ブログ「安心院の里」

退職後は、国内・海外旅行、スポーツクラブ、家庭菜園、登山など自由気ままに我が人生謳歌中です!(健康で元気なうちに・・・)

【侍の末裔が住む町・コリア】🇪🇸アンダルシア地方を巡る夫婦旅(14日目)

2019年06月14日 16時37分00秒 | 海外旅行
2019年6月5日(木)⛅
⏺️【コリア・デル・リオ観光】
400年前の江戸時代初期、伊達政宗の家臣、支倉常長が「慶長遣欧使節団」を率いて、この街に上陸した。現在、この街には約3万人が住んでいるが「ハポン」姓を持つ人が約700人も暮らしているという。この人たちは帰国しないでこの街に残った使節団メンバーの子孫という。ハポンとは、スペイン語で「日本」という意味。仙台藩とスペインとの貿易交渉のためサン・ファン・バウティスタ号で大海原を横断、スペイン国王とローマ法王に謁見を果たしましたが結果的に交渉はまとまらず、失意の帰国となった。✡️朝食はホテル契約レストランにて✡️🚌アクセス
セビーリャから日帰り観光です。
セビーリャバスターミナルの142番から09:40(発)コリア・デル・リオ行きに乗り、終点で下車。⏺️街歩き〝🚶‍♂️🚶‍♀️〟
実際に町に着くと、私達夫婦の他に観光客はいなく、ごく普通の小さな田舎町という感じでした。▼街を散策しているとカタカナや日本語で書かれた看板や店を何軒か目にしました。▼白い家並の町、コリア町の中心にあるサンフアン通り。道路では、祭りを広報する宣伝車(リヤカー)に日の丸が掲げられています。▼市庁舎(観光事務所)
なんと日の丸が掲げられている。スペイン広しといえども市庁舎に日の丸が掲げられているのはこの町だけ。▼市庁舎の一階には日本語で観光案内所の看板もあった。
✡️階段の上に建つ小さな教会「サン ファン バウチスタ僧院」です。支倉常長一行は、この教会に滞在したという。▼教会から見渡すリオ市街地です。▼教会の隣にある学校の門の施錠を開け、先生が私達を校内にお招き入れてくれた。この先生も日本人子孫、名前は「ハポンさん」という。校内のグアダルキビル川がよく見渡せるスポットに案内していただく。慶長遣欧使節団は、この川に2ヶ月程停泊したという。
▼この町を訪れる日本人を暖かく歓迎してくれるのです。私たちには日本人の血が流れているのだという、限りなく純粋な親しみを込めて。✡️カルロス・デ・メサ公園のグアダルキビル川の波止場を望む位置には仙台市がコリア・デル・リオに寄贈した支倉常長像が立てられています。▼400年前に慶長使節が到着した川岸、日本との交流のシンボル、支倉像は川面を見つめています。▼コリア・デル・リオには2013年に慶長遣欧使節400周年を記念して、日本の皇太子(現天皇陛下)も訪れています。 ▼アダルキビル川では今でも昔ながらの漁法で魚を捕る古い舟が浮かんでいた。▼カルロス・デ・メサ公園のレストランにて昼食🍴🍝⏺️「祝祭の町コリア」🎠
訪問した日は幸運にも巡礼地ロシオ村を目指す伝統のロシオ信徒会のお祭り日と重なり、町を揚げての祭りの前夜祭?を見学することができラッキーでした。▼アダルキビル川対岸から船で祭り参加車がコリアの街に運搬されています。公園近くの駐車場に集結したお祭り参加車▼町はお祭りムード一色です。▼星の聖母エストレージャ教会前でのお祭りセレモニー・・▼おとなしいビックな牛です。この教会に所蔵する古文書の中には日本人の子孫と思われる「カタリーナ ハポン」という名が記された17世紀後半の洗礼台帳が保存されており、慶長使節の足跡を今に伝えています。
▼アンダルシア各県からロシオ村巡礼地をめざす20の信徒団がグアダルキビール河岸のカルロス・デ・メサ公園付近に集まり、その後、牛車・騎馬・参加者のパレードが町を練り歩きます。お祭りの影響で帰りのバス停は移動していた。貼り紙で知らせればよいのに…待ちぼうけ(;_;)/~~~地元の方に案内されて、何とか移動バス停までたどり着き、無事にセビーリャまで戻ってきました。



