ブログ「安心院の里」

退職後は、国内・海外旅行、スポーツクラブ、家庭菜園、登山など自由気ままに我が人生謳歌中です!(健康で元気なうちに・・・)

【異次元の洞窟住居・セテニル】🇪🇸 アンダルシア地方を巡る夫婦旅(9日目)

2019年06月15日 16時48分00秒 | 海外旅行

2019年5月31日(金)🌞
⏺️【セテニル観光】
カディス県にある「セテニル・デ・ラス・ボデガス」です。

アンダルシア地方の白い村の多くが、防衛上、断崖などの高所に造られていますが、この町は川の水で浸食された岩の隙間に家を建てたり、洞窟を利用した住居が並ぶ特異な景観で知られています。村の人口およそ3,000人です。

▼アクセス🚌

ロンダからセテニルまで路線バスで往復しました。(片道約40分)
オリーブ畑が広がる静かな田園風景の中をバスは走ります。

▼セテニルの風景を特別なものにしているのが、グアダルポルシン川に浸食されてできた洞窟を利用した住居の数々です。

▼かつてこの地を流れていた川が長い年月をかけて地面を浸食して出来た崖、その過程で多くの洞窟が出来たため、人間が住み始めたことが町の始まりとのこと。

▼スペインがイスラムに征服されていた時代、キリスト教徒が何度もこの土地を奪回しようと試みたが、地形を有効に利用して守っていたため、大変困難だったと言い伝えがあります。

▼岩に押しつぶされてしまうのではないかと思うような家、落ちてこないか心配せずにはいられない岩、家々を飲み込むかのような岩、岩に上部をふさがれた道路・・・

▼他のヨーロッパの街と同じく、狭く細く入り組んだ道が通るが、街の中には。巨大な岩と崖が思わず目を引きます。

▼地震大国日本に住む我々には想像もつかない場所です。

▼外から見たら一見普通の家でも、岩をそのまま天井や壁として使っているのです。

▼建築中の方から快く家屋内を見せてもらいました。

▼これらの洞窟住居は歴史の遺産ではなく、今も村の人々が生活している現役の住宅で、人々の生活を支える商店やバルです。

▼セテニルを象徴する風景が、巨岩でできた自然のテラスの下にバルやレストランが並ぶクエバス・デル・ソル通り。露店が出たりして 大変賑やかです。

▼観光客の姿も、チラホラありますが、もともとここは地元の人々の憩いの場として愛されてきた村の中心です。

▼屋根のように建物の上に覆いかぶさる巨岩は圧巻の迫力で、こんな場所が日常の井戸端会議の舞台になってきたなんて驚かずにはいられません。

▼巨大な岩の下で、あるいは巨大な岩を眺めながら、お酒やタパスを楽しむのがセテニル流とか?

▼店内でも・・

▼川沿いのテラス席からは、クエバス・デル・ソル通りの巨岩のテラスが見渡せます。

▼小さな礼拝堂です。

▼広場全体が小高い丘の上に位置するカルメン広場からの眺めが最高です。

▼セテニルの白い町並みや12~13世紀に築かれたアラブ時代の塔などが建つ巨大な岩の要塞風景も楽しめます。

▼町の高台に建つ教会はシンプルです。

▼町の裏側にもクエバ住居は続いています。住居の上はオリーブ畑です。

▼イイ気持ちはしません!

巨大岩石の下での昼食体験です。

川沿いに白い家々が積み重なるようにして建ち、そばには巨岩がそびえるセテニルらしいダイナミックな絶景は言葉を失うほどの迫力です。現在セテニルに住む人々は、レンガで岩や崖を補強することで安全を保ちながら何食わぬ顔で平然と過ごしています。もし地震国の日本に存在すれば間違いなく住民に対して退去命令が出されていると思います。



