手技療法の寺子屋

手技療法の体系化を夢みる、くつぬぎ手技治療院院長のブログ

困った勘違い

2017-05-10 06:59:02 | 治療についてのひとりごと
《FBより》

私は手技療法に興味を持って、もっぱらこればかりやってきて20年余りになります。

ところが時々ですが、私がテーピングなど他の方法を否定的にみていると勘違いしている同業の方がおられます。

そんなことはまったくはありませんし、お話しした覚えもありません。

「ソバが好き」イコール「パスタは嫌い」とはならないのと同じように、

「手技療法は良い」イコール「テーピングは悪い」とはならないでしょう。

身近な日常を例えにしたら当たり前のことですよね(^^)

むしろひとつのことに専念するほど、他の分野で情熱を注いでいる方に敬意を持つようになるものです。

とはいえ、誤解や曲解は世の常だから、私個人がどう思われても仕方ありません。

心配するのはそのような考えをしている方は、臨床でも安易な因果関係の結び付けや、こじつけをしている可能性があるのではないかということ。

「一事が万事」とも言いますから。

仮説が事実であるかのように説明したり、相関関係と因果関係がまぜこぜになっていたとしたら、それこそ大問題。

プロの妄想はクライアントに直接迷惑をかけます。

そうならいためには専門分野の勉強も大切ですが、日常の何気ない自分の考え方、言葉遣いや文章表現にこそ注意を払って、思い込みやこじつけを自覚するトレーニングしておくことが必要だと思います。

手間のかかることではありますが、修行は常住坐臥。

私も特に家族に対しては、ついつい甘くなってよくツッコまれるので気をつけますf(^^;

治る道のりも人それぞれ

2017-04-11 20:52:31 | 治療についてのひとりごと
ある時、腰椎椎間板ヘルニアの診断を受けた年配の女性が来院されました。

左脚の痛みが激しくて、身体を伸ばすことができず、ご主人につかまりながら。

家の中を歩く時も深々とおじぎをした状態で、あちこちつかみながらやっとの思いで歩く、という生活を既に3ヶ月以上続けていらしたそうです。

痛み止めやブロック注射をはじめ、いろいろな治療を試みたものの思わしくないため、病院で手術を勧められたとか。

でもなかなか決心がつかず、人伝えに治療院を紹介されてのご相談でした。

いただいたMRIのコピーからもヘルニアを認めるのですが、痛みはかなり激しいものの場所が移動し、しびれあっても触れられた感覚ははっきりしており、足の力も入ります。

そのため現時点での症状が、ヘルニアによるものか疑わしいと感じました。

横向きなら寝られるとのことで休んでいただいたのですが、左下肢を伸ばそうとすると筋の痙攣が強くなり、痛みのために伸びません。

ヘルニアに伴う炎症があったと仮定しても、この状態が3か月というのは長すぎます。

そこで、身体がリラックスするポジションを探して緊張が和らぐのを待つという、おだやかな方法を用いて少しずつ痙攣を和らげ、痛みが少なくなってから徐々に伸ばすようにしていきました。

