエンタメの追求かと読み直せば、これはダンスの世界にもあてはめることの出来る軸だろう。ただし事態は検討すれば錯綜してくるはずで、技術が観客を唸らせるエンタメになることもあるだろうし(例えば、ある種のフォーサイス)、観客を楽しませる技が観客を唸らせるということも起きるだろう(例えば、ある種のピナ・バウシュ)。とはいえ、こういった軸を検討してみることがこれまでダンス批評の中であまりに希薄だったのではないか。この辺り、考察する意義がありそうだ。
技術論---観客論を、アート主義---観客主義などと修正してみたらどうだろうか。で、これに直交する軸をダンシー---非ダンシーとするのは、、、いや、どうだろ。
でも、こまった。モダンダンスの観客論、カニングハムの観客論、土方巽の観客論はだれも研究していないのか?ダンス研究とは!