大雪の空

46歳から始めて嵌ってしまった山歩きの記録と野球などの雑記帳。時々帰郷中の島暮らしの日常。

至仏山 1998年7月 

2010年05月14日 | 関東周辺
群馬の渋川に単身赴任中の山をアップしてみよう。
やった山は
至仏山 燧ケ岳 平ケ岳 苗場山 四阿山 日光白根山 巻機山 平標山 谷川岳 袈裟丸山
赤城山 裏妙義 武尊山 他 
そのうちの記録が残っている 至仏山 平ケ岳 日光白根山 谷川岳 袈裟丸山 位でよかろう。
他のは記録が無かったり大したことなかったので割愛。
どういうわけか97年は記録が全く残っていない。

ただ平標山では夜に大流星群が現れて楽しませてくれた(98.06.27)。
シシ座流星群とかいろいろとあったがこれほどの流星は見たことがない。
爆発して一瞬昼みたいに明るくなったり、北斗七星を東から西に横切る彗星状の物など
大小30ケほどの流星だったが、縦横無尽に飛び交ってまるで光のショーだった。
ネットで調べてみたところ「ポン・ウイネッケ流星群」の突発出現らしくて、あまり見た人が
いなかったらしい。超ラッキーだったわけだ。

1998年7月5日(日帰り)(I氏同行)
鳩待峠から至仏山周遊

7:20-8:50笠ケ岳分岐-11:00至仏山頂11:10-14:10山の鼻-15:00

前年の同じ日にM氏と登っていて2回目。よっぽど花を見たかったらしい。この頃は確か
ホソバヒナウスユキソウに熱を上げていたのだった。まあ小振りで結構いい花ではあるが。
最初は樹林帯だが途中から見晴らしがよくなった。燧ケ岳が姿が良くて最初の頃は至仏山
よりも好きだったのだが、いつの頃からか至仏の方が好きになってしまった。
この時はメチャクチャな登山客で道も山頂もごったがえしていた。特に新潟からのJR関係の
150人の大団体にはまいった。
誰かが花に名前を書いたテープを巻きつけていたため名前の同定ができたが、テープはちゃんと
外したんだろうか。多分このグループだろうがちょっと人数多すぎだろう。
そんなわけで山頂もほぼ素通りして途中で食事した。
しかし急下降で足に来るので下りには不向き。前年から山の鼻ルートが再開されたがまたすぐに
荒れてしまうんでないか。
尾瀬の場合はオーバーユースをどう抑えるかが重要だろうが、自治体は入山規制し辛かろうし、
なかなか無理だろうなあ。
さすがに花の山でお目当てのホソバヒナウスユキソウやハクサンフウロなど百花繚乱だった。

花の記録

ヒオウギアヤメ ミヤマキンポウゲ ハクサンチドリ オオバギボウシ ニッコウキスゲ
ニッコウキスゲ ゴゼンタチバナ ヨツバシオガメ タテヤマリンドウ タカネニガナ
オゼソウ ウサギギク イワイチョウ ダイモンジソウ ハクサンフウロ マイヅルソウ
ジョウシュウアズマギク ホソバヒナウスユキソウ タカネシュロソウ マルバシモツケ
タカネバラ アズマシャクナゲ イブキジャコウソウ ヒオウギアヤメ 他多数

燧ケ岳は前年に至仏から入り、下田代で幕営して登頂し大清水へ抜けた。
案外と厳しい登りで、見晴新道とは名ばかりの眺めのよくないルートだった。
水前寺清子の「365歩のマーチ」を口ずさみながら黙々と歩いたのを思い出す。
温泉小屋からのルートとの合流点から見晴らしも花も多くなった。
たしかトウヤクリンドウが目立っていたと思う。
双子峰の俎クラで食事をしてナデッ窪を尾瀬沼めがけて降りた。岩っぽくて涸れ沢状の道で
大好きなのだが同行の同僚達は難儀していた。
バス停のある大清水まで時間に追われて必死で歩いた。
百名山狂いで無い人なら至仏山だけ登り、尾瀬ヶ原やら尾瀬沼の散歩をした方がいいだろう。
まあしかしやっぱり燧ケ岳を残すのは山屋としたら許せないかな。

武尊山は剣ヶ峰の岩峰上の歩きがスリルあった。幅は結構あったが両サイドが切れ落ちて
おり、かつ高度感があるので結構ビビルかも。
山頂近くの道は泥田状で歩き辛かった。花はあんまり目立たなかった。




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