【ジャカランタの花&パエリャ料理】🇪🇸アンダルシア地方を巡る夫婦旅

2019年06月15日 15時35分00秒 | 海外旅行
✡️🇪🇸アンダルシア地方に夏の訪れを告げるジャカランダの花です。日本では珍しい花ですが、アンダルシア地方な各観光地では、至るところで見ることができます。花は盛りを過ぎて終盤に差し掛かっていました。▼南米原産のこの木は、なんでも熱帯三大花樹のひとつに数えられているとか。▼桜のように葉の前に花が咲き、藤紫色のじゅうたんを作っています。▼ジャカランダの並木道は、桜並木に負けぬ美しさです。
✡️🇪🇸旅行での楽しみは、なんといっても現地での食事です。美食のスペインの国民的料理パエリア。アンダルシア地方の各地でパエリアの食べ比べをしてみました。個人的には、値段も高いがマラガで食べたパエリャが一番美味しいかった。(最初の写真)

【地中海の要衝・英国領ジブラルタル】🇪🇸 アンダルシア地方を巡る夫婦旅(10日目 )

2019年06月15日 14時30分00秒 | 海外旅行

2019年6月1日(土)🌞25℃


⏺️【ジブラルタル観光】
ヨーロッパとアフリカが最も接近するジブラルタル海峡。ヨーロッパ側はスペインだが、その中のジブラルタル半島だけは英国領だ。


その立地からさまざまな民族や国家が奪いあい、16世紀にはスペインの支配下に、18世紀からはイギリス領にいるが現在、EU離脱問題点でスペインとの覇権争いが激化している。

✡️朝食☕🍞

✡️アクセス🚆
ロンダからアルヘシラスへ。

電車の予定でロンダ駅に行ったらバス🚌運行になっていた。

駅員によるとバスと電車は交互運行されているとのこと。

(ロンダ(発)10:15(09:17)のバス1時間遅れ😭


▼アルヘシラスの町に入りました。

本来、この駅に到着する予定でした。ヨーロッパ最南端の駅であるアルヘシラス駅(スペイン鉄道終着駅)です!

✡️駅前にあるアルヘシラスのバスターミナル「サン・ベルナルド」です。

ここのロッカーに荷物を預け、イギリス領ジブラルタルへ日帰り観光です。

「La Linea(ラ・リネア)」行のバスは、普通の路線バスですので 各バス停に停車しながら走行、終点が「ラ・リネア」です。

目の前にジブラルタルのシンボルのロックが見えてます。スペインは現在も返還を求めているらしい?

 

▼入国審査場です。

入ると右にはゲート、左には窓口、その手前に警察官が。

左へ誘導され、そのまま素通りでした。

▼ジブラルタル空港に通じる滑走路の真ん中を「ウィンストン・チャーチル・アヴェニュー」という道路が横断しており、両国をつなぐ主要道路になっています。

遮断機が設置され、飛行機の発着がないときは車やバイクはもちろん、歩いて渡ることも可能です。

▼城壁のトンネルを抜けると、街の中心の広場「ケースメイツスクエア」です。

昔はイギリス軍の訓練場として使われるなど軍事施設としても利用されていたが、今は憩いの場になっています。

▼この広場で軽食です。

▼広場の一角に下を向いた大砲のモニュメント。

「ザ・ロック」に設置されていたものです。

▼「メイン・ストリート」は、大勢の人々でにぎわっています。

観光客を対象にした多くの貴金属店やブランドショップが並びます。

付加価値税がないというのが、買い物客にとって最大のメリットなのだそう。

▼この半島はイギリス領ですのでポストまで違います。(赤色イギリス:黄色スペイン)

▼イギリスらしいお土産さん

▼中心街から「ザ・ロック」の9合目付近まで、ケーブルカーが運行しています。

所要6分でターリク山へ。

▼この『ターリクの山』は、別名を『ヘルクレスの柱』と言います。

ギリシア神話の英雄ヘルクレスが、世界の西の果てに立てたという柱が、この岩山のことであろうと伝えられているのです。

✡️野生猿の生息地になっています。

北アフリカが原産で、バーバリー猿という種類です。ジブラルタルには長い侵略と奪還の歴史があり、この猿がいなくなるとイギリス領でなくなるという言い伝えがあるほど・・イギリスのチャーチル首相が猿を増やせと命令した有名な話も残っているとか。

