Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

[ラボ20#18]AプロBプロ

2005年12月10日 | Weblog
を見てきた(@STスポット)。

ラボ20は、若手の登竜門的役割をこれまで果たしてきた。けれども、最近、コンペ形式などで新人が公演する機会は増え、そういう状況を受けてということなのか、あまりここでどうしてもこれを表現したいといったような、切迫した意欲のようなものが今回見えてこなかった。残念。ラボという企画は悪くない、でも今回の薄さはそれで隠しようがない事実。

Bプロ
KeM-kemunimaku-Project 「この冷えきった 指先に、あなたの肌は 熱すぎた。」
ひたすら狭いSTの舞台の奥行きを行ったり来たりする三人。ときおりため息だったり、何かに気づいたりの「あ」を発するけれど、それ以外はほとんどなしで歩いたり走ったり行って戻る。この「行って来て」をもってなにやら表現しようというのは、いまの世の中の空っぽ感の反映なのだろうか、彼らは小泉自民党に投票したのだろうか、、、などと夢想したがそれはともかく、これだけで何かを伝えようというのは、何とも拙い切ない。何よりも生成のワンピース着るなんて、ブリッコだろ。ダンスの時だけこういうのを着るのは実に良くない。

山縣美礼×矢萩竜太郎「What Lies Beneath」
サランラップで体をグルグル巻きにした男と女がうろうろと踊りみたいなことをする。即興。即興で何かしら動けば何かしらになるかも知れないという甘えた憶測。

きこり文庫「月が出ていた。少しこころが救われた。」
女の子二人。ともかく動きました。動きの断片、「断片」でみせる、というイマドキらしさは心得てますよ、と言われている感じ、言われても、ね。なにかちょっとやってみました、で客前に置かれる体。

Aプロ
高市知美「からめる-ふんわりとあのにほいまであと少しでゆける-」
記憶にほとんどないのだけれど、、、柔らかい感じの動きがあってでも、それはほとんどがこちらに向けてのものとは思いがたいものだった。

神村恵「入り込まれること」
不意に打たれるピストル音にビクリとするようにビクリとさせるスリルがあった。悪いところは安定した出来というところくらいか。顔や目を意外に使っている。こちらを向く目、とか。レリーフが立体彫刻になる、みたいな多面性がさらに出てきたりなんかすると、ほんとに凄いことになるのだろう。

三枝はな「冬の空のにおい vol.2」
即興的なダンス。自分のための踊り、を人前でしていることに対して、是非反省を向けてみて欲しい、三枝さん。観客は置いてけぼりの気分になるのだ、横浜まで来て迷子かよ、みたいな気持ちに。

岩崎一恵「あむねじあ-mapping inside & outside-」
いろいろと本人の中にはイメージが広がっているのかも知れないけれど、それはこちらに伝わってこそこの舞台にそれがおかれた意味が発生するというものなのだ、よ、と岩崎さんに伝えたい。

原田香織「KIKI」
ヘッドバンキングする前半。赤ワイン飲みながら椅子の上に乗ってあやういバランスを取る後半。でも、それが何をこちらに差し出してきたかというと、何だったんだろう。


Bプロが3時、Aプロが5時15分と夕方に計七組を見るという強行スケジュール。町田で昼ご飯を食べると少し早めに横浜に着いたので、HMVに寄ったりブラブラしていた。そこで、フィッシュマンズの『記憶の増大』(2001年)LIVE DVDをみつける。これ、確か廃盤状態だったのでは???以前調べたときそうだった。少し悩んで、でも購入。今そのDVD聴きながら見ながらこれを書いている。凄い、「Weather Report」で、佐藤伸治は緑のダウンジャケットに黄色いリュックしょってギター弾きながら歌ってる!

村上春樹『意味がなければスイングはない』

2005年12月10日 | Weblog
をいま読んでいる。

ウィントン・マルサリスを論じるところで、「ウィントン・マルサリスの音楽はなぜ(どのように)退屈なのか?」と問う村上。面白い。あまり真面目なジャズ・リスナーではないけれども、ぼくもマルサリスの退屈さには思い当たる節がある。そういえば、20才くらいのころ付き合っていた吹奏楽部の彼女がマルサリスを勧めてくれたっけ、「いいね!」と言いつつ、ほとんど聞かなかった覚えがある。

この退屈さは、どういう「意味」から発しているのか。村上はこう説く。

「演奏の自発性と、音楽構造の整合性は時として反撥しあうことになる」

すなわち、マルサリスはジャズのスイングが生まれるために必須の雑駁さのみならず、知的な音楽的整合性も重視し、理論的に納得しようとする、そのあまり「低燃費高性能スポーツカー」を作ろうとして、そしてどちらかといえば理屈を優先するために「退屈」になってしまう、と。うん、シンプルだが上手い説明だと思う。

やや冗長な面があるけれど、村上の批評文は面白い。あと、新しい言葉の発明もある。例えば「ツイスト(テンション)」。「彼ら[ポール・マッカートニーやブライアン・ウイルソンなど優れた音楽家]の音楽には、メロディーラインとかコード進行とかに、個人的イディオムのようなものが盛り込まれており、それがシグネチャーの役割を果たしているわけだ。そしてその結果、ひとつのトラックの中に、うまくいけば一カ所か二カ所くらい、「おっ!」と思わせられる固有の音楽的ツイスト(テンション)が作り出されることになる。こういうツイストは優れた音楽にとって、おそらくなくてはならないものだ。そしてそれはときとしてリスナーの神経系に、一種の麻薬的な効果を及ぼすことになる」

ダンスならば、即座に「ダンシー」と称すだろうポイントに「ツイスト」という言葉を使っているのは面白い。「ねじれ」とは聴く者の琴線の「ひっかかり」を上手く伝えてくれる。「ぐっ、とくる」の「ぐっ」なんかもツイスト的な何かだろう。