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Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

ベジャール、匿名的断片

2008年06月18日 | ダンス
6/14
大学の学科主催の学会で、渡辺章一郎氏の講演会を拝聴。「お宝探偵団」に出演されている版画のギャラリスト。その後、鶴川の旧自宅に行き、扉に掛かっている荷物をとる。『クイック・ジャパン』の新刊が届いていた。今号でぼくは、nhhmbaseの新譜「波紋クロス」のことについて書いた。その後、門前仲町へ。

手塚夏子「匿名的断片」(出演、捩子ピジン、神村恵、スズキクリ、手塚夏子、@門仲天井ホール)を見る。主として三つのパートに分かれていて、最初は、小さなちゃぶ台を真ん中に置いて、手塚と神村が向かいあったりするなか、捩子が脇で「プライベートトレース」を行っている、スズキが彼らの周りで鶏と卵の形をしたタイマーを置いてゆく時間。真ん中は、ものを順次交代で空間に配置していく時間。最後は、トレースの作業をみんなでやる時間(捩子がしたポーズを手塚が声でなぞり、録音したその声に従って今度は手塚がトレースを行い、さらにそのポーズについて捩子が声でなぞるとその声にあわせて全員がトレースを行う)。複雑といえば、きわめて複雑に出来事が重なり合っているし、それがある団子状の塊となって見る者に迫っているという点では、シンプルにも映る。これをある大きな括りでまとめるのはとても難しい。むしろそこに自分の身も置かれていて、その瞬間瞬間に自分がさまざまなことを感じその現在をどんどん消費し続けていった経験だけがじとっとぼくの体に貼りついている、ということがともかくどんなことがらより確固としてある(それ以外のことは、なんだかあやふやだ)。手塚夏子の試みは、もう本当に加速し続けていて、ゆっくりと反省する間も与えてくれない。「体で遊ぶ」ということの、あるエクストリームがここで験されていると言うことは間違いない。

6/11
モーリス・ベジャール・バレエ団「ボレロ」ほかを見た(@東京文化会館)。演目は、「イーゴリと私たち」「これが死か」「祈りとダンス」「ボレロ」。


知らなかったんだけど、

2008年06月12日 | ダンス
あるひとからのMLエントリーで知った。DCについて手塚夏子さんがしゃべっている!(&6/14の彼女の公演「匿名的断片」は必見ですぞ!もうこういうのを別に「コンテンポラリーダンス」とか「ダンス」とかとカテゴライズしなくてもいいよね!カテゴライズ嫌いのわくわく好きにこそ!)

匿名的断片についての匿名的放談


私事ですが、わたし引っ越ししました。川崎市麻生区の(愛の育たない町)鶴川から八王子に越しました。郵便物などは、新住所によろしくお願いします(メールをいただければ、新住所の情報返信致します)。今度は、そうとう山ん中。

室伏鴻『quick silver』(@日吉、慶應義塾大学)

2008年05月28日 | ダンス
ぼくのなかで、室伏はソロのダンサーである。Ko&Edgeというカンパニーを四、五年前からかはじめており、その成果はもちろんいくつかあげているのだけれど(最近でも「踊りに行くぜ」のアジアツアーに彼はこのカンパニーで出場している)、とはいえ、彼の強烈に残酷で、ソリッドな時間が出現するのは、ソロでなければならないと思っている。

『Quick Silver』、初演は横浜BankART(2005)だった。そのときにも、室伏の緊張を強いる、そして予測不可能な即興の時間に眩暈させられたけれど、今回は、なんだか別の作品を見ているみたいな躍動感が強烈だった。

最初、舞台であるはずのガラスの壁面がある巨大な建物の空洞には室伏はあらわれず、代わりに、ガラス越しにつまり、学生が帰路を歩くにわのような空間に突如、黒い帽子とジャケットを身につけた銀色の男が、口に芝藁を噛んでいるのが目に入ってきた。変だ。相当変だ。もうギャグマンガだ。そう思った途端に、斜めの角度で腕を大きく振りかぶりだした。アクションマンガにある「シューーーッ」ってオノマトペの隣に走る曲線のような腕の動き。深刻さとばかばかしさが、かっこよさと場違いさが絶妙な出会い方をしている。こういう室伏はなんというかもう、すごくポップだ。と、思うと今度は隣の木の枝を掴んで、ぎゅーっと樹を揺らし始めた。大樹がたわみ、空間が揺れる。ばかばかしい、けど、そこには猛烈にシビアなテンションがみなぎっている。ふらふらと歩いているだけなのに、こちらに向かってくるそれは、見ないことを許さない力に溢れている。顔をガラスにくっつける。歪む怪物の顔。いや、そいつは怪物なのか。怪物ならば、そこには何やら物語が、意味が取り囲んでいるはずだ。どうも、読めない。というか、読む気が起きない。得体の知れない存在が、不穏さだけを形にして、舞台へと入ってきた。

今日の室伏は、大声で吠えることが多かった。それは、地響きのような、すべてが台無しになってしまったことを嘆く神のような子供のような叫び。それと、何度も倒れる。立てないところから舞踏ははじまるという、土方巽の教えを、14才の少年が真っ正直に受けとめて、必死にやっているといったようなフレッシュな立てなさ。これも、一度間違えば、なんかそういう身体に障害のある状態のひとを踊っている?と意味で捉えてしまいそうなそのすんでのところで、「倒れる」という踊りがそれとして成立している。照明とか音響とかが加えるスペクタクル性(とくに激しいノイズなどこれまで同様の音響的側面など)は、いらないといえばいらない。けれども、あえていえば、そういう演出もある意味では装飾的なばかばかしさとして機能していればよくて、ぼくとしてはあまり気にならなかった。

よいときの室伏鴻というのは、ひとつのアイディアに固執しないでどんどん捨てる勢いがある、ということに気がついた。室伏から受け取る希有な力というのは、そういうやめる勢い、なのではないか。それは、ふっと溜める、時間を伸ばすということでもあって、最後に、真鍮板の上にもった白い砂を激しく掻きだす手前、そのシークエンスに向かうのにつくったささやかなタメは、ぼくにとってそういうとても大事な、希有な時間に見えた。我に返って、息を整えている(舞台上で我に返るって!)。その、待つ時間が、若手にはなかなか真似出来ない、ある到達点においてのみ起こる時間なのでは、と思った。(終了後のレセプションで、桜井圭介氏が、本公演について、淡々と仕事としてやっているように見えた(仕事なのにひょいひょいすごいことをこなしてゆく)、といった趣旨のことを述べていた。「仕事」という言葉のニュアンスを先に述べたような素の状態の内に見るとすれば、桜井氏の読みにぼくは共感出来ると思った)