▼野生の猿は観光客のアイドル、観光客の荷物にいたずらすることもあるようです。

▼見下ろすジブラルタルの中心街です。

港や飛行場も繁華街も全部見下ろせます。

豪華な大型クルーズ船が入港して来ます。

▼ジブラルタル海峡が一望できます。

イベリア半島が足元に横たわり、大西洋と地中海を隣同士に見ることができます。

▼最も狭い場所は幅15kmほど。

地中海と大西洋、ヨーロッパとアフリカを結ぶ海上交通の要衝です。

✡️【復路】アルヘシラス(18:00)〜タリファ(18:45)


▼🚌アルヘシラスに戻ります。

▼🚌アルヘシラスでバス乗り換え、タリファへ。

✡️🏨宿泊ホテルはタリファの「Hostal El Asturiano」、連泊です。翌日対岸のモロッコに行くために利用しました。


▼タリファのメイン道路を歩いてホテルへ。風が強く、歩くのも大変です。

▼タリファの宿泊ホテルです。







【アフリカの玄関町・タンジュ】🇪🇸 アンダルシア地方を巡る夫婦旅(11日目)NO 1

2019年06月15日 12時25分00秒 | 海外旅行
2019年6月2日(日)⛅
⏺️【タンジュ観光】
ヨーロッパ・スペインからフェリーで「覇権争いの海」ジブラルタル海峡を渡り、アフリカ大陸・モロッコに日帰り観光です。タリファはモロッコへの玄関口。距離はわずか約15km、モロッコのタンジェまでフェリーで1時間で行くことができます。(モロッコ旅行は2回目)✡️これだけです!ホテルの朝食☕🍞✡️ホテルから徒歩でタンジェ港へ。▼フェリーは強風で3日前から欠航していたとのこと。桟橋は乗船する客で大混乱です。▼キャンセル待ちで乗船出来ない?💦💦辛うじて乗船することが出来ました。良かった!▼モロッコ側の入国手続きは船内でやります。ここでも大行列です。入国カードを書いて、並んで、パスポートと一緒に提出。▼航行中のジブジタル海峡は天気晴朗なれど波高し。▼フェリーから見たアフリカ大陸(モロッコ)です。✡️モロッコ・タンジェ旧市街観光です!タンジェは、ヨーロッパとアフリカの交流の中継地となっており、さまざまな民族が入り混じっている町です。スペインの植民地であったため、その影響を残す白い建物が続く町並みが印象的です。ヨーロッパ的な町並みと混沌としたアラブ的な雰囲気をあわせ持ってます。▼タンジェの街は、新市街と旧市街エリアがあります。新市街は近代ビルが立ち並び近代的な都市となりつつありますが、旧市街であるメディナは、昔の中世的な雰囲気をいまだしっかり残しています。✡️メディナの北端に位置する城塞地区がカスバです。▼メディナの中でも一番高い所、海がきれいに見晴らせるビュースポットでもあります。✡️グラン・ソッコ広場
メディナ入り口、グラン・ソッコ広場です。▼ここは新市街と旧市街をつなぐポイントでもあります。▼広場にはいろいろなお店が出ているため人も多くタンジェで最も混雑する場所です。✡️グラン・モスク
メディナのランドマークが白い外壁と緑の装飾タイルが美しいグラン・モスクです。非イスラム教徒が入ることはできません。✡️スーク(市場)
メディナの東側を中心に、庶民の活気あふれる昔ながらのスーク(市場)が広がります。▼お店のスタイルも、常設店舗から即席の露店までさまざま。▼独特の空気から芸術家たちを惹きつけてきた町だけあって、ストリートアートが点在するタンジェのメディナには絵になる風景がいっぱい。▼モロッコらしい古びたオート三輪車▼白と青で統一された、ひっそりとした路地に足を踏み入れると、時間が止まったような感覚にとらわれるかもしれません。イスラム教徒のラマダン期間中でレストランは閉店、タンジェを離れて再びフェリーでスペイン・タリファ港に戻ります。





            

