「通州事件」の痕跡をきれいさっぱり消し去れ
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ユネスコの世界記憶遺産に「南京大虐殺記念館」が登録された。嘘の塊を認めたユネスコはかねてより左翼のたまり場。
通州事件を世界記憶遺産に登録しようと運動が静かに始まったのは二年前だった。靖国会館で行われた或る会合で藤岡信勝氏が提案され、その年は慰霊祭が開催された。
日本でも盛り上がりを見せたのは昨夏あたりからで、通州事件に関する書籍や講演会、勉強会が連続的に開催され、国民の関心が深まった。とくに今年は自由社から刊行された通州事件目撃者の新証言が広く読まれ、先月、二回開催された勉強会には予想の二倍から三倍の人たちが集まって、本当に何があったかの講話に聞き入った。
小生は二回、通洲事件現場を取材している。最初は十五年ほど前で、まだ虐殺現場の旅籠が残り、西海子公園の離れには慰霊塔もあった。軍の跡地らしき建物や、駅車、南門が残っていた。イスラムの貧民街があった。
数年前には旅籠がビジネスホテルに改築されていた。南門と、駅舎が残っていたが、あとは「ここが現場だったのではないか」と推測できる、陰気な場所が残っていたくらいである。
直近に現場を取材した加藤康男氏に拠れば、ほぼ全て通州事件の痕跡は消され、旅籠あとは、高層ホテルが新築され、あたりはマンションが建ち並び、一切の痕跡がなくなっているという。
加藤氏は『慟哭の通州』(飛鳥新社)を上梓され犠牲となった二百余名の悲運を追跡した。
通州を北京の「通州区」として合併させ、副都心とするために土地を地ならしする工事が進んでいる由。事件の痕跡を綺麗さっぱり消し去れというわけだ。
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参考資料
通州事件(つうしゅうじけん)とは、1937年(昭和12年)7月29日に発生した事件で、「冀東防共自治政府」保安隊(中国人部隊)による日本軍部隊・特務機関に対する襲撃と、それに続いて起こった日本人居留民二百数十人(朝鮮系日本人を含む)に対する虐殺事件である。
当時の日本が支那に和平を訴えても、このような支那人による恐ろしい極悪非道のホロコースト(大量殺戮)が日本人に対して行われていたということだ。
しかしながら、日本の敗戦後、戦勝国に都合のよい歴史を押しつけられ、鬼畜・支那人によって何度となく行われた日本人市民に対する極悪非道の残虐な事件は、東京裁判でも却下され、忘れさせられてしまった。
戦勝国は日本を侵略国と定義する為、日本の被害はすべて闇に葬られた。
さらに断じて許せない事は、支那人が日本人市民に対して行ったおぞましい殺戮の証拠写真を、日本人が支那人に対して行った証拠写真として捏造し、日本政府を糾弾する外交カード、そして現在の中国人の反日教育に利用されている。
加えて、この悪夢のような事件から既に70年以上経過しているが、根本的な支那人(漢民族)の気質は全く変わっていない。
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