【花の都・コルドバ】 🇪🇸 アンダルシア地方を巡る夫婦旅(15日目)No 1

2019年06月14日 13時12分00秒 | 海外旅行
2019年6月6日(木)🌞
⏺️【コルドバ旧市街観光】
古代ローマ時代からアンダルシア地方の中心都市として栄え、8世紀にイベリア半島がイスラム勢力の支配下に入ると、その首都となり、繁栄を極めました。街を流れるグアダルキビール川には2000年の歴史を誇るローマ橋が架かり、世界遺産に登録された歴史地区では、大モスク・メスキータがイスラム文化の隆盛を物語っています。✡️朝食☕🍞
ビュッフェ式朝食✡️アクセス
🚆日帰り観光です。高速列車Avantでサンタフスタ駅~ コルドバ中央駅まで往復。(片道45分程)
▼サンタフスタ駅▼コルドバ中央駅 ✡️【旧市街の街歩き】
駅前からディエゴ デ リバス公園内の通路を通ってコルドバ旧市街地区を目指します。✡️【ユダヤ人街】
ユダヤ人街は、まるで迷路のように路地が入り組んでいます。▼石畳の両側には白い漆喰の壁の家々が並び、白い壁と青い空、そして白壁を飾るプランターに活けられた花の色が、6月にはもう強い日差しに、鮮やかなコントラストを描きます。 ▼アラブっぽいお土産屋さんがいっぱい ...▼ティベリアデス広場にある「マイモニデス像」です。12世紀のコルドバで活躍したユダヤ人で医学、天文学、哲学、神学で才能を発揮した偉人だそうです。✡️「花の小路 」です。「メスキータ」から「ユダヤ人街」に入るCalleja de las Flores Alley通りが通称「花の小路」と呼ばれています。▼小路を抜けると小さな広場があり、噴水がある花の広場(フローラ広場)です。花の都と言われるだけあり、街中はどこを歩いても美しく飾られています。花の飾り方は通りによって様々な個性があり、あちらこちら歩いてみるのが楽しい観光となりました。
✡️【プエンテ門】コルドバの町を囲んでいたアラブ城壁の一部で、 城塞都市の入口として使われていた門です。スペイン語で「プエンテ」は橋の意味だそうです。✡️【ローマ橋】
二つの観光スポットをつなぐローマ場と呼ばれるこの巨大な橋は、完成して数千年間も経ってもなお現役で使われ続けています。
▼橋の対岸にはそれぞれメスキータとカラオーラの塔があり、どちらとも橋の上からはっきりと眺めることができます。▼重厚な石橋で、グアダルキビル川に架かっています。▼ローマ橋の途中にある像は、聖人ラファエルの石像で、長きに渡りコルドバの街を見守り続けてきた街の守護聖人です。✡️ユダヤ人街にて昼食🍴🍝🌞








【2つの宗教が混在する美しい寺院・メスキータ】 🇪🇸 アンダルシア地方を巡る夫婦旅(15日目)No 2

2019年06月14日 11時22分00秒 | 海外旅行

2019年6月6日(木)🌞

⏺️【メスキータ観光】

“史上最高”の美とパワー、何物にも打ち勝つ存在感! コルドバの世界遺産「メスキータ」

 7世紀後半にアブド・アッラフマーン1世により建設されたモスク。その後13世紀に権力を握ったカトリック教徒により聖堂として転用され、16世紀には内部にカテドラルが建設され今のような複雑な構造になったといわれる。イスラム教とキリスト教が混在している不思議な建物メスキータです。

 

▼ミナレット

メスキータの鐘塔です。コルドバで一番高い建物で、54mの高さを誇る街のシンボル的存在です。

モスクであった時代のミナレットを囲むように作られたそうです。塔はキリスト教徒により鐘が取り付けられ、鐘楼にされました。


▼この鐘塔に上るのも30分待ち、階段を一段一段上り、展望台から街を一望しました。

▼メスキータ
まるで異世界に来たような感覚に陥る赤と白が幻想的な「円柱の森」です。

中に入って最初に目に飛び込んでくるのが、赤と白の二重構造のアーチが美しい幻想的な空間「礼拝の間」です。

別名「円柱の森」とも呼ばれており、まるでヤシの木が並ぶ森のような錯覚を覚えます。

▼メスキータ内部全体が間接照明を使用していて少し薄暗いので、より幻想的な雰囲気を醸し出しています。

▼馬蹄型の二重構造のアーチは赤いレンガと白い石灰岩を組み合わせて造られています。この二重構造のアーチ群は、まさに木々の生い茂る森のようです。

▼かつては1000本以上の柱があったが、現在は約850本あるという。メスキータは、英語では「モスク」。ムスリムと呼ばれるイスラム教徒たちのための祈りをささげる教会のことをスペイン語で「メスキータ」といいます。