【イベリア半島最南端の町・タリファ】🇪🇸 アンダルシア地方を巡る夫婦旅(11日目)NO 2

2019年06月15日 10時23分00秒 | 海外旅行
2019年6月2日(日)⛅
⏺️【タリファ街歩き〝🚶‍♂️🚶‍♀️〟】
モロッコ・タンジュへの日帰り観光を終え、タリファに戻り、バスターミナルで明日のバス乗車券を購入後、街歩きに出掛けた。
▼バスターミナル✡️ヘレス門
300メートル程の旧市街には、北側にあるアラブ風のヘレス門から入っていく。宿泊ホテルから約20mの位置にあります。▼タリファの旧市街地に入ると、アンダルシアの白い村に来たのかなと思うような白い家々が並びます。13世紀と比較的早い時期にキリスト勢力に奪還された町ではあるが、町の構造や建物の作りは典型的なアラブ風だ。▼面白いT シャツ発見!✡️サン・マテオ教会(Iglesia de San Mateo)がタリファで一番大きい教会です。サン・マテオ教会内部は重厚なゴシック調の造りでした。
▼内部にはルネサンス様式なのかなと思う礼拝堂もありました。薄紫とピンク色の装飾で、天井も美しい色でした。✡️タリファのグスマン城は、イベリア半島最南端の城としてかなり重要な役割を担ったようです。別名タリファ城とも呼ばれています。▼海岸近くに建つ見張り塔✡️地中海と大西洋の境界に立つ!
タリファ旧市街から徒歩で10分ほどです。島は一本の堤防道路で陸とつながっています。道路の西には大西洋・東には地中海が拡がっています。島内に軍事施設のがあるため、島そのものにははいれませんが、道路からでも十分に美しい景観を眺めることができます
入島できないのでこの桟橋が事実上の普通の人が行けるタリファの先端です。陸続きでいける正真正銘のヨーロッパ大陸最南端に立つことができた!感無量である。
✡️2つの海の違い
▼「右側」穏やかな波が押し寄せる大西洋▼「左側」激しい波が押し寄る地中海▼さらにタリファはウィンドサーフィンのメッカだ。波静かな大西洋側では風、海流、そして手付かずの青い海と白い砂が、サーファーを虜にしている。✡️夕食🌃🍴は旧市街でガリシア風のタコ料理(祭りだこ)です!ゆでて、切って、パプリカと塩とオリーブオイルをかけるだけ。木皿に盛った温かなタパスです。ビールのツマミに最高😃⤴️⤴️


【州都・セビーリャ街歩きNo 1】🇪🇸 アンダルシア地方を巡る夫婦旅(12日目)

2019年06月15日 08時29分00秒 | 海外旅行
2019年6月3日(月)⛅
⏺️【セビーリャ観光】
アンダルシア州の州都であるセヴィーリャには、スペインで最大、世界でも3番目に大きいといわれるカテドラルがそびえ立ちます。 またフラメンコの本場としても知られており、情熱的で陽気な空気が漂っていました。✡️このホテルの朝食は、パン、ジュース、コーヒーのみです。私達が二階部屋から階下に降りてから、カウンターのソファーで寝ている従業員が起き上がり、ねぼけまなこで作るのです。
✡️アクセス🚌(約3時間)
「タリファ08:30」~「セビーリャ12:00」▼沿道周辺では風力発電のタービン群と黄色一色に広がるヒマワリ畑が続きます。(バス車窓から)▼セビーリャのバスターミナルに到着しました。✡️🏨宿泊ホテル「Hotel Doña Lina(2☆)」4連泊
かつてのユダヤ人居住区、迷路の中を探すのに一苦労です。アルカサルと大聖堂に近くロケーションはよい。⏺️ホテルに荷物を預け、早速セビーリャの街歩きです。アンダルシア地方の街は、夏がとても暑い。昼間の観光は暑さでフラフラ💫😵🌀になる。日本のように湿度がなく乾燥しているので、日陰に入れば涼しいです。✡️セビーリャ大聖堂 
15世紀から約120年もの年月をかけて建設され、世界三大大聖堂に数えられる世界遺産です。奥行116m、幅76mもある巨大な大聖堂です。▼入口は、トリウンフォ広場のある南側、ゴシク様式のサン・クリストバル門のそばにあります。▼巨大なカテドラル内部▼すぐにコロンブスの墓があります。棺を担いでいるのは、当時スペインを構成していた王国の4人の王です。▼前列右側の王は、十字架の付いた槍でザクロを刺しています。ザクロはスペイン語でグラナダのことを指し、キリスト勢力がレコンキスタによってグラナダからイスラム勢力を追いやったことを意味しているそうです。▼聖杯の礼拝堂には、宗教画と聖杯のコレクションが展示されています。礼拝堂に入ってすぐ右手には、立派な主祭壇があります。▼このカテドラルのために描かれた祭壇画、ゴヤ作「聖フスタと聖ルフィーナ(聖ユスタと聖ルフィナ)」です。天からの光を浴びる聖人2人と、足を舐めるライオン、壊れた女神像が描かれています。▼銀の祭壇または聖なる年の祭壇▼参事会議室です。▼アルフェの聖体顕示台です。▼バラ窓▼天窓から光が差し込む設計になっており、天井に施された装飾が際立って見えます。▼その他✡️オレンジの中庭はイスラムのモスク時代からあった空間で、その名の通りオレンジの木がたくさん植えられています。▼中庭からは大聖堂とヒラルダの塔を間近で見ることができます。✡️ヒラルダの塔
大聖堂の隣に建つ高さ約94mのヒラルダの塔は、街のシンボルともいえる存在です。イスラム時代のミナレットを土台にし、キリスト教の鐘楼を継ぎ足して造られました。土台部分は二連アーチ窓やアラベスク模様が施されているので、思いっきりイスラム様式になっています。現在修復中につき登ることができません。▼ライトアップされたヒラルダ塔
✡️セビーリャの路地裏バルへ
スペインの食文化を支えているのがBAR(バル)です。日本の立ち飲み居酒屋のような場所です。

