手技療法の寺子屋

手技療法の体系化を夢みる、くつぬぎ手技治療院院長のブログ

しあわせなさいご

2011-01-01 20:00:00 | よもやま話
6年ほど前、私はケアマネージャーをしていたのですが、そのころ担当していた利用者さんのご家族(娘さん)が、昨年の暮れにあいさつにみえました。


利用者さんが先日、亡くなられたというお話でした。





そのようなご報告は時々いただくのですが、これまで経験なかったほどに明るくサッパリしたご様子が、私には不思議に思えました。


不謹慎かもしれませんが、思い切ってそのことをお尋ねすると、おだやかな笑みを浮かべてお話されました。


「最高のお別れができたんです」






利用者さんはご病気のため入院されていたのですが、さいごのとき、ご家族におっしゃったそうです。


「もう、頑張らなくてもいいかい?」


それを聞いて、ご家族も「もう頑張らなくてもいいよ」と返事をなさいました。


すると、


「じゃあ、さいなら」


と言って、そのまま息を引き取られたそうです。





もちろんお母さんを亡くされた悲しみは大きかったはずです。


でもそれ以上に、亡くなるまできちんと看病でき、お母さんらしいお別れの仕方ができたことを満足されていたようでした。


お話を聞いていて、私もつい「ご愁傷さまです」ではなく、「すばらしいお別れでしたね」と答えてしまったほど心に響くお話でした。


凛とした利用者さんのことを知っていたので、なおそのように感じたのかもしれません。


デイケアで、書道の作品を嬉しそうに私に見せてくださった姿の記憶が、鮮やかによみがえりました。





おわりを全うするとは、このようなことをいうのだと思います。





どのような亡くなり方がよいと考えるのか、それは人それぞれでしょう。


でも、この利用者さんのような亡くなり方というのは、理想のひとつではないでしょうか。


私が自分のことを想像しても、身近な人に「ホナ、さいなら」と言って、サッパリとこの世とお別れできるというのは、とてもしあわせなさいごの迎え方だと思います。





ところで、みなさんはこれまで友人や仲間との間で、一度くらいは「生まれ変わりを信じるか」という話をした経験をお持ちだと思います。


私はどう考えているかというと、信じているようないないようなという感じで、味気ないかもしれませんがどちらでもいいと思っているほうです。


ただ、生まれ変わりがあるなら、生まれ変わった世界がより良くなっているように、今できることをしておかないといけないでしょう。


反対に、生まれ変わりがないのなら、一度しかない人生なのだから、今できることをして世の中の役に立っておくことが自分が生まれてきた証になります。


これを「地球に引っかきキズをのこす」ということばで、表現されている方もいらっしゃいますよね。


というわけで、いずれにしても今をきちんと生きなければいけないことに変わりないわけですから、大切なのは自分の目の前にあるものにしっかり取り組むことだと私は思っています。





しあせなさいごというのは、きっとその積み重ねの先に待っているものではないかなと感じています。





「新年早々に、自分が亡くなる話なんて縁起でもない」なんて感じられた方もいらっしゃるでしょう。


私も、年中そのようなことを考えているわけではありません。


でも、日頃はそのようなことを意識せず毎日を送っているからこそ、新しい年の門出に、自分がどのように生き、どのように亡くなっていきたいかということを考えるのも一興ではないでしょうか。


だれもが迎えるさいごの時を想像することで、今生きている意味や価値が、よりはっきりするのではないかと思います。





「この世に生きているのは果たすべき役割があるから」という話を、これまで何度か見聞きしてきました。


そうだとすれば、おたがいに役割を与えられ、こうして新しい年明けを共に迎えられたというのはとてもめでたいことです。


そのように思って、おたがいに笑顔で新年のあいさつしてみてはいかがでしょう。





それでは、私からみなさんへ。


「あけましておめでとうございます」