胸や背中まわりも合わせて治療し、立っていただくと浅いおじぎ程度まで身体を起こせるようになられています。

テニスボールを用いたセルフケアをアドバイスし、私には珍しいのですが症状が激しいので数日以内の受診を勧め、4日後にみえることになりました。

2回目来院された際、腰はまた大きく曲がり、症状も元に戻ったようだと落胆されている様子でした。

しかし、ベッドの上で左脚を動かすと前回よりも伸びが良くなっており、腰や骨盤まわりの緊張感も和らいでいるようです。

私は手ごたえを感じました。

患者さんに変化を伝えて励まし、1週間後に3回目の治療を行いました。

徐々に腰を伸ばす角度は広がってきたのですが、しっかり伸ばそうとすると痛みが続くために患者さんの表情は冴えません。

「痛みはありますが、動かせる範囲が広がってきていますからこの調子で大丈夫ですよ」

いろいろ言葉を変えながらお話ししますが、悲しそうな笑顔を浮かべられます。

状態の変化をどのように受け止めるのかは個人差があります。

コップに水が半分もあると思うのか、半分しかないと思うのかというように。

この受け止め方を変えるのには、時間が必要となる場合も少なくありません。

4回目の治療の後に電話があり、やはり手術も検討してみようと思うので治療をいったん休むとのお話でした。

たいへん残念に思いましたが、もう一度私の考えをお伝えし、セルフケアは続けていただくようお話をするのが精一杯でした。

それから1ヶ月ほど過ぎたある日のお昼休み、カルテを書いているときにドアが開いたので顔を上げたら、その患者さんがいらっしゃいました。

それも満面の笑みを浮かべながら、背筋をまっすぐにした姿で。

突然だったので私は驚きながらあいさつをし、これまでの様子を伺いました。

最後の電話の後、ご夫婦で手術を検討されたのですが身近な周囲から反対され、やはり悩まれていた患者さん。

それでもテニスボールのケアをすると、痛みが紛れるような気がされていたそうです。

1週間ほどセルフケア続けていたあるとき、何だか急に痛みが抜け始めた感覚になり、そこから動ける徐々に動けるように。

2週間前までは、念のため杖をついていたそうですが、

「シャンとした姿を見せたくて、自分でケアを続けていたんですよ」だとのこと。

よかった、本当によかった(^^)

数日前にもう一度MRIを撮った時、症状は楽になっていても、ヘルニアの大きさは最初と変わっていなかったことに驚かれたそうです。

どうやら画像に映ったヘルニアが頭に焼き付いていて、治療院を受診されたときも、

「この治療でヘルニアが治るわけない」という思いも持たれていたみたい。

身体の変化をお話しても浮かない表情だった理由は、そのためだったのかもしれません。

もちろん、ヘルニアと症状がイコールではないとは何度もお話していたのですが、聞こえていても届いていなかったようです。

画像のインパクトは強烈です。

手術が必要になるケースもありますが、今回それを選ばれなかったことは結果的に幸いでした。

それからしばらく立ち話をしても痛がる様子もなく、元気な後ろ姿で帰って行かれました。

手技療法は農業でいうなら、畑を耕しているようなものだと思います。

かたい土だと芽が出ないので、手で「身体」という土を耕す。

運動やテニスボールでのセルフケアも、大まかには同じ性質のものでしょう。

芽を伸ばすためには、耕すことだけではなく、水や土の養分(食事)そして日光(休息)が必要で、時に農薬(薬)や枝の間引き(外科手術)が求められることもある。

今なら堆肥(サプリメント)もかな?