【州都・セビーリャ街歩きNo 2】🇪🇸 アンダルシア地方を巡る夫婦旅(12日目)

2019年06月15日 08時00分00秒 | 海外旅行
✡️アルカサル宮殿
イスラムとキリスト教の建築様式が融合したムデハル様式で建てられた宮殿です。▼ペドロ王が変わる度に増築を重ね、宮殿内部は複雑で迷路のような壮麗なイスラム風の宮殿です。
[user_image 59/e2/2930ac69dfedc9fc20bf4f80933194ec.jpg]▼暑く乾いた気候のセビーリャでは、噴水のある池は贅沢品の一つ▼乙女のパティオ等▼ペドロ1世宮殿・・▼幾何学的&植物的、 アラベスク模様・・▼庭園には世界中の植物が植えられており、一度の滞在で四季を味わうことができます。▼アルカサルから見たセビーリャのカテドラルとヒラルダの塔✡️ヌエバ広場
セビージャ市庁舎の前に広がる広場。トラムの起点駅にもなっており、セビージャの中心部になる場所です。✡️黄金の塔
グアダルキビール川沿いに建つ12角形の塔です。街の防衛のため、1220年に建てられた堅牢な建物です。▼現在は海運で栄えた歴史を伝える海洋博館として利用されており、塔の上からはセビリアの街が一望できます。▼塔のすぐそばからは、グアダルキビール川をクルーズする船が発着しています。✡️旧タバコ工場(現セビリア大学)です。✡️旧タバコ工場前の大通りを挟んで反対側の一帯は、ムリーリョ公園になっています。公園内には、探検家コロンブスの記念碑が立っています。二本の柱の真ん中には船、頂上はライオンが付いています。✡️サンタ・クルス街
ユダヤ人の居住区、15世紀以降は、多くの芸術家や貴族階級の人たちが住みついたという サンタ・クルス街です。石畳の小道で細い道が多くあり、迷路のよう。車はもちろん自転車も通れない、人が一人しか通れないような狭い道もあります。▼道が入り組んでいてわかりにくいのもサンタクルス街の特徴で、自分がどこにいるかわからなくなってしまうことも。▼家の敷地内には、美しいパティオ(中庭)があり、通りから覗き込むことができます。✡️グアダルキビル川と通称トリアナ橋は、観光スポットとしても人気がありますが、セビリアの人々にも愛されている憩いの場所です。