「quick silver」に寄せた言葉(ぼくは「quicl silver」BankART公演についてここに書かなかったのかな?これしかみつからない)。

トヨタ問題

2008年05月28日 | ダンス
トヨタ・コレオグラフィーアワードの話が、ぼくの周りのダンス関係者たちと会うたびに話題になっている。ぼくは「トヨタ・バッシング」ならぬ「トヨタ・パッシング」しようと思っていたのだけれど(実際、セカンドステージはみなかったし)、それはよくないと知人から言われたりもしている。いや、以前からトヨタのことは幾つか問題があると思っていた。ぼくが審査員に呼ばれていないこととか、、、というのは冗談ですが、そういうことよりも、大きな問題がある気がするんですね。審査員として関わらなかったアウトサイダーの立場から、気楽に、日本のコンテンポラリー・ダンスにとってもっとも大きなイベントとなってしまっている、にもかかわらず(!)のこのアワードについて考えていることをメモしてみます。

ぼくの考える問題とは以下の点です
・今回から、一次審査→セカンドステージ審査→ファイナル審査と審査が三段階になり(つまり、セミファイナル審査が今回から増えた)、審査が長期化した。それによって、出場者は、長期、このアワードの準備(稽古やスタッフの確保etc.)などに縛られることになる。
・セカンドステージの作品は、15分。多くの場合、作家はショート・ヴァージョンを作らざるをえない。完成作をもって審査するということがない。
・セミファイナルの審査員が27人と多く、彼らには、点数(各作家に対して最高10点)だけが与えられていて、審査員同士のディスカッションのチャンスはない。また、点数を含め、審査員がどういう審査をしたのかについて選評を公表するシステムがない。また、審査員がどういう過程でどういう理由で選ばれたのかも明確ではない。(このあたりのことは、『DDD』の七月号に、乗越たかお氏が言及している。「細かく配点する人の意見が埋もれやすく、「好きな作品は100点、それ以外は0点」という極端な配点をした意見が通りやすい。こういう憶測が湧くのも、採点結果が一切公表されないからだ。選手にとっては自分に対する評価を知ることが、そして審査員にとっては自分の評価を表明することが、責任を全うすることだと思うのだが」p. 97ごくまっとうな意見だと思うし、ぼくも同じような公表すべきと言うアピールをしようと以前から考えていた、乗越氏に先を越された気分だけど、はい、本当に公表した方がいいと思います。すべての審査員の方々、いまからでも遅くないので、ネットで構いません、自分の審査内容を、選評を公表することを提案します。ぼくの知る限り、武藤大祐氏は自分の審査内容についてネットで公表しています)
ちなみに、セカンドステージのデータ(W1D)
・ファイナルに関しても同様の危惧がある。どういう理由で審査員があのラインナップなのか、また彼らの審査結果が芥川賞や岸田戯曲賞と同じように選評という形で公表されるのか否か、不明である。

乗越氏も連載「ダンス獣道を歩け」(『DDD』)のなかで言っているように、アワードは「無名の若手にとって作品を発表し世間にアピールするチャンス」であるかもしれないけれど、しかし「賞による権威付けよりも、ディレクター自身が才能を見つけ出し、その責任においてしっかりとした予算と場所を与えて作品を作らせるフェスティバル形式の重要性」(同上p. 96)こそが唱えられるべきだろう。ぼくが大谷さんと企画したDirect Contactはたまたまトヨタのセカンドステージと時期的に近かっただけですが、それでも、トヨタのオルタナティヴ的存在であろうとはちょっとだけ考えていた。神村恵がどちらにも出場していたということもあったし(タイトなスケジュールはトヨタへの集中力を削いでしまった可能性があり、神村さんには申し訳ないと思っていたりもします)。トヨタうんぬん以前に、少なくとも、コンペじゃなくイベントという気持ちはとても強くあった。そして、乗越氏の提案する「フェスティバル」という形式だと大規模であるのはいいこともあるけれど、同時に、作家の意志やアイディアが必ずしも十全に発揮出来ない場合もあるだろうと思って、小規模であることの可能性をDCでは狙っている。

アワード主導の芸術ジャンルというのは、他にあるだろうか。文学や演劇は、賞が大きなウエイトを占めているのは確かだ。ただしそれは、やはり審査員が身を削って自分の主張をする、からこそではないか(以前ここに書いたように、ぼくは文芸誌の誌面のなかで賞の選評が一番面白いと思っている)。審査員批判とかしばしば起こるし(石原バッシングとか)。4月に、五反田団の前田司郎が岸田戯曲賞を取った時の授賞式はとても面白かった。先輩作家達がどんな風に前田を見ているのか、ということがやはり興味深かったからだ。そうした新旧のつばぜり合いが、賞を面白くするし賞の価値も高めているのだろう。
あるいは目を転じて、美術ももちろん賞を与える機会はないわけではない(「VOCA」展とか)。けれども、案外とステイタスは決定的なほどの価値をもってはいない。むしろ、どの展覧会に招聘されたかなどのことの方が、インパクトが大きい。

ぼくはトヨタにはあまり期待していない(だから基本的には「パッシング」でいいと思っていた)。けれども、なにやら内部が疑問点ある状態で賞だけきまっていくのは、やはりいかがなものかと思うし、それって何だか永田町的なものとあんまかわんないじゃんとも思うし、で、多分、多くの今回トヨタに関係した方達も同様な不満をもっているのだろうけれど、インサイダーの立場からはいいにくい点もあると思うので、ぼくの審査員ではない特権を活かして、コメントしている次第です。

トヨタには問題があるとしても、ファイナルに残った方々やこれから賞を取る方々にはまったく問題がないことは申し上げておかなければなりません。貪欲に、もらえるものはもらうべきです。また何度も「トヨタ問題」と書いてきましたが、それは「トヨタコレオグラフィーアワード ネクステージ」問題なのであって、トヨタ自動車株式会社の問題という意味ではないことを、あたりまえですが、はっきり申し上げておきたいと思います。レンタカー会社から借りてGWに乗ったヴィッツはとても乗り心地のよいものでした。さすがでした。

さて、ファイナルステージは見に行くべきでしょうか。あのラインナップがいまの日本を代表するものとは、ぼくにはちょっと思えない(「次代を担う振付家賞」という趣旨にそって若手が選ばれていると考えてみたとしても)。あるいは、受賞者はほぼ決まっているのではないだろうか(図抜けた作家がひとりいる、とぼくは考えている)。だとすれば、見なくてもいい、と言うことも出来る。審査員の方々の意見が、率直に誠実に、観客の側に届くようなものとなるのであれば、行く価値はあるかもしれません。海外の審査員のことはあまりよく分からないので省くとすれば、石井-伊藤の発言バトルなど、是非して欲しいです。伊藤キムさんは、最近、アフター・トークのあり方について丁寧に考えていらっしゃるのですから、期待しています。