それによって、患者さん自身の持つ治癒力の芽が伸びていけば、回復可能なものは回復していく。

難しいのは、土を耕したからといって、すぐに芽が出るとは限らないということ。

慢性的であればあるほど、さるかに合戦のように「早く芽を出せ柿の種~♪」という訳にはいかないのですね。

そうなると、ひとつのアプローチがどれだけ効いているのが、はっきりしにくくなる。

今回のケースも手技療法がどれだけ役に立ったのか、本当のところはわかりません。

私が個人的に手ごたえを感じたとしても、たまたま治るべきタイミングだった、という指摘を受ける可能性もあるでしょう。

テニスボールも回復を助けたかもしれませんし、回復までの苦痛を和らげただけだという解釈もできるでしょう。

意味あるエピソードかもしれませんが、あくまでエピソードのひとつ。

ただ少なくとも、患者さんは途中から治療院を利用せず、セルフケアにより回復させた経験を通して、自分の健康を自分で保つということを学ばれたようです。

自信にあふれた笑顔がそれを物語っていました。

よい治り方をされました。

できれば、回復し始めた段階でも診ておきたかったというのは治療家としての人情ですが、それはあくまでこちら側の都合に過ぎません。

人の治り方はさまざま。

電車に乗るのも、立ってもいいから急行を使いたいという方もいれば、ゆっくり座って行きたいから各停でという方もいます。

これまで慢性の機能障害の方を多く拝見してきた経験では、「早く治りたい」とは誰もがおっしゃるのですが、行動を見るとそうではないという方も少なくありません。

その背景には身体的な理由だけではなく、心情的あるいは仕事や家庭などの社会的、経済的なことが理由になっていることもあるでしょう。

だから私たちは、患者さんがどのようにして回復していこうとされているのか、その道すじを理解しようしつつ見守る態度も必要になる。

そのようなことを改めて学んだエピソードでした。



急性期のアプローチとたとえ話

2017-02-19 08:09:43 | 治療についてのひとりごと
《Face bookより》

急性腰痛の患者さんがみえました。

安静時の痛みや、脚への痛みはないものの、

腰の曲げ伸ばしや左右へのひねりで、

いずれも背骨のまん中に痛みが出ていて、

咳をしても響きます。

腰に触れると表面から奥に熱を感じ、

おそらく関節部分への炎症を思わせる状態です。

炎症が起きている時は、その部分への刺激は基本的に禁忌。

でも状態によっては、まったく手出しができないわけではありません。

今回のケースなら、患部に負担をかけている周囲の状態を変えるようにしました。

殿部やわき腹、背中、首などにみられたコリをほぐし、

動きが悪くなった関節を動かせるようにします。

すると、起き上がる瞬間に少し痛みがあるものの、

曲げ伸ばしやひねりを加えても、さらに笑っても痛まなくなりました。

腰に触れると表面の熱感は少なくなっていますが、奥には残っているようです。

おそらく表面は充血により熱が出ており、循環が回復することによってそれが排出され、温度が下がったたのだろうと思います。

このように炎症と思われたのが、実は充血だったというケースは時々みられます。

起き上がりで体重がかかった瞬間に痛みが出たのは、残っていた関節周囲の炎症部位を刺激したためでしょう。

痛みがずいぶん楽になって、患者さんは不思議な顔をされ首を傾げています。

そこで私は説明しました。

「ズボンに穴が開いた時、そのズボンがピチピチだったら、動くたびに穴は引っ張られて大きくなりますが、

ユルユルならゆとりがあるので、穴は引っ張られないからそれ以上は大きくなりにくいでしょう。

身体も同じで、カチコチだったら少し動いても傷口にさわって痛みますが、

柔軟性があれば傷口にかかる負担が少なくなるので痛みも少なくなり、自然な経過で良くなりやすいですよ。

私の仕事はピチピチのズボンの生地を伸ばして、適度にユルユルにすることなんです。」

患者さんは納得されたようで、しきりにうなづいていました。

このように炎症だからといって、何もできないわけではありません。

それは椎間板ヘルニアや分離すべり症、脊柱管狭窄症という診断がついていても同じ。

患部にかかる負担を減らす工夫をすることによって、

苦痛を和らげ、より速やかな回復へ導くことが可能な場合があります。

とくに症状が長引くことにより、慢性化することを防ぐというのは大きな意味があると思います。

もちろん程度があって、激しい炎症ならすぐに改善するというのは難しいでしょう。

患部を冷やして安静を保ちながら、痛み止めで嵐が過ぎるのを待つという方法が望ましい場合もあります。

場合によっては手術が必要なケースだってあります。

ただ、自分たちにできること、私の場合なら手技療法で出来ることはないか考えること。

自分の守備範囲を確実に守りながら、その範囲を少しずつ広げていく努力をしていくことは大切だと思います。

ちなみに患者さんによっては動けるようになると、炎症が残っているのにドンドン動いて再発させてしまう方がいます。

そのようなタイプの方には、数日は大事に使うように念を押しておくか、

自覚を促すための手段として、同意の上であえて少し痛みを残しておくこともあります。

すべてがケースバイケースで、即興の対応が求められるところに臨床の面白さがあるのでしょうね。

医療者としての何気ない会話

2017-01-23 21:23:26 | 治療についてのひとりごと
手技での治療中に患者さんがおっしゃいました。

「ちょっと痛いですぅ(> _ <)」

念のためと思い、真顔で

「ちょっと痛いということは、言い換えたらほとんど痛くないということですね」

と確認したら、ギョッ!(|| ゜Д゜)とした顔をして全力否定され、一瞬時間が止まった後、一緒になって笑いました。

他愛のない話しですが、このような何気ない会話が、患者さんの日常的な感覚を取り戻す上で大切になることもあります。

人によっては初めて経験する症状に出会うと、それまでの日常から切り離されて非日常に放り出されたような感覚に陥り、不安になられる方がおられます。

そのような方に対して、治療行為と並行しながら冗談交じりの会話をする。

それによって症状に悩まされている現在の状態も、日常の延長上にあるものという感覚になり、冷静さを取り戻すきっかけになることがあるように感じています。

治療の導入をスムーズにしたり、モチベーションを維持する助けにもなっているかも。

もちろん相手の性格と状態を見た上での話ですが。

このようなことは、運動のトレーニングでも同じかもしれませんね。

ですから、保育士さんがふつうの子守りではなく、子どもの成長と発達を促しているように。

ヘルパーさんがふつうの家事手伝いではなく、利用者の自立を支援しているように。

医療者にもふつうの会話ではなく、安心を与えながら回復への方向付けを行っていく。

そんな意図を持った会話が、臨床では求められるのだろうと思います。

メソッドと触診

2017-01-03 21:09:45 | 治療についてのひとりごと
手技療法には、ABCメソッドやEFGコンセプト、なんとか式、かんとか流といったものがたくさんあります。