【州都・セビーリャ街歩きNo3】🇪🇸 アンダルシア地方を巡る夫婦旅(12日目)

2019年06月15日 07時06分00秒 | 海外旅行
✡️スペイン広場
色とりどりの陶器で装飾された美しい広場です。博覧会の会場として造られた施設で、現在はアンダルシア州政府のオフィスとして利用されています。広場も建物も、写真に収まりきらないほど巨大です。映画「スターウォーズ エピソード2 クローンの攻撃」や「アラビアのロレンス」のロケ地となった場所です。▼中央の建物から半円形の回廊が、左右にずらーっと延びている姿は圧巻の光景!▼回廊の外側には、色鮮やかなスペイン48県のタイル画が描かれています。訪れた県をメインにアップしてみました。▼建物の前にある水路も半円形になっており、水路には4本の橋が架かっています。橋の欄干は色とりどりの陶器装飾がアクセントになっています。▼中央建物&広場中央にある噴水場、勢い良く水が噴き出していて素晴らしい景観を造り出しています。▼建物中央踊り場では路上フラメンコショーが行われていました。✡️夜のセビーリャ旧市街(カテドラル周辺)を散策して見た風景です。


【白い街・カルモナ】🇪🇸 アンダルシア地方を巡る夫婦旅(13日目)

2019年06月15日 06時09分00秒 | 海外旅行
2019年6月4日(水)⛅
✡️カルモナ観光
カルモナは、セビーリャから路線バスで東へ50分、アンダルシアの大地がなだらかに波打つ平原のただ中に築かれた城塞都市。一部に城壁を残す旧市街は、迷路のような路地が続き、白漆喰で塗られた家々が作る風景でも知られた観光地です。▼朝食は、近くのホテル契約レストランで▼アクセス
セビーリャから路線バスで日帰り観光。サン・ベルナルド駅近くのバス停から、M124のバスに乗って約50分。ひまわり畑は、バスの車窓から鑑賞です。✡️小高い丘の上に広がるカルモナは、カルタゴ、ローマ、アラブなど、数々の民族に支配され、軍事上の要所として栄えてきた古い町。その歴史を伝える建造物が今も残されています。
▼セビーリャからのバスを降りると、まず見えてくるのがサン・ペドロ教会。セビーリャのヒラルダの塔を真似て造られたイスラム風の塔が聳える教会です。▼門前の道路風景です。▼旧市街の入口となっているセビーリャ門。▼セビーリァ門の上に建てられた宮殿は要塞としても使用されました。中を見学することができ、町全体を見渡すことができます。▼屋上で幼稚園児の校外学習風景が見られました。✡️サンタ・マリア修道院教会とサルバドール教会のコウノトリを見つけました。
▼サンタ・マリア教会鐘塔の営巣で子育てするコウノト▼サンタ・マリア教会の傍にあるデスカルサス修道院の上でもコウノトリが子育てをしていました。✡️石畳の道、白壁の家並み…。美しきカルモナ旧市街
カルモナの旧市街へ足を踏み入れれば、その清潔感溢れる町並みと石畳の道に沿って白壁の家々が並ぶ、アンダルシアらしい美しい町並みが広がっているのです!▼白壁の家並みと迷路のように入り組んだ路地、穏やかに暮らす町の人々、このカルモナで味わうことができるのは、そんなアンダルシアの素朴な日常です。▼市場は午前中のため一部のお店しか開いていません。▼サン・フェルナンド広場
では、お年寄りの世間話風景が見られました。✡️歴史ある宮殿を改装したパラドール・デ・カルモナです。▼アラブの古い城塞を、14世紀にペドロ1世が宮殿に改装した建物で、現在はパラドールとして宿泊することができます。▼グラナダ侵攻の際にはフェルナンド王とイサベル女王が滞在し、天正遣欧少年使節や支倉常長率いる慶長遣欧使節も訪れた、歴史ある宮殿です。▼テラスから望む大平原のパノラマ!果てしなく広がる緑や茶色の平原、そこを突き抜けて走る1本の道、ひまわり畑やオリーブ畑、地平線を形作る遠くの山々。✡️昼食はカルモナのレストランにて

