我が家の庭が、花や庭木でいっぱいです。日々移り変わるので、明日はどうなっているかなと思って寝床に入り、今朝は苔に水をかけようかと目覚めます。
人は、どこまで自分の言ったこと、考えたこと、行ったことに責任を持てるのかなと中学生のころから思っていました。
明治以降、内閣を首相をまるで極悪人のごとく非難し(論理的な批判でなく、理論の組み立てもなく、ましてや実行可能な対案を提示しないで)てばかりです。過去からの報道を調べて、切なくなります。
民主主義とは、議論して考えや進む道を構築しあうのではなく、集まればけなしあうことか、と思ってしまいます。少なくとも、昨今の国会と国会を取り巻く環境に、そう思われてなりません。とても危険です。
かつて、こんなときに異常な興奮状態になり、戦争を誘発した。独裁者が出現して、戦争の道を突き進んだ。国民が異常な興奮状態になると、現代社会でも取り返しのつかないことになると考えて、不安になります。
今の日本は、世界の中にあって、国際感覚・緊張ある外交・産業・政治・経済・文化・科学・技術は同列に視野に入れて、意識することは有権者の資質にかかわっていると思えてなりません。
ヒッグス粒子発見に、すごい時代になったことを感じて思いました。