それらメソッドというのは、既製品のズボンのようなもの、とも例えることができると思います。

ズボンは同じデザインでも、いくつかサイズがあって、私たちそれぞれの身体の大きさに対応できるようになっています。


けれども既製のサイズが、そのままで売りものになるとは限りません。

私の場合は残念なことに、必ず裾の「お直し」が必要です。

でないと昔のお奉行のように、裾を引きずって歩かなければいけません


メソッドも同じように、いくつかのタイプやカテゴリーに分類され、それぞれにアプローチの方法が指定されています。

けれども指定された手順どおりにやっていれば、それでOKだとは限りません。

ズボンのお直しのように、その人にあった微調整が必要なこともあるでしょう。


メソッドは、身体を診る上での視点を提供してくれ、ある程度パターン化されることで思考の節約にもなる、とても便利なもの。

けれども、それを現場で使えるようになるためには、お直しの技術、微調整の技術を身につけておかなければいけないと思います。

手技療法の場合、微調整の正確さを左右するのは触診の力です。


そして、お直しの方法を覚えれば、いろいろなメーカーのズボンにも対応することができます。

同じように触診の力を上げておけば、その他のメソッドやコンセプトにも対応することができるはず。


ときどき、メソッドの手順さえ覚えれていればよいと思っている方がいるのですが、とんでもありません。

また、メソッドからメソッドへ放浪しているセラピストもいますが、それは触診の力が不十分なために、せっかくのメソッドを使いこなせていない可能性もあるのではないかと思います。