ところで、なぜ、作品そのものを評価するシステムを作ってくれないのだろうか。鈴木ユキオであれば、昨年の単独公演をこそ評価するべきではないか、PINKについても、神村恵にしても、単独公演をしてるのだ。振り付けというよりも作品を評価するような発想は、ありえないのだろうか。

壺中天「ソンナ時コソ笑ッテロ」(@吉祥寺シアター)

2008年05月24日 | ダンス
5/23
壺中天村松卓矢の新作を見た。昨年の「どぶ」という作品がとても素晴らしかったので、村松による壺中天公演を心待ちにしていた。今作でも、「どぶ」で感じた彼のテイストは存分に発揮されていた。

舞台に転がっていた4、5個箱が黒子によってどかどかと音を立てて揺らされる。闇に鳴るその音から舞台ははじまった。「箱=からっぽ」といったイメージは、同じ吉祥寺シアターで見た大橋可也「明晰の鎖」のやはり冒頭にもあらわれていた。「似てる」とまでは思わないけれど、共通の意識を感じさせはする。後ろでは、白塗り男達がキャッチボール。舞台の後景と前景を分断するように巨大な赤い格子がつくらている。さながら一面のみのジャングルジム。スポットが当たるとその中央に男達が体をちぢ込ませて固まっている。黒い点が二つ見えるなあ、と思っていると全員で一つの顔を作っていたことに次第に気づき、苦笑。歌川国芳、ベタに。集団を塊化させて、個性をいじめちゃう感じが、「どぶ」だとドブ板を渡る男(村松)の下で下敷きになって苦しむ者たちだったんだけれど、やはりそのあたりのセンスがこのひとの持ち味だななんて思った。

田村一行など、ひょうひょうとシャープな運動を見せる年長組3人が箱のなかにいる村松にちょっかい出すあたりも、その後、向雲太郎が少女となって、ジャングルジムを上下行ったり来たりしながら、無垢で残酷で軽快なまた奇怪な乙女となってやはり村松をひやかす場面も秀逸だったのだけれど、中心であるはずの村松がほとんど箱の中からでることなく、部分的に体を見せるだけっていう、その中心の空虚それ自体が圧倒的におかしい(棺から、突然死んだ子供が顔を出し、列席者の板尾にちょっかいをだす、松本人志のコントを思い出した)。やっぱり、たけし軍団的な何かなんだよなーと思わせる若手の男達とのシークェンスが、ぼくとしてはやっばり一番面白かった。10人くらいの集団が、「キーッ」と壺中天一流のかけ声によって、何をしてても履いたおむつを頭に被るか、頭に被ったそれをまた履くかとなければならない。箱=棺というイメージが展開していて、集団はお祈りをしたり、ジャングルジムの上方にいる村松に迫るように上ったりするのだけど、その度に「キーッ」という合図がかかり、進行はその都度中断する。こうした中断は、出来事を一元化する力を挫き、多形的なものにする。からだをちぢ込ませて泣いているかと思うとそのまま体を開けば、泣くというよりただ大きな声を上げているひとに変貌してしまう。そうした物事を無意味化するような仕掛けが随所にあり、そうしたセンスは、ほとんど「お笑い」のものだと思うのだけれど、村松は的確に、慎重に、舞踏をそうした「お笑い」のフォーマットの上に置き直してみせる。それは、中心が空虚であることについての徹底をめざしたそのベクトルの果てで起きている。だから、ダンスがお笑い化したなどといった、単純にそういう話ではないはずだ。最後は、舞台中央で、ひたすらペンキで体中を塗りたくられる村松。ドロドロの姿でちょっと踊る。この存在観なのだから、じっくり踊りを見せる場があってもいいのにと思うが、徹底してそうしたベタなダンスを村松は拒んでいる(ように見える)。

ようは、ずっと村松は「いじられる」存在なのだった。諸々の者たちにちょっかいだされ、最後は、ペンキ。このいじられることの舞踏性は、深い。「さらしもの」としての身体を目指した土方の思想的な流れの中に、この「いじられる」を入れることは、間違いなく「あり」だ。

批評の批評の不在

2008年05月10日 | ダンス
最近、ダンスの批評文をあまり書かなくなりましたよね、ブログもそんな精力的ではないし、、、的なご批判をある熱心なコンテンポラリー・ダンスのお客さんに言われ、そうだな、ちょっといろいろ考えなければと、でもどうするのがいいのかななどと思案している、昨今です。単純に、時間的な配分として、見ることの面でも書くことの面でも、ダンス以外にかける時間が多くなっているのは事実かも知れない。

「批評不在」って言葉は、ダンスの関係者の内部でずっと言われてきたこと。けれど、それはいま、どのジャンルでも言われていることだったりする。文学とか映画とか音楽とか、、、

でも、ひとつ疑問なんですが、そもそもそんなにひとはダンスの批評をちゃんと読んでくれているのだろうか?ぼくのもぼく以外のも。ぼくがあまり精力的に書かなくなった主たる原因の一つは、リアクションの乏しさだった。もうひとつは、ときどきあるリアクションが匿名で建設的な意見の含まれていないあまりにも切ない内容だった、ということだった。最近は、上記したようなパワフルな観客が読者でいることが分かったので、ちょっとちゃんとやりたいなとは思うようになったけど。リアクションというのは、ひとを動かすものですよ。よくも、また、悪くも。

ところで『舞台芸術』という雑誌では、稲倉達という人物がダンス時評を、たしか季刊ペースでやっている(ちなみに同誌の演劇時評担当は小澤英実)。実は、ぼくはこれつい最近まで読んでいなかった。2週間くらい前に、はじめて稲倉『舞台芸術』批評文を読んだ。それ以前、この誌面は、國吉和子、桜井圭介が埋めていた。これ、みなさん読んでますか?
『ダンスマガジン』にも、岡見さえというひとが先日のピナ・バウシュについて文章を寄せていたり、石井達朗(トヨタの審査委員)が康本雅子「チビルダミチルダ」について書いてたりする。石井氏がどんなことを発言しているかは、トヨタ問題のひとつの傍流として重要だと思うのだけれど、そういうことを最近ぼくの周りでおしゃべりしたりする雰囲気はなくなってしまった。
あるいは同人誌的なテイストのものだけれど、この一年くらいの間にでた『コルプス』という雑誌がある。これも読んでますか?どう読んでますか?

