手技療法の寺子屋

手技療法の体系化を夢みる、くつぬぎ手技治療院院長のブログ

立派な枝ぶり

2009-04-11 20:00:00 | 治療についてのひとりごと
前回は身体の歪みについての記事でしたが、私があのような考えを持つに至ったのは、


「たとえ曲がっていても、枝ぶりが立派ならそれはよい盆栽だ」


という言葉を、整形外科医の松本不二生先生よりいただいてからです。


(松本先生は、私がお世話になった高野台松本クリニックの院長をされており、ASTRを共著させていただいた先生です。松本先生のご指導によって、私は臨床家として大きく成長することができました)







はじめて聴いたとき私は衝撃を受け、まさに眼からウロコでした


それまでは人間の身体は左右対称で、まっすぐ整っていなければいけないと思っていたからです


でも考えてみれば、顔にしても手足にしても完全に左右対称ということはありません。


それに、バランスが大切といっても動物にとって重要なバランスとは、静的に左右対称ということではなく、動的平衡が保たれているということであり、それが恒常性(ホメオスターシス)の維持であるというのは教科書にも書いてあることです。


筋骨格系にかんせば、きちんと曲がってきちんと反れるという動物としての運動機能の基本が発揮できるということが重要で、その上で力を抜いたときにまん中に来ていればそれに越したことがない、ということを表していると思います







では「立派な枝ぶり」とは何でしょうか?


私は折にふれてこの言葉を思い出し、立派な枝ぶりとはどういうことだろうと考えてきました。


それは、つまるところ「その人らしさ」ということではないかと思います


身体にはみんなそれぞれ個性があり、加えてこれまでの人生を通して身につけた、立ち方、歩き方、動かし方など生活スタイルが現れています。


大げさにいえば、その人の生きざまが現れているなどといえるかもしれません。


ですから、多少の曲がりやゆがみがあっても、その人らしく元気に生活できていれば健康であり「立派な枝ぶり」だといえます。


ちょうど、ポリオの後遺症や先天性股関節脱臼があっても、立派に子どもを育て上げられた前回のお二人のように。







これに対して、痛みなどの症状が出ている状態というのは、仕事や家庭などでの環境との間にムリが生じ、今のままのその人らしさでは、立ち行かなくなっているというサインです。


そのとき私たちは、機能障害への直接的なアプローチを行うと同時に、どうすれば再びその人らしさを発揮しつつ、生活に適応できるようになるのかを考える必要があります。


つまり庭師のような視点で、その木が環境と調和しつつ、枝ぶりが映えるように剪定するということになります


偏りによってムリのかかるところを示して自覚を促し、使い方の工夫やセルフケアによって、それをフォローする方法を覚えることなども大切になるでしょう。







単純に、身体はまっすぐかつ左右対称ならよいというのであれば、その人がどのような状況に置かれているのかということを考えなくて済みます。


でも、生物は環境を無視して存在することはできません。


環境との兼ね合いを考えない治療は、問題を生むケースも多いと思います


単純に症状をとるというだけではなく、何がその人らしい身体であり、どうすればその人の置かれている環境に適応できるようになるのかと考える


やや抽象的ではあり、決まった答えはないものですが、このように考えれば、私たちの仕事の幅もさらに広がるのではないでしょうか。







いやはや、もっともらしいことを書きましたが、これは自分自身に対して言い聞かせているようなものです

私自身もまだまだ至らず、目指す道のりは遠いですが、臨床においてはこのような姿勢でありたいと思います