ですから、どのようなメソッドを使うにせよ、手技療法を用いる上で触診力はとても大切になります

シンプルな言葉をシンプルに受け止めない ~ 技術と言葉と生き方と

2016-11-23 21:39:55 | 治療についてのひとりごと
今回は、技術を身につけるということについてのお話し。


セミナーで手技療法の基本技術についてお話しするとき、私はできるだけ身近に経験しているシンプルな言葉を使うようにしています。

ポジショニングの基本なら「おじぎをして手がつく位置で操作をする」という感じで。

そのように表現したほうが、敷居が低くなって基本のイロハを身につけやすいと考えるからです。


難しい言葉を使うと、それだけで身構えてしまうか、反対に変にありがたみを持ってしまって、大事なポイントを外してしまう方がいる。

あるいは対象が限定されてしまう結果、かえって視野を狭めてしまう人もいるように感じています。


でも、シンプルに受け止め過ぎるのも困りもの。

表面的な字面だけを理解して、わかったつもり、できたつもりになっているケースも見受けられます。

敷居が低いからといって、奥行きがないとは限りません。


言葉は方向性を示す「矢印」や「道しるべ」のようなもの。

目的地を指している矢印は、目的地そのものではありません。


当たり前のことですね。

しかし矢印を見ただけで、あるいはその方向へ少し進んだだけで、目的地に着いた気がしている方もいるようです。

その姿を想像してみたら滑稽ではないでしょうか。


おじぎをしたら手がつく位置で操作をする。

たったこれだけのことを、さまざまな状況で意識しなくても操作ができるようになるためには、どれだけの練習と工夫が必要になるか。

あるいは、この操作から外れた方法を用いるべき状況、それをどう判断して使い分けていくのか。

身体に染み込ませていくプロセスは、決してシンプルなものではないでしょう。

20年以上やり続けても、まだ私は納得できないでいます。


とはいえ、手技療法だけできればよいという方ばかりではないので、ある程度マスターしたらひとまずOKということもあり。

むしろそちらの方が多数派でしょう。


ですから、自分の目的に応じて学ぶ程度を決めればよいのですが、それぞれの道にはまだ先があることは忘れないでいて欲しいと思います。

ある程度のレベルまで効率よく身につける方法もあるけれど、その先にじっくり取組む道もあるということを。

表面的なところだけで、すべてを理解したつもりにはならないように。


その一方で、重く受け止め過ぎてはいけない人もいます。

これはマジメな方にありがちかもしれません。

言葉そのものにとらわれてそれを本質とし、金科玉条のように扱うと、地に足が着かなくなって現実から離れていってしまいます。


「おじぎをしたら手がつく位置で操作する」は、自分にとって楽に操作するためのヒントになります。

けれどもこのヒントを、いつでも、どこでも、だれにでも当てはめるとしたら必ずムリが生じます。


目的地を示した矢印をありがたがってしがみついていても、目的地には着かないもの。

矢印で方向性を確認したら、そこから離れて目的地に向けて歩いていかなければいけません。


道の途中には、迂回しなければならない時だってあるでしょう。

同じように、一見すると基本から離れているように見える操作を行わなければならない時だってあります。


このように、基本技術を説明するための言葉は、頭で理解できれば終わり、ソコソコできれば用済みというものではなく、また崇め奉るものでもありません。

言葉は、技術を磨き続けるために活用する道具なのですから。


言葉を手がかりに自分の技術を省みて、試行錯誤をしながら精度を高めていく。

やがては考え方を身につけ、それが見方を広げて人間を作っていく。


すると言葉は、人間を成長させるための道具にもなっていきます。

これは何も名言・至言・金言の類だけではありません。


「おじぎをしたら手がつく位置で操作する」なら、身の丈に応じたことを確実に行っていくという生き方につながっていきます。

言葉を技術として表現し、さらに生き方として体現していくわけです。


言葉という道具を軽く、あるいは重く扱い過ぎることなく、バランスを保ちながら使いこなして、自分を磨くための糧にしていけたらいいですね。



狭窄症というけれど

2016-11-09 09:42:36 | 治療についてのひとりごと
医大図書館で文献を検索していたときのこと。

ふと「腰部脊柱管狭窄症による下肢痛が腰方形筋への介入によって著効した」

という、症例報告に目が留まりました。


似たような報告はよくあるけれど、よくよく考えたら、腰方形筋への介入によって症状が改善したのなら、そもそも腰部脊柱管狭窄症と言えたのか?

医師の診断や保険診療などの兼ね合いがあるから、業界的にそれはそれなのか。

でも、症状の原因と診断にズレがあったとしたら・・・

そしてこのズレが、いかがわしい健康情報が氾濫している原因のひとつとなっているのではないか。

いろいろ考えてしまいます。


先日も下肢のしびれで狭窄症の診断を受け、いろいろな方法を試したという方がいらしたのですが、イスに座っているとしびれでが出で、立ち上がると痛くて一歩目がなかなか出ないという訴えでした。

狭窄症のパターンではないし、しびれがあるという領域に、知覚の鈍麻もありません。

拝見すると身体のバランスの悪さのなかでも、小殿筋の緊張による影響が大きかったようで、幸い3回目にみえた時には症状は落ち着いていて、患者さんはとても喜ばれていました。


このようなケースに出会うと、何ともやりきれない気持ちになります。

もちろん患者さんが良くなったのは嬉しいのですが、社会的にはこのままでよいのでしょうか。

狭窄症を治した訳ではなく、言ってみたら腰のコリをほぐしただけなのに。


少なくとも、表面的な症状だけではなく、症状の出かたを詳しく問診することは心がけたいですね。

奇跡や魔法ではなく、治るものは治るべくして治る。

(もちろん難しいものは難しい)

という認識を世の中に持たせることができず、ただ巷にゴッドハンドが溢れているだけでは、私たちの業界はまだまだではないかと思います。

身体に合ったセルフケア

2016-10-19 09:04:59 | 治療についてのひとりごと
《Facebookの投稿より》

5年半前に腰痛の相談で一度だけ受診された方が、腰の痛みが治らないとのことで久しぶりにいらっしゃいました。

それにしても5年半もの間、腰痛は大丈夫だったのでしょうか?