【侍の末裔が住む町・コリア】🇪🇸アンダルシア地方を巡る夫婦旅(14日目)

2019年06月14日 16時37分00秒 | 海外旅行
2019年6月5日(木)⛅
⏺️【コリア・デル・リオ観光】
400年前の江戸時代初期、伊達政宗の家臣、支倉常長が「慶長遣欧使節団」を率いて、この街に上陸した。現在、この街には約3万人が住んでいるが「ハポン」姓を持つ人が約700人も暮らしているという。この人たちは帰国しないでこの街に残った使節団メンバーの子孫という。ハポンとは、スペイン語で「日本」という意味。仙台藩とスペインとの貿易交渉のためサン・ファン・バウティスタ号で大海原を横断、スペイン国王とローマ法王に謁見を果たしましたが結果的に交渉はまとまらず、失意の帰国となった。✡️朝食はホテル契約レストランにて✡️🚌アクセス
セビーリャから日帰り観光です。
セビーリャバスターミナルの142番から09:40(発)コリア・デル・リオ行きに乗り、終点で下車。⏺️街歩き〝🚶‍♂️🚶‍♀️〟
実際に町に着くと、私達夫婦の他に観光客はいなく、ごく普通の小さな田舎町という感じでした。▼街を散策しているとカタカナや日本語で書かれた看板や店を何軒か目にしました。▼白い家並の町、コリア町の中心にあるサンフアン通り。道路では、祭りを広報する宣伝車(リヤカー)に日の丸が掲げられています。▼市庁舎(観光事務所)
なんと日の丸が掲げられている。スペイン広しといえども市庁舎に日の丸が掲げられているのはこの町だけ。▼市庁舎の一階には日本語で観光案内所の看板もあった。
✡️階段の上に建つ小さな教会「サン ファン バウチスタ僧院」です。支倉常長一行は、この教会に滞在したという。▼教会から見渡すリオ市街地です。▼教会の隣にある学校の門の施錠を開け、先生が私達を校内にお招き入れてくれた。この先生も日本人子孫、名前は「ハポンさん」という。校内のグアダルキビル川がよく見渡せるスポットに案内していただく。慶長遣欧使節団は、この川に2ヶ月程停泊したという。
▼この町を訪れる日本人を暖かく歓迎してくれるのです。私たちには日本人の血が流れているのだという、限りなく純粋な親しみを込めて。✡️カルロス・デ・メサ公園のグアダルキビル川の波止場を望む位置には仙台市がコリア・デル・リオに寄贈した支倉常長像が立てられています。▼400年前に慶長使節が到着した川岸、日本との交流のシンボル、支倉像は川面を見つめています。▼コリア・デル・リオには2013年に慶長遣欧使節400周年を記念して、日本の皇太子(現天皇陛下)も訪れています。 ▼アダルキビル川では今でも昔ながらの漁法で魚を捕る古い舟が浮かんでいた。▼カルロス・デ・メサ公園のレストランにて昼食🍴🍝⏺️「祝祭の町コリア」🎠
訪問した日は幸運にも巡礼地ロシオ村を目指す伝統のロシオ信徒会のお祭り日と重なり、町を揚げての祭りの前夜祭?を見学することができラッキーでした。▼アダルキビル川対岸から船で祭り参加車がコリアの街に運搬されています。公園近くの駐車場に集結したお祭り参加車▼町はお祭りムード一色です。▼星の聖母エストレージャ教会前でのお祭りセレモニー・・▼おとなしいビックな牛です。この教会に所蔵する古文書の中には日本人の子孫と思われる「カタリーナ ハポン」という名が記された17世紀後半の洗礼台帳が保存されており、慶長使節の足跡を今に伝えています。
▼アンダルシア各県からロシオ村巡礼地をめざす20の信徒団がグアダルキビール河岸のカルロス・デ・メサ公園付近に集まり、その後、牛車・騎馬・参加者のパレードが町を練り歩きます。お祭りの影響で帰りのバス停は移動していた。貼り紙で知らせればよいのに…待ちぼうけ(;_;)/~~~地元の方に案内されて、何とか移動バス停までたどり着き、無事にセビーリャまで戻ってきました。