個人のブログを除けば、最近こうしたサイトが批評文を掲載している。
コムコム.com:クリティーク・言ってクリ!
下記のは二年くらい前からか、九州の方の大学の方たちが中心になって、ダンス、演劇の感想文を載せている。
donner le mot(ドネルモ)

他にも重要な批評サイトがあるかもしれない(もちろんwonderlandもある)。で、ぼくの周囲でも、批評(時評)サイトを作りたいあるいはコンテンツとしてそうしたものを充実させたいという話はよくでる。けれども、ひょっとしたら、今大事なのは、批評の拡充ではなく、批評の批評の充実なのかも知れないなーなどと思う。「読んでますよ!」というメッセージも含め、互いが互いの批評をさらに批評するような気運がいま足りなくて、けど本当はあった方がいいもの、なのかもしれない。

やるべきでしょうか?

岡田智代「十六夜びろうど」(STスポット)

2008年05月10日 | ダンス
5/9
過去にはトヨタコレオグラフィー・アワードにもファイナリストとして出演し、また最近では「おやつテーブル」公演でもメンバーのひとりとして活躍している岡田智代の単独公演があった。

岡田智代が踊る時間には「踊り手の空間との関係」がきわだってくるときがあって、そうしたときというのは、なんら抽象的ではない、具体的な仕掛けが用意されている、それは「眼差し」だ。不意に、気づくと眼差しは、遠くに向けられていて、その目によって、そこにひとつのある景観が存在している、なんて気にさせられるのである。ぼくはそうした岡田の眼差しの「仕掛け」が好きで、公演があるといえば、見に行く。その眼差しは、架空の空間を出現させることもあれば、現実の空間(舞台と客席、あるいはその外を合わせた空間全体)を見る者に強く意識させることもある。そのことで、踊り手の空間との関係ばかりか、いろんな関係(過去と現在とか)が意識させられる。そういう見どころ(複数の「関係」)がバチッと決まったときの岡田は、とても見応えがある。

それは、しかしとてもデリケートな仕掛けだ。眼差しが単なる目になってしまうことがある。「何を見ているんだろう?」と思わせるに足りず、ただ遠くを見ているらしき目になってしまう。今回、なんどかそんな眼差しの時間があり、すべてが「眼差し」になっていない気がして、目を見てしまった自分にいらだったが、少しフォローすれば、この作品は、タイトルで分かるように、ときは「夜」なのである。眼差しがその対象を見失う時間なのである。すると、どうしたって目は内側を向くことになる。

冒頭、あらわれた岡田はただひたすらSTスポットの狭い舞台空間の周囲を走る。確かな足取り、余計な肉はあまりない、けど、そんな感想のなかには、「年の割には、、、」みたいな言葉が隠れている。濃紺のジョギング・ウェア型の衣裳は、からだを露出させている。次は、短距離のスタート練習、筋肉が意志に反応する。反応してプルッとなった肉のダンス、というところか?他にも、アップテンポの曲を背景に、太ももを素早く揺らす、プルプルなダンス?もあった。結構、そうした自分の肉体を遊ぶ的なアイディアが続く。「眼差し」の岡田はまた、「テンション」の岡田でもある。シンプルな動作が曲などと連動してあるピークへと坂道を上っていく、みたいな部分を大事にしているダンサーだ。けれども、最近のぼくの関心があまりそのあたりになくなってきてしまっているからだろうか、今作のなかのそうしたポイントには、ほとんど反応出来なかった。露出した肉体は、眼差し同様何らかの関係を意識させる、独特の色気がある。あるんだけど、それが何か差し迫った気持ちを喚起させることはなかった。微弱な何かでも別にいいと思う。けれども、何かこう、なんて言うんだろう、しっとりとした気持がぐっと見ているぼくのなかでさまざまなものと関係して乱反射みたいになってくれたら、と思いつつ、見ていた。

あと、印象に残ったのは、STスポットの小さな白い空間に、黒いカーテンを少しずつ引いていって、最終的に真っ黒(夜)にしていくんだけれど、それは思いの外、効果的なものだった。「しん」とした気持ちになった。最初にカーテンを1メートルほど引いた時点で、「これは最後には真っ黒にするな!」と予想が出来てしまったが、実際に黒が充満すると、ぽつんとひとり立つ岡田の「ぽつんと」感は強くなった。こうしたアイディアも、彼女が本来もっている「空間との関係」への意識が生み出したものに相違なく、そうした強い思いと考察があったからこそ、効果的だったに違いない。

参考
STスポット通信(聞き手・手塚夏子)

手塚夏子「道場破り」第2期/後半戦

2008年05月07日 | ダンス
5/5の夜と5/6の昼の二回に分けて、手塚夏子は、現在居住している藤野周辺の施設「しのはらの里」を利用して第2期の後半戦に当たる「道場破り」イベントを行った。

「道場破り」という企画は、コンテンポラリー・ダンスのダンサーたちがもつ手法を取り出して、それぞれが自分のではない他人の手法(道場)に門を叩き、その手法を実践し、道場を破ろうとする、という趣旨ではじめられた。2006年10月に第一期が行われ、第2期の前半は今年の2月に同じの藤野の公民館のようなスペースで行われた。今回は、その後半戦に当たる(詳しくは手塚夏子のブログを参照のこと)。

コンテンポラリー・ダンスというのは、定義は難しいが、ひとつに、モダンダンス、バレエなど既存のダンスの方法には従わずに、自分の動機、やり方を模索しながら新しいダンスを開発していくという側面がある。すると各人には各様のダンスがあり、そのそれぞれには他とは共有し得ない独自の「手法」がある、ということが帰結する(論理的に思考を進めていくと)。コンテンポラリー・ダンスは、だから必然的に、多元的な環境のもとにあり、それはよい面でもあるが、互いにディスコミュニケーションが進んでしまったり、それぞれが趣味の次元でやっているだけだという孤立を生んだり、要は「コンテンポラリー・ダンス」=「なんでもあり」といった風潮とその一方で、というかそれ故に、いまはやっているものを安易に雰囲気のレヴェルで(ベタに)模倣してしまう傾向が生まれたりするという恒常的な問題をはらんでいる。

本当の意味で、コンテンポラリー・ダンスがある未知のダンスの開発というベクトルをもつというのであれば、それぞれが、どうしようもなく逃げ切れずそこへと向かってしまう自分の動機、やり方へと向き合い、自らの手法を明らかにしていくこと、そして複数の者たちがそれを行うことで、いまコンテンポラリー・ダンスが抱えている手法にはどんなヴァリエーションがあるのか、そして、そこから見えてくるコンテンポラリー・ダンスの今日的姿とは一体どんなものであるのか、こうした点を明らかにしていくことが、さしあたり「道場破り」の主題から引き出されてくる可能性だとみることは出来る。