▼教会ではパイプオルガンが自動演奏していました。

▼円

▼柱の森から少し歩くと、「ミフラブ」と呼ばれる祈り場にたどり着きます。

これが「ミフラブ」とよばれるイスラム教徒たちのお祈りの場です。

キリスト教でいえば、祭壇にあたります。

 

 

 

▼王室礼拝堂です。
キリスト教徒のための「サンタテレサ礼拝堂」、その中にある宝物殿です。中央のガラスのケースの中には、豪華な金銀細工で飾られた「聖体顕示台」が展示されています。

 

▼内部のステンドグラス

 

▼その他

 

▼夕食🍴🍻🌃は、セビーリャにて〝最後の晩餐?〟です。





【帰国の途へ】🇪🇸 アンダルシア地方を巡る夫婦旅(16日目)

2019年06月14日 08時06分00秒 | 海外旅行
2019年6月7日(木)🌞
⏺️帰国の途へ
マドリッドに到着した最初の日に石畳の段差につまずいて転倒したが、それ以外、特に体調を崩すことなく、計画通り旅行スケジュールをこなし無事に終了しました。訪れた観光地ごとに感動があり、バスや列車の車窓から見る風景も美しく、久々に旅したな~と実感できる充実した旅だった。✡️朝食☕🍞は、出発が早いためにレストランが準備したランチボックスを頂きました。
✡️アクセス(🚌)
喧騒から、一瞬の静寂を取り戻した夜明け前のセビーリャ大聖堂付近の状況、バスで空港まで✡️「セビリア空港」です。
ターミナルビルはセビリア文化のルーツであるモスク、宮殿、オレンジの木をモチーフとしてデザインされています。セキュリティチェックで引っ掛かる。リュックに入れていたパンに付けて食べるバターが感応したらしい。
◻️KLM 2686
セビリア(発)(🛫)10:10~アムステルダム(着)🛬13:00
(フライト約2時間30分)格安航空?機内サービスなし。
✡️スキポール空港(アムステルダム)Airport_Free_Wifiは、一度接続すると4時間は無料。
◻️KLM 861
アムステルダム(発)(🛫)
14:40~成田へ🛬(フライト約11時間)
▼機内食🛫🍴




【帰国】🇪🇸 アンダルシア地方を巡る夫婦旅(17日目)

2019年06月14日 07時43分00秒 | 海外旅行
2019年6月8日(土)曇り☁️
✡️☕機内食の朝食は到着1時間30分です。✡️(🛬)成田(着)8:40。疲れたのか?睡魔に襲われ着陸したことも分からない。天気は、どんよりした曇り空、昨日から関東地方は梅雨入りしたとのこと。無事に帰国できた。が、しかし、ここでトラブル発生!なんと妻の荷物が・・待てど暮らせど届かない。セビーリャ空港での搭乗手続きの際に私の荷物と一緒に預けたのに?妻のトランクのみ届かない!係員の調査結果は、アムス空港でのスキャンミスらしい?二日後に自宅まで届けられたので解決\(^^)/\(^^)/
✡️帰国後の最初の食事は、ゲンカツギした地元の寿司店へ。スペイン料理も美味しかったが、やはり日本の寿司🍣が一番です。⏺️旅を終えて
首都マドリッドからスタート。
8世紀初頭から長年にわたりイスラム教勢力による支配が続いたスペイン南部のアンダルシア地方は、ギラギラ輝く太陽と白壁の家、ジャカランタなど色とりどりに咲く花々、アラブのエキゾチックな雰囲気漂う地方でした。
イスラム教文化とキリスト教文化が融合した独特の歴史的建造物が数多く残っており、イスラム様式の宮殿、モスクの様式を残したキリスト教教会、旧ユダヤ人街、白壁の家が並ぶ村などの観光巡りはエキゾチックな魅力一杯でした。
さらに、仙台藩の侍の末裔が住むリオ村を訪ね、子孫の方とお会いしたり、ジブラルタル海峡を渡り、アフリカ大陸モロッコに足を踏み入れるなど、まさに年寄りの冷や水まがいの計画を組み入れた思い出深い旅となりました。アンダルシアのフライパンと称される暑さに閉口し、1日約2万歩の街歩きで多少の疲れがありましたがは、体調を崩すことやトラブルに遭遇することもなく、スペイン語通訳案内の妻のサポートもあり、楽しい旅を終えて元気で帰国することができました。
=終わり=