この大災害だからこそ、広い分野の知識と経験が大切と実感しています。
私は、学生時代の卒論に宇宙からの宇宙線が原子核乾板中で反応した中間子の研究をしました。もう、ずいぶん以前です。それ以来、放射線には強い関心を持って調べたり、時には計測しています。今は出来ませんが、飛行機に乗った時は「はかるくん」を携帯して、計測したものです。
昭和30年頃からアメリカ・ソ連・フランス・イギリス・中国で地球上5か所で原子爆弾・水素爆弾の核実験が競争して行われました。北半球はもちろん、南半球でも行われたのです。核分裂放射性物質の爆発煙は大気圏に不均等に拡散し、ジェット気流、偏西風に乗って、いずれも日本列島上空に達しました。冬は東日本に北上して、夏は西日本に南下してあめ・雪の核に交じって地表に降り注ぎました。
私は高校教師になって、数年後の昭和40年代の春、中国で核実験した日の3日後に十勝に多めの雪が降りました。きれいに洗ったバケツに雪を入れてストーブに載せて溶かしました。何回か溶かして10リットルにして、ストーブで蒸発させました。三日後に時計皿に乾燥した残留物がたまりました。薄く茶色がかった黄色のものでした。性能の低いGM検知器で、計測しました。このGM検知器は、島津製で自然係数12cpm(検知物質を置かないときの空気や地球から宇宙から周囲からの放射線を検知する1分間のカウント)の物です。
自然計数が平均12cpmであるGM検知器に、雪を採取してから三日後の(つまり、核実験6日後の)計数は278cpmでした。最初に計測してからの半減期は10日後でした。世界の核実験の終わりころの計測でした。発表はしませんでした。この機器にしてそうでした。
私は、このことがあってから「原子力文化振興財団」や「放射線利用振興協会」のお世話で原子力研究所研修所や近畿大学教育用原子炉で研修を受ける機会がありました。何日にもわたる研修は実に熱心なものでありました。ある先生から誘いがあって、隣の理化学研究所(理研)のあの茶話会に出席する機会もありました。高校での物理の授業はとても現実的になりました。
40年前までの世界の核実験による降下物はいまだに減少しつつも降下しています。気象庁では各地で観測を続けていることでしょう。
これからの原子力発電には、基本の高校物理の素養のうえに核物理学、物性物理学、流体物理学、統計学、地質学、地理学、気象学、海洋学、社会心理学、システム工学、ボトムアップ・トップダウン組織経営学・運営学の素養が必要でしょう。日本では、現場が危機にある時は、そこにいる人達は必死になってことに当たるのです。司令塔は、世のため人のために働くスタッフに光を当てて全責任を果たすことを期待しています。
電力にかかわる経営者以下全員は、高校理科(物理・生物・化学・地学)教科書の素養が大切な筈ですね。私は、実感しています。必携書に理科年表を入れましょう。
文系・理系を区別しないシステムが大切であるとかねがね主張してきました。
小学3年の頃、親が買ってくれた子供雑誌に「ポニーの不思議玉」というマンがが連載してありました。これを読むのが楽しみでした。原子力に未来を感じた動機になりました。
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