とはいえ、実際の「道場破り」を見ていて分かることなのだけれど、手塚がトライしているのは、あるダンサー(振付家)の「手法」を、他のダンサーが単に習得することではない。道場破りの実践は、他人の道場(手法)をマスターしてそのマスター(手法の主人)を打ち負かすことを目的としていない(仮に名目上そうであったとしても、安易にそんなこと出来ないということがすぐに明らかにされる)。むしろ浮き彫りにされるのは、どうしようもなく、それが「他人」の手法であること、そしてそこへとアクセスする際に、自分の手法はしばしばその道を邪魔してしまうということ、である。従って、他人の道場を破る云々以前に、自分の道場からひとは早々に逃れられないという事実に出演するダンサーたちは向き合うことになるのである。

進行は次のようだった。5人のダンサーの手法がひとりづつ紹介される。例えば、冒頭には手塚の手法がパワーポイント画面で説明される。次にその手法がよく現れている映像が映写される。その次は、手塚以外のダンサーたちが同時に(あるいは1人ずつ)手塚の手法を観客の前で実演する。最後に、手塚本人が登場し、自らの手法を実践する。このセットが二日間で計五回おこなわれた。1日目は、手塚夏子の手法、捩子ぴじんの手法、中村公美の手法が、2日目は、黒沢美香の手法、山賀ざくろの手法が紹介された。この人選は、手塚が魅力的と思ったダンサーを集めた結果だという。

一回二時間強で2回分、ひとりの手法に対して、5人が実践したから、5×5=25回のダンスを(同時のもあったけれど)見たことになる。どの瞬間も興味深かった。それをひとつひとつ記していたら、途方もない(それを行う価値はあるものだと思うけれど)。なので、ここにはメモ的に記すだけにする。

前回の第2期前半戦の感想としても記したことかも知れないけれど、興味深かったのは、「手法」というものを言語化してみるということだ。自分の動機ややり方が各人のダンスを決めるのがコンテンポラリー・ダンス、と先に書いたけれど、そうだからといって皆が皆、自分の手法に自覚的ではないし言語化出来ているわけではない。言語化出来なくても手法に自覚的でなくても、踊ることは出来る。だから、言語化してみるということは、ダンサーにとってかなり「あえて」なことだろう。その「あえて」は、ダンスとの葛藤であると同時に言語との葛藤を引き起こすに違いない。言葉を生む作業。それはまた、言葉の可能性ばかりかその限界をも意識させる(こう考える先に、ダンスと文学との関係という問題もきっと開けるに違いない)。実際、言語によって切り出されてきた「手法」は、実際他の者や本人によって実演されると、「足りない」気持ちにさせられる。「手法」のフレームは、あるダンサーのすべてを包括出来ているわけではないのだ。それでも、そういうフレームを設定する意味はある気がする。それがあるから「戦う」などという設定が展開する土俵も生まれるからだ。そして、この土俵は先に言ったように、勝敗が目的ではなく、他人のみならず自分の土俵も「破」ることが目標になっている。だから、「手法」は最終的に「破」り捨てられるためにあるわけだ。

だから、「道場破り」は「破」って行く行為のためにこそあるのであって、そうした行為、つまり他人に接近し自分を分解していくことのために、そこから身体が動くとはどういうことなのか、あるいはもっとシンプルに言うなら、ぼくたちの身体は一体何ものなのか、ということを探究するためにこそあるのだ。

なんとも奇妙なダンス合戦だった。要は、全員が失敗(敗戦)を前提とした上演(戦い)をしたわけである。どんどん不十分な状態へと進行するなんてことがある、けれども、そういう時にこそ、他人と自分とのバトルが当人の身体上で繰り広げられている興味深い瞬間だったりする。

2日目の山賀ざくろの手法は、単純な言い方で一番面白かった。山賀は、ダンサーがもっぱら自分に禁じていることこそやっているらしい。舞台上で舞台にいることを恥ずかしがる、観客を意識する、観客の前で自分のいまの気分を告白する、、、そうした手法へ逡巡しながら乗り込んでいく山賀以外の四人。黒沢美香のトライアルが、爆笑もので、怖ろしいくらいに面白くそして面白い以上に怖ろしかった。「照れる」とか「喜ぶ」とか「ためらう」とかという感情を、舞台を熟知している黒沢があらためてやってみるとき、それは相当不気味なものとなる。それは徹底してコントロールされた「ためらい」「照れ」「喜び」のようでもあるし、コントロールの先へとぽつんと落っこちた本当の「ためらい」「照れ」「喜び」のようでもあり、舞台空間というものがどんなふり幅をもったものなのかを計測するような時間だった。いや、上手く説明出来ない、ともかくも久しぶりにダンスを見て胃が痛くなるほど痙攣的に笑った。

今回は、2月の前半戦に較べて観客の数が数倍になった(前回は純粋な観客が片手くらいしかいなかった、確か)。しかるべき研究者・批評家が見たという点では、とてもよかったし実りあるものだったことは間違いがない。ただし、20代前半くらいのこれから作品を作る/ダンスを見て批評する世代は少なかった。手塚の試みは、とてもハードルが高い。でも、ここで起きていることが、世界なのだとぼくは思う。藤野で行う意義は、ある。環境が素晴らしいだけでなく。だから、ここでのイベントは継続するとしても、山を下りて、人々のなかでこれ、番外編、出張編を考えてはどうだろうか。少なくとも、何らかの手段を使ってこの記録は後世に残しかなきゃいけいない。

帰り、やまなみ温泉に行く。その帰り、レンタカーで一時間とカーナビに表示されたのに、結局二時間かかってようやく新百合ヶ丘へ。

クリウィムバアニー「贅沢ラム」(@吉祥寺シアター)