「最初に教えてもらった、テニスボールでコリをほぐす体操。

あれを少し気になったときにやったら、すぐに良くなっていたんですよ。

でも今回はなかなか治らなくて(-_-;)」


お身体を拝見してみると悪い病気のサインはなく、問題となっていたところが前回とは違っていただけでした。

そこに手技療法を用いて痛みがなくなったことを確認し、新たなセルフケアをアドバイス。

きちんとケアをされる方だったので、その他にも黄色信号になっているところの方法もいくつかお伝えして終了。

「それではまた5年半後に」とお話すると笑って帰られました。


今回のように、その方に合ったセルフケアができれば、長期にわたって上手くコントロールできるケースもあります。

反対に合っていなければ、せっかくがんばっても効果を挙げることができず、もったいないことになるケースも。

また、刺激の加え方が合わなくても効果が現れにくくなります。


ある方は、ふくらはぎがツリやすいので、がんばってストレッチをしていましたが、なかなか効きませんでした。

その方にとっての正解は、押さえてほぐすことでした。


ある方は肩こりが楽になるように、筋肉を押さえてほぐしていましたが効きません。

この方には、ストレッチして伸ばすことが有効でした。


またある方は腰を反った時の痛みを和らげるため、腰を押さえたりストレッチをされていたのですが良くなりません。

この方は、皮膚をつまんで動かすことで、痛みなく反れるようになりました。


押さえたり、ストレッチした時は良くても、すぐに腰痛がぶり返してしまう方がいました。

この方には、信頼できるトレーナーさんを紹介して適切なトレーニングを行い、鍛えることで良くなりました。


ほぐしたり鍛えたりしても、使い方を変えないと良くならないこともあるのですが、これを意識することもセルフケアのひとつでしょう。

そして何もしないことが、いちばんのケアになる時だってある。

このようにセルフケアは、自分の現在の状態に合った方法を用いる必要があります。


時々、あの方法は良くてあの方法は良くないという話を聞くことがありますが、それはあくまでふさわしい時とそうでない時がある、という話し。

いつでもどこでも正しく、いつでもどこでも間違っている方法というのはありません。

悪かったとしたら使い方が間違っていたということです。


子どもの頃、コーヒーに塩を入れてしまい吹き出したことがあったのですが、だからといって塩が悪いわけではありません。

砂糖と入れ間違えた私が悪い。

セルフケアも同じこと。

料理に応じた調味料を使うように、その時の状態に応じたセルフケアが必要なのですね。

2000の人生と仕事の深み

2016-10-05 07:54:21 | 治療についてのひとりごと
《Facebookより》
先日、カルテの枚数が2000枚を越えました。

開業して11年で、2000人の方がご来院。


でもこれは、数だけを表しているのではありません。

ひとつの人生との出会いが、2000あったということです。


はるか昔から命のバトンを受け継ぎ、今に至る人の生「人生」が2000も。

そしてこの出会いによって、もしかしたら未来が変わるかもしれない。

そう考えたら、一人で細々続けている小さな治療院ですが、やっていることは決して小さなことではありません。

きっとそれは、どんな仕事でも同じことでしょう。


「仕事に深みがある」という言葉があるけれど、きっとそれは単に知識や技術が優れているというだけではなく、

紡がれてきた人生の重みを実感として持ちつつ内に秘め、

外見上はその重さを感じさせない、軽快で自然な振る舞いのなかに出てくるものではないか。

そのように感じています。


深みが出るまでの道は遠いけど、だからこそ生涯をかける価値があるのでしょう。

私の場合は、身体にあらわれた人生の足跡を、手を通して紐解いていくことが仕事。

日ごろは「コリをほぐします」って言っているだけですけどねf(^^;

この仕事を通して、自分自身の人生も深めていくことができたらと思っています。


情報のコーディネート

2016-09-23 21:45:44 | 治療についてのひとりごと
《Facebookより》

最近の患者さんは、病気や症状のことをとてもよく勉強されています。

ただ、情報がありすぎて混乱していることも少なくありません。

自分にとってどの情報が意味があり、必要なのかを知ることが大切なのに、たくさん取り込み過ぎてアップアップになっている方もおられます。

それはちょうどいろいろな服を重ね着し過ぎ、身動きが取れなくなっているような感じでしょうか。


そのような時私たちに求められるのは、患者さんの話を聞きながら、その方が情報をどのように受け止め解釈しているのかを理解すること。

必要な情報を選び、付け加えたり、まとめたり、言い換えたりすることで整理し、ひとつの物語を作ること。

こうして交通整理できていない混乱した状態から、スムーズな流れをつくっていきます。


大切なのは、正しい情報を提供するだけではなく、今どのように情報を解釈しているのかを把握し、そこからより適切な方向へ順序立てて案内していくことでしょう。

正しい情報も、患者さんの現在位置から離れていては、つながり響かせることは難しくなります。

サイズの合った、お似合いの服をコーディネートするように、情報をコーディネートしていく。


コーディネートはこーでねーと、っていう感じで。

・・・

自戒を込めて。