2008年04月28日 | ダンス
4/27
10人ほどの同じミニドレスを来た女の子たち。ベッドと洗面器、トイレ。プライベートな部屋のイメージ。天井にはシャンデリア。照明は始終暗め。小さな倦怠、小さな妄想、ときおり下着をおろしてトイレに、ベッドに座る。基本的に、だるそうにそこここに座って、寝そべって、しかもほとんど互いの間に関係が生まれないまま、中心もないまま時間が経過する。一時間くらいの公演のなかで、二回くらいアップテンポの曲で全員が踊る、と言うところがあった。それ以外は、ゆるく間延びした時間が続いてゆく。菊地成孔「プラザ・レアル」や久住小春「バラライカ」など、ところどころで鳴る音楽の選曲には、リアリティがあるのだけれど、何か見せ所を欠いたまま終わってしまう。いや、見せ所など決して作らない、決してテンションのピークを作らないということなのだろう。ずるずると執拗に続く、薄闇の時間とか、その象徴ではあるのだろう。ただ、うん、そうなると見る者は、ダンサーの運動ではなく身体自体へと眼差しを向けだし、フェティッシュな快楽へと落ちてしまいがち、で、その傾向に好都合なことに、白い柔肌露出の、幼少の頃から恐らくダンスを続けている、それ故か美しいプロポーションの女性たちがうろうろしているわけで、そうしたフェティシズムへの耽溺を、どう考えるかということに問題がなってくる。えと、でも、そこでダンス・アート的なクールネスと対極の(一カ所、C-uteの曲かなにかがかかって、20秒くらい全員で踊って、一瞬で音が消え別のダンスへ何ごともなかったかのように切り替わったところは、この舞台唯一特筆すべきダンス的な快楽の生まれたところだった)猥雑な世界が生まれるのならば、それはそれでいいのかも知れないなあ、、、遅延もそれはそれで「じらし」の快楽に変換されるのであれば。あ、多分、ぼくが最終的に、やっぱりどうしても乗り気で見続けられなかったのは、そうした「じらし」へとぼくが巻き込まれなかった、という不甲斐ない気持ちになったことに原因があるのかもしれない。むしろ強烈にフェティッシュな瞬間があったらよかったのかも(過激であれ、と言うことではなく、仕掛けとして強いものがあったら)。単純に、久住小春がここで同じように踊っていたら、きっとその方を見ちゃうだろうな、と思った。フェティシズムへ足を突っ込むのであれば、残酷な基準にさらされることになる。どこにも落としどころを作らないことが、すべてに中途半端という感想へと短絡していかないような仕掛けが、やっぱり必要だったのではないか。
と、ずっと「プラザ・レアル」を聴きながらこれを書いたので、上記したことは、クリウィムバアニーについてというよりも、菊地について、になってしまっているかも知れない。

観劇後、吉祥寺の焼鳥屋で食事。熱心なダンスファンと、いまの日本のダンス・シーン、ダンスの批評の問題について話す。かつていろんなことがあり、いろんなことが終わり、いろんなところへと拡散している。途中で放擲したもの、について確認する。

オトギノマキコ「チワワのゆうれい」(@渋谷ルデコ)

2008年04月26日 | ダンス
4/26
久しぶりに見た。正直、またオトギノマキコが見られた、という感動が大きくて、ちょっと「ああ、そうそう懐かしいー」なんて思いながら、過去の記憶をなぞりながら見てしまった。再び出会えたと言うことそれ自体が喜びになるような、ダンサーとして唯一無二の存在。20:00。ルデコの一階。20人ほど観客の集まった前方、小さな舞台スペースに、リアルな着ぐるみ(犬?オオカミにもみ見える)を来たオルガンプレイヤーが現れ(「ジョン(犬)」という名のミュージシャンだった)、その演奏をバックに、ろうそくの火が揺れるお盆を床に置くと、直立の状態で、そう、いつものあのオトギノマキコの姿勢で、繊細な強烈な時間が始まった。オトギノの体は、音楽とかなり直接的に反応する。けれども、その応答は硬く激しいものではなくて、むしろ紙が音に揺れて振動するみたいに、極々デリケートであり続ける。オルガンがなんともいえない不思議なメルヘンを空間に流し込むと、白いシャツと紺のパンツというほんとにいつものオトギノの体、いやなんだか以前よりシャープに目指すべきポイントへと素早く進む体が、次第にそこに委ねかかってゆく。バリのダンスのように全身の様々な場所が細かく弱く揺れる。いつの間にか、その体は、オトギノのものではないかのように、死の瀬戸際へとワープするかのように、生から切り離されて、それでも動いている。それをダンスと呼ぶべき、それをダンスと呼びたい、という体がある。バリでの記憶や暗黒舞踏の光景(土方巽が「疱瘡譚」で見せたライ病のダンスとか)とが、オトギノとともにぐるぐるとトライアングルをつくる。めまいのような気持ちでそのぼくのなかに不意に生まれた三つのイメージに歓喜する。一端、崩れて倒れた体が、あらためて起きあがってくると、それはまたなんだかしっかりした運動をみせもする。そうして運動の質が変化しているのは、頭で踊らず、音楽家と生成させている状況をきちんと生きているからだろう。後半は、ルデコ一階の客席にあったバーカウンターで新聞を読む音楽家の隣に座ってみたり、かぶり物を奪って被ったりした後、二台のテレコを出して、一台は松田聖子の「赤いスイートピー」をもう一台は、やはり同じ時代のポップスをカセットならではの速度ツマミを頻繁に変化させながらその音に反応して痙攣的に踊る、と言うことがあったり、最後は、マイクとスタンドを出してきて、アイドル歌手がふりつきで歌っているような状態で、しかし、声はほとんど吃音的というかほとんど発せられることなく、というシークェンスがあって、その後、パフュームの「コンピューターシティ」で踊る、というように進んだ。以前、ディズニーの「エレクトロニカル・パレード」の曲で踊るなんてこともあったけれど、そっか、パフュームはオトギノだったんだーなどと、妙に納得し、松田聖子からパフュームへと繋がれた線にも、そこにこのオトギノの自己をギリギリまで滅却していくような、感動的に死へと接近するかのダンスが綱渡りするという演出にも納得し、いま世間で言われているところの「日本のコンテンポラリー・ダンス」には興味が薄らいでいる一方で、こうした本当に秘儀のようなダンスが、やはりぼくは大好きなんだと思って、ダンスを愛することにあらためて確信の持てた公演だった。そう、なんかもう秘儀みたいな公演だった。勇み足でご本人に「次の公演は?」などと野暮なことを聞いてしまったのだけれど、いや、ぼくはいま、再びオトギノマキコが見られたことが本当に嬉しく、またどこかで見られたらそれも嬉しいと、そう、ぼくの気持ちは、それだけなのだ、と本人に言えばよかった。

参考資料
手塚夏子によるインタビュー面接画報
日記より オトギノマキコ「かわいい心臓」(2003年8月31日@Plan B)
日記より オトギノマキコ ラボ20#14出演(2003年1月18日)

ベニー・モス「フリー」(@横浜STスポット)

2008年04月17日 | ダンス
4/17
雨の中、横浜。久しぶりに「鈴一」。早めに食べ終わり、Aが男たちに囲まれて「てんころそば」と格闘するのを後ろから見ていた。

垣内友香里の主宰するベニー・モスの新作。「フリー」というタイトルにあまりこだわりすぎない作品になっていたらと、余計なお世話を焼きながら上演を待つ。垣内は、大橋可也&ダンサーズでも活動していて、昨年末には、彼らの企画したイベント「関係者全員参加! ダンスクリティーク」でも、プレゼンターとなって話してくれた1人だった。そのとき、この作品の中間発表をしてもらったのだが、出演者全員が「フリー」な状態で舞台にいることがコンセプトになっていて、それは正直どうなのかと思っていたのだった。「フリー」であることはそんなに必要なことなのか、そもそも出演者の「フリー」を観客は見たいと思うか、などとイベントで垣内と話した憶えがある。
本番は、「フリー」というものについての話者の考えについての語りがさまざまに何度も繰り返される、そのレクチャー・トークが中心となって、その周りに、なんともいえないスローモーションな動きのダンス?が差し挟まれる、という内容に変化していた。「フリーはいったいどこにあるのか?」という問い、それを真っ直ぐに答えようとした最初のアイデアは、ほぼ廃棄され、代わりに選択された「フリー」というよくよく考えるとどこにあるんだか分からない虚焦点のまわりでぐるぐるとじたばたする様は、一時間半という長丁場の公演を成立させていた。垣内というキャラがもつ面白さも際だった。目がギョロッとしていて、美人のようで、でも体ががっちりしているから暴力的な印象もあったり、まじめなようで怒ると怖そうな、見る者を不安定な気持ちにさせる彼女が、ひとりしゃべりをつづけている様子は、それだけで面白く、その面白さが、つまり垣内が自分のキャラを積極的に生かして転がすようになったら、もっとそういう意味でわがままになったりなどしたら、一層観客を強引に振り回し、一層面白くなるだろう。

「オルタナティヴ・ダンシング」最終回

2008年03月26日 | ダンス
建築雑誌『10+1』にて、昨年夏から連載させてもらっていた「オルタナティヴ・ダンシング」が、今週中頃から発売の第50号で最終回を迎えます(タイトルは「「死体」について」。もちろん主たるモチーフは暗黒舞踏の土方巽の思考です。「踊りとは命掛けで突っ立った死体である」というあの一句)。本来はもう一回書く予定だったのですが、『10+1』が出資者側の意向できりのいい50号で終刊にしようということになったそうで、残念ですが、今号でぼくの連載も本雑誌自体も最後になります。「終刊」とか「休刊」とかというものにぼくはなんでか仲がよくて、はじめて雑誌に寄稿した『バレエ』は書いた号が終刊号だったし、先日ニブロール「ロミオORジュリエット」の前宣伝記事を書いた『トキオン』も、その号で終刊してしまった。雑誌というのは、どんどん新陳代謝するものと考えればいいのかもしれないですが、批評文を雑誌に寄稿したいと希望をもつぼくより若い人にとっては、なんかあまりいい気分にはならない話でしょう。こうなったら、自分自身で場所をつくるしかないじゃない、という気持ちが『ベクトルズ』や『Review House』(この雑誌の編集にぼくは関わっていないけれど、脇で見ていて)などをつくらせているのだと思うのだけれど、それにしても、あっさり終わってしまうものだなーと、悲しくなりますね(そうそう、昨日もあるパフォーミング・アーツ系の雑誌のことで同様の話を聞いたばかりだ)。

『10+1』はこの一年くらいの、ぼくの主たる寄稿対象だった。ラインナップしてみます。

「コレオグラフィとしての都市・東京」(No. 47)
「「タスク」について」(連載「オルタナティヴ・ダンシング 第1回」No. 48)
「「ゲーム」について」(連載「オルタナティヴ・ダンシング 第2回」No. 49)
「「死体」について」(連載「オルタナティヴ・ダンシング 第3回」No. 50)

『10+1』はいまどき珍しい、「批評」を掲載しようとしてきた雑誌です。だいたい、よく「ダンス」を中心とした批評文の連載などオファーしてきてくれたことと思う。今号含め、過去のナンバーも是非チェックしてみてください。

3/22-23

2008年03月24日 | ダンス
3/22
早朝、呼びブザーで目覚める。しばらく事態が飲み込めなかったが、ああそうか、以前教えていた学生と約束していたんだと思い出しあわてて着替え、近くのスタバでちょっとだけ話す。いまから卒業式だと言うスーツ姿の彼は、いろいろ不安そうだけれど、ぼくもあの年齢の時はまったく「不安の塊」だったから、そういうものだよと言いながら、励ます。卒論をもらう。その最初の一枚には、ピカソの「アヴィニヨンの娘たち」が。

午後に、来年度からお世話になる大学でぼくと入れ替わりで退官される先生が以前から関わってきた市民運動のようなもののイベントに参上する。そこでも、お別れ会。退官される先生に30年後の自分の姿を思う、、、思おうとするが、いや、まったく思えない。イメージがわかない。ただ、先生のデリケートな身振りのいちいちが、これから自分が身につけねばならないもののように思える。憧れることしかできない。

夜、黒沢美香×野口実ダンスプロジェクト「牛」(@セッションハウス)を見る。
白い全身ストッキングを身につけた黒沢が、何度か異形のコスチューム(背中に銀のトゲが連なり、髪は剛毛な長髪、とかのし袋の帯のような形状の物体とか)へと着替えていく。激しい動きはほとんどなくて、衣裳の奇妙さとは裏腹に、静かな運動の印象を受ける。回る(体の角度を不意に変える)ところとか、妄想乙女な状態とか、黒沢公演でしか決してみることのできない、しかし何か本質的なダンス的状態と思えるポイントは幾つも見つかるのだけれど、見る自分の目が本当の意味で魅了されていない、引きつけられていないと感じる。ぼくの眼が節穴なのか?帰りながらふと思ったのは、腰に魅了されなかったということだった。黒沢の腰に引きつけられていた、これまでは。今日は、腕とか首とかの動きに意識が向かっても何かフックがなく、すっぽぬけ感が否めなかった。途中に本当に本当に絶妙なタイミングで舞台空間の余白に置かれた「ありがとう」という言葉(音声)、最後の梯子に登っていく場面は、印象的だったけれど、とくに梯子は見上げたとき頭上のスポットライトが眩しすぎてよく見えなかったので、またやってください、見せてください。


3/23
今日も午前中から学生に会う。というか、今度はこっちが会いに行った。多摩美の卒業式。22才くらいの才能は、ビビッドだけれど、それが30才くらいどうなっているのかの方がずっと重要。だけど、ともかく、いまの輝きを応援することも大事だろう、なんて思いつつ、お別れという儀式に翻弄される。昼、おだやかな風。オベント箱に詰めたAのお母さん特製ちらし寿司が思いがけず場にフィットする。

二時に新百合ヶ丘に戻り、ピナ・バウシュ(ヴッパタール舞踊団)「パレルモ・パレルモ」(@テアトロ ジーリオ ショウワ)を見た。1989年の作品。ブロックの壁が一瞬にして轟音と共に横倒しになり、そのがれきのなかでそとで舞台がはじまるという冒頭のシーンとか、複数回鳴らされたピストルの銃声(火薬の音)などが印象的だった、それと関連するだろう、100はあったかもしれないいつものショート・コントのなかに、高濃度で散りばめられた「死」のモチーフ(「自殺しようとビルの屋上にいる男を下の者たちは、「ジャンプ」とはやしたて、実際ジャンプした」話とか、「狐に自分の物語を語る間生かしておいてやるといわれて喋り続けるガチョウ」の話とか、例えば)が、この作品の特徴であろう、と思った。最初の方の印象的なシーンは、女が男を呼びつけて「テクイ・マイ・ハンド!」と叫び、男が女の手をつかむと女は男の手を引き剥がそうとし、「ハグ・ミー」と叫ぶと抱きつく男をはねつけようとするところ。これは後半でも反復されるのだけれど、男にしてみれば、ダブルバインドな状況で、女の一種のヒステリーがせり立ってくる。ピナ・バウシュを見るというのは、こうした両義的でどっちにも行き着かない行き着けない状況を見つめると言うことだったと、最近の作品ではやや薄まったこうしたテンションを確認するように見た。前半の終わり(全長は3時間)、アップテンポの曲をバックに、かなり即興的で爽快なダンスをどんどんダンサーが入れ替わりつつ踊られるところで、後ろでは瓦礫の舞台を整理して後半に向けてセッティングしているスタッフたちが労働している。なにやらこのコントラスト込みでぼくはこの時間が一番気に入った。労働の身体運動とその前で展開される遊戯的なお気楽な雰囲気のダンス的運動。このコントラストを「シリアス」と「戯れ」として見た場合、ピナ・バウシュのコントは、いつも「シリアス」な状況を十分意識させながら、それがひとつの答えではないように丸め込み=「戯れ」の次元をいつも開いている。例えば、5、6人の男たちが1人の女を追いかけているように見えるシーンは、戦禍の暴力を想起させる「シリアス」さを具備しているのだけれど、その直後に、男たちは軽々と女を抱えて女を空中へ飛び上がらせてやってる「戯れ」の次元へと向かう。これは、観客の解釈を一元化させず、そうすることで観客が考えることをやめさせないための方途だとぼくは(あるいは大方の人たちは)理解しているのだけれど、一方でその戯れの次元は、ピナ・バウシュが狙っていることとは正反対の事態を、つまり考えないことを可能にする装置としても機能してしまっている。つまり「ああ、あのシリアスな状況はただの遊びだったんだあ」と。そこに、その安堵に、いわば「オチ」を見つけて笑いを漏らす観客の雰囲気がなんとなくピナ・バウシュをショート・コント(お笑い)的な存在に仕立て上げているような気がして、それならば、それでもいいんだけれど、なんだかピナ・バウシュという存在が小さいもののように映ってしまう。いや、ピナ・バウシュは悪くない。彼女はどこまでもプレずに「死」のモチーフの周りにダンサーたちを引き留め続けようとしているのだから。相変わらず音楽がとてもよかった。


夜の7時半に、

「スリー・スペルズ」(ダミアン・ジャレ+シディ・ラルビ・シェルカウイ+アレクサンドラ・ジルベール+クリスチャン・フェネス)を見た。寓話的な要素が濃密なダンス公演。以前どなたかが、最近のヨーロッパの流行としてそうした「寓話(物語)」的要素というものがあると言っていたのだけれど、なるほどと思う。非常にシャープで、余計な(余計にダンス的な)ことはしないと決心しつつ、ダンス作品であろうと(純粋に運動する身体が媒体の芸術であろうと)しているところが印象に残った。寓話性は、白い毛皮(奇妙でイソギンチャク的な2つの口のついた)のなかにすっぽり身を隠していたり(「毛皮のヴィーナス」)、鹿の角を頭に付けていたり(「ヴェナリ」)、長いヴォリュームのある髪をつけていたり(「アレコ」)といったところから醸し出されてくるものとしてある。寓話性は、見る者個々人のファンタジーに訴えてくるところがあり、そういうファンタジーを喚起させる点で魅力的なものだなと思いながら見ていた。それと、ダンサーの体のあり方が面白かった。ぺらぺらな感じ、鍛えられているのに。アメコミとかファッション雑誌のような、キャッチーだけれど実体が希薄なゆえに「ペラ」い身体、というか。どのダンサーとも、バレエやモダンダンスに限らない多様なダンスの素養が体に浸透しているようなのだけれど、それをダイレクトに表にだすことはなく、むしろそうしてできた体を一種の柔軟なメディア(変幻する楽器)にして、遊ぶ、ということが達成されていた、と思った。衣裳を介した異形性と素のダンサーの身体がもっている質とが等価にユニークだった。


来年度、大学のゼミで「クロスジャンルで雑誌をともかく読みまくる」というのをやろうと思っていて(『新潮』から『CanCam』まで)、そのウォーミングアップのつもりで、文芸雑誌など大量に購入。暇があると読むようにする。

鈴木ユキオ「また、踊るために」

2008年02月28日 | ダンス
2/27
昼、目白にて大学での事務仕事を終え、お茶の水へ。ゆらゆら帝国「空洞です」パラダイス・ガラージ「奇跡の夜遊び」BATTLES「MIRRORED」などを購入。明らかに、あれの影響だわ、あれって今月の『STUDIO VOICE』。あとトクマルシューゴ「EXIT」と大谷能生×戸塚泰雄「2005.3.22」Otomo Yoshihide「modulation with 2 electric guitars and 2 amplifiers」。その後、森下スタジオにて、鈴木ユキオのワークショップ「また、踊るために」を見学させてもらった。彼の言葉は、きわめて明晰で、実体験に根ざしていて、本物で凄かった(いつかあらためて、どこかで取り上げたい)。新宿3丁目で餃子を食べ、帰ると、かわいいから見てーっと、こんな写真が送られてきていた。このメールの送り主とその仲間たちは、最近中国にそうとう興味があるらしく、その感覚が(世評に逆らって、無視して、かどうか?あえてなのかそうでないのかよく分かんない感じ含め)、ちょっと面白